いくらがんばってもどうしてもうまくいかないことがあって、
「あと10年がんばれば少しはマシになるだろうか」などと考えている。


私は人を相手に仕事をしている。
物ではなく技術を売っているからサービス業と言っていいだろう。

よく言われるように、サービスへの満足度は、必ずしも提供されたものの品質に対応するわけではない。
それは商品パッケージの効果に近いものがある。
同じ化粧水Xを買うとき、豪華なデパートの売り場できれいな箱に入っているのと、
汚い路地の露店で箱なしで売っているのと、気分はだいぶ違う。
きれいな箱に入っているやつのほうが、買いたいと思うし、効きそうな気がするのである。

しかしきれいなパッケージだからよく効く、
対応が親切だから技術がある、というわけではないのはみんなよく知っている。
なのになぜ、対応の良さを重視する人が多いのか。

ということは、多くの人は、サービスを受けるとき、
いい気分になるために、そのサービスを受けるのだと思いつく。
いいサービスを受け、なおかついい気分になりたいのではない。
いい気分になりたいからサービスを受けるのだ。
サービスはおまけに過ぎない。という仮説だ。

私はそうは思わず、サービス(技術)と接遇は車輪の両輪であるはずだが、
たぶん、客観的に見てそのサービスがどんなに劣悪であっても、
しかしもっともらしいインフォームドコンセントと丁寧な対応があれば、受け入れる人は多いだろう、と思う。


前置きが長くなったが、
私はそれで、お客をいい気分にさせるのが苦手なのである。
人の話を聞いたり本を読んだり勉強したが、いざというとき指名してもらえないのである。「あなたではなく彼女で」と言われてしまうのである!
これが苦手ということは即ちサービス業者として致命的なのである。

これでは転職するしかないなあとなって、
ベルトコンベヤーや段ボール箱や土を相手にする仕事か
何か一流の芸術家か個人スポーツの選手になるしかないやあとなって、
昔他のひとより少しは秀でていたものといえばソロバンがあったなとなって、
ソロバン選手を今から目指そうか?と考えたりして、
でもソロバン選手って普段は一般企業で働いてるんだよなあとまた考えて、


あ~どうしたらいいんだこりゃ、とそれで冒頭のように思うのだ。
ちょっと関係ないけど、
自分に会社員は向いていないから絶対になるものかと思っていたんだ。
なのに何やったって会社員みたいなものではないか。

ユートピアを探したってどこにもないので、
どうにかくじけないでがんばっていきたい。
そんな感じ。

『ルビー・スパークス』 2012年

『(500)日のサマー』 2009年

『エターナル・サンシャイン』 2004年


『ルビー・スパークス』を飛行機で見て気に入ったため、同系統の映画を見てみる。

どれも主人公の男が割と女々しくて良くも悪くも今風。


以下あらすじ引用はYahoo 映画より。



『ルビー・スパークス』

あらすじ: 若くして天才作家としてもてはやされたカルヴィン(ポール・ダノ)だったが、今ではひどいスランプに陥ってしまっている。そこで、理想の女の子“ルビー・スパークス”の物語を書くことに。執筆に没頭していたある日、何とカルヴィンの前に自分が空想して作り上げていたルビー(ゾーイ・カザン)が現われ……。


冴えない俺だけど、自分で理想の彼女つくっちゃったぜ!しかも思い通りにできちゃうぜ!

というどこのラノベだよ、っていう設定だが途中から暗雲漂う展開。

いいすなあ、何かいいすなあ。

彼女を思い通りにできるのに、思い通りにならないなんて皮肉だね。

後で知ったけど、ヒロイン役のゾーイ・カザンが脚本を務め、現実でも主人公役のポール・ダノと5年あまり恋人関係にあるそうで。いやはや。



『(500)日のサマー』

あらすじ: グリーティングカード会社で働くトム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は、新入りのサマー(ゾーイ・デシャネル)に一目ぼれしてしまう。ある日、好きな音楽をきっかけに意気投合し、いいムードになった二人。そんな中トムは、サマーに対して「彼氏はいるの?」と聞くと……。


サマーと出会ってからの500日間を順不動で振り返る形式。そのため付き合い始めのベタベタのシーンの直後に倦怠期のシーンが来たり、逆もしかり。

運命の恋を信じるトムと信じないサマー。

すごく良いっす。

文句なし。

95分と短めですし、ぜひ。


『エターナル・サンシャイン』

あらすじ: ジョエル(ジム・キャリー)は、別れた恋人・クレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)が自分との思い出を消すために記憶除去手術を受けたことを知り、自分もその手術を試すが……。


中盤まであんまし引き込まれなかっけど、そっからの演出勝ち。記憶の中を彼女と走り回るシーンを映像化してるわけですが、雰囲気◎。オチがバレバレなのはご愛嬌。


世界中の不幸を背負い込んだ女が一人、いた。

それはひとえに自分自身を愛せないことが原因だった。

女は呟いた。
「それでも前に進む人もいるけれど、
 私はここにいるわ。ごめんなさい」

自分にとって都合の悪いを記憶をリフレインさせ、
ひたすら女はうずくまっていた。
それは贖罪なのかもしれないが、端から見れば無意味かもしれない。

全ての幸せ体質の人間は、彼女の苦しみを理解することは出来ない。

女は絶望した。
「誰もわかってくれないわ。
 私は誰にとっても必要ではないのよ」


わたしわたしわたしわたしわたし。


彼女の胸には、いくら注ぎ込んでも満たされない穴が空いていた。

その穴に向かって、男は叫んだ。

「君がここにいてくれれば、僕は幸せだよ。
 君の笑顔があれば、どこまでも頑張ってしまうんだ」

男は誠実に対応したが、結果、嘘つきになった。
そしてまた女は部屋の片隅で体育座りをする日々を始めた。

また暫く希望も余裕もない日々を送ることになるだろう。


「いいのよ、それが私の日常だから」
「くだらないとは思わないかね?」

博士の研究は砂時計だった。

「半永久的に機能する砂時計。そりゃまあ確かに意義はあるだろうよ。学術的には小さいとは言えない意義がね」

『でも、だから、どうしたと言うのだ?』

「学術的に認められた、学会で価値がある。更に言えば、他人にある程度評価されるかもしれない。でも、だから、どうしたと言うのだ?」

「私の研究は、私の承認欲求を満たすために存在していたのではない」

『では何のために?』

「馬鹿馬鹿しい。私も、私の研究もそんな小さな物語のために世界に存在したのではない!」

『では何のために?』

「無論」

博士はシニカルに笑った。

「この日のために」

そうして博士はナイフを手に取った。

「テセウスの船という話を知っていますか」

白衣の先生はそう言った。

僕は首を横に振った。

「ギリシャの神話なのですけど、まあ、簡単にまとめますとこう言った話です」


テセウスが乗っていた船には30本の櫂がありました。しかし、長い期間使っていたため、朽ちた木材を1本1本、新しい木材に取り替えていきました。そうして全ての木材を入れ替えた時、議論は起こりました。


この船は果たしてテセウスの船と言えるのかと。


「全ての構成要素を別の物に置き換えた時、それは同じと言えるのかどうか。格好の議論の的になったそうです。ある者は同一だと言い、ある者は同一でないと言いました。またある物は取り替えた古い木材を使って別の船として作り直したものがテセウスの船だと主張しました」


まあ、答えの出る議論ではないですけどね、と先生は自嘲気味に言った。

「私が何を言いたいかおわかりでしょう?」


僕はちらり、とベッドの方を見た。

「今の話は船に限りません。それが人間だとしても同じことです。全ての構成要素を別のものに置き換えた時、その方は果たして――」


「うるさい」

僕は言った。自分でも驚くくらいよく響いた。


ベッドに眠る彼女。

チューブを沢山つながれ、顔を包帯でぐるぐる巻きにされ、意識のない彼女。


「僕は、彼女を、助ける」