イエスの聖顔


イエスの聖顔とは、一部のカトリック教徒がイエスの顔を奇跡的に形作ったと信じている特定の画像の名称です。トリノの聖骸布から得られた画像は、一部のローマカトリック教徒が身に着けている特定のメダルと関連しており、キリストに対するカトリックの信仰の1つでもあります。キリストに関連する様々なアチェロポイエタ(文字通り「手作りではない」)の品々が何世紀にも渡って報告されており、イエスの顔への信仰が実践されてきました。聖顔への信仰は、1895年に教皇レオ13世、1958年に教皇ピウス12世によって承認されました。ローマカトリックの伝統では、イエスの聖顔は、その様な償いに焦点を当てている特定の機関(聖顔償いのベネディクト会修道女会など)とのイエスのキリストへの償い行為と併せて使用されます。この会衆への演説で、教皇ヨハネ・パウロ2世は、その様な償い行為を「神の子が磔にされ続けている無数の十字架の傍に立つ絶え間ない努力」と呼びました。


ヴェロニカ


キリストの真正な像の存在を信じる信仰は、エデッサのアブガルの「マンディリオン」に関する古い伝説と結びついています。また、モルス・ピラティを含む幾つかの外典にも、キリストの顔が刻まれた「ヴェロニカのベール」について書かれています。これらの像の中で最も古く、最もよく知られているのは、ヴェラ・イコン(「真の像」)と呼ばれ、一般の人々の想像の中で「ヴェロニカ」という人物の物語が展開されました。この物語は中世まで現在の形で記録されていませんでした。伝説によると、ヴェロニカはカルバリーの道の途中、ヴィア・ドロローサでイエスに出会いました。ヴェールでイエスの顔の血と汗を拭う為に立ち止まった時、イエスの像が布に刻まれました。この出来事は、第六の十字架の道で記念されています。


聖ペテロのマリア


1844年、フランスのトゥールのカルメル会修道女、聖ペテロのマリーは、イエスが「地上で私の顔の傷を見つめる者は、天国で輝く私の傷を見つめるだろう」と語ったという内なる言葉を報告した。彼女は後に、イエスと聖母マリアとの「交信」と彼女が呼ぶ更なる交信について報告し、その中で彼女は、イエスが受難の際に受けた多くの侮辱に対する償いとして、イエスの聖顔への信仰を広めるよう促された。イエスの聖顔への信仰は、フランスのローマカトリック教徒の間で広まり始めた。


聖顔の使徒レオ・デュポン


レオ・デュポンは、トゥールに移住した貴族出身の宗教家でした。1849年にトゥールで毎晩の聖体礼拝運動を開始し、それがフランス国内に広まりました。後に彼は「トゥールの聖人」として知られる様になりました。聖ペトロのマリー修道女の幻視の報告を聞いて、彼はイエスの聖顔の絵の前で徹夜のランプ​​を絶えず灯し始めました。当時、その絵はヴェロニカのヴェールをモチーフにしていました。


デュポンは約30年間、イエスの聖顔への信仰を祈り、推進しました。然し、聖ペトロのマリー修道女の生涯と信仰に関する文書は教会によって保管され、公開されませんでした。それにも拘らず、デュポンは彼女の主張を貫きました。 最終的に、1874年にシャルル・テオドール・コレがトゥールの新しい大司教に任命されました。コレ大司教は文書を審査し、1876年にそれらを出版し、信仰を奨励する事を許可しました。これはデュポンが亡くなる直前の事でした。デュポンはその後、聖顔の使徒と呼ばれる事がありました。レオ・デュポンが1876年に亡くなったとき、トゥールのサン・テティエンヌ通りにあった彼の家はトゥール大司教区によって購入され、聖顔礼拝堂になりました。礼拝堂は聖顔の司祭と呼ばれる司祭団によって管理されており、1876年に教会法に基づいて建てられました。イエスの聖顔への信仰は1885年に教皇レオ13世によって承認され、ローマにも同様の礼拝堂を設立したいという希望を表明しました。 これは最終的に1891年にピエトロ カヴァリーニ通りに開設され、司祭によって管理されましたが、その後の再開発で取り壊されました。


リジューのテレーズ


リジューのテレーズは、1889年にカルメル会修道服を受章し、後に「幼子イエスと聖顔の聖テレーズ」という宗教名で知られる様になったフランスの修道女です。彼女は、血の繫った姉妹であるポーリン、アグネス・ディ・イエスの修道女を通して聖顔への信仰に導かれました。テレーズは聖顔への信仰を表現する為に多くの祈りを書きました。彼女は小さなカードに「イエス様、私を貴方に似せて下さい!」という言葉を書き、聖顔のスタンプを貼りました。当時は聖顔メダルが存在しなかった為、彼女は小さな容器に入った祈りを胸の上にピンで留めました。1895年8月、彼女は「聖顔への賛歌」の中で次の様に書いています。


「イエスよ、貴方の言い表せない姿は、私の歩みを導く星です。ああ、ご存知の通り、貴方の優しい顔は私にとって地上の天国です。私の愛は、涙で飾られた貴方の顔の魅力を発見します。貴方の悲しみを思い浮かべる時、私は涙を堪えながら微笑みます。」


テレーズは罪人の為の聖顔の祈りも作曲しました。「永遠の父よ、貴方が私に神の子の愛らしい顔を相続財産として与えて下さったので、私はその顔を貴方に捧げ、この無限の価値を持つコインと引き換えに、貴方に捧げられた魂の恩知らずを忘れ、全ての哀れな罪人を赦して下さいます様、貴方に懇願します。」


トリノの聖骸布


聖顔へのより広範な信仰は、イエスの埋葬布であると信じている人もいるトリノの聖骸布に使われた画像に基づいています。ヴェロニカのヴェールの画像は以前にも信仰に使われていましたが、聖顔画像はヴェロニカのヴェールのイエスの肖像とは異なります。聖顔画像はイエスの埋葬布から得られたと言われている為、磔刑後の画像であると考えられます。然し、ヴェロニカのヴェールの肖像は定義上磔刑前の物であり、ヴェロニカがカルバリーの丘へ向かう途中のヴィア・ドロローサ沿いのエルサレムでイエスに出会った時に刻まれた物と考えられます。


マリア・ピエリーナ・デ・ミケリ


1936 年の四旬節の最初の金曜日、イタリアのミラノ近郊で生まれたマリア・ピエリーナ・デ・ミケリ修道女は、イエスが彼女にこう語るというビジョンを見たと報告しました。「私の顔は、私の精神の深い痛み、私の心の苦しみと愛を映し出しており、もっと尊ばれる事を私は望む。私を瞑想する者は、私を慰める。」


イエスとマリアのビジョンが更に報告された為、マリア・ピエリーナ修道女はイエスの聖顔のメダルを作るよう促されました。これは聖顔メダルとして知られる様になりました。メダルの片面には、トリノの聖骸布の聖顔像のレプリカと、詩篇 66 篇 2 節「主よ、貴方の顔の光が私たちを照らします様に」という碑文が刻まれています。 メダルの反対側には、光り輝く聖体、聖名(「IHS」)のモノグラム、そして「Mane nobiscum, Domine」(「主よ、私たちと共にいてください」)という碑文が刻まれています。


別のビジョンで、マリア・ピエリーナ修道女は、イエスが彼女にこう言ったと報告しています。「私の顔が黙想される度に、私はそれらの人々の心に私の愛を注ぎます。そして、私の聖なる顔によって、多くの魂の救済が得られるでしょう」。彼女は更に、イエスが灰の水曜日の前日に聖なる顔を称える特別な祝祭を望み、その前にノベナ(9日間)の祈りを捧げる事を望んでいたと報告しています。マリア・ピエリーナ修道女は、いくらかの努力の末、何とかメダルの鋳造許可を得る事ができ、イタリアでの使用が増え始めました。第二次世界大戦が始まると、多くの兵士と水兵が保護手段として聖顔メダルを受け取りました。シスター・マリア・ピエリーナ自身は、1945年の戦争終結時に亡くなりました。2000年、教皇ヨハネ・パウロ2世は、聖顔メダルの「イルミナ、ドミネ、ヴルトゥム・トゥム・スーパー・ノス」という碑文は、イエスの顔についてより深く考え、それに対する信仰を広める必要性を強調していると述べました。


バチカンの承認と聖顔の祝日


聖顔の信仰と聖顔のメダルの最初の物は、教皇ピウス12世に贈られ、教皇は信仰とメダルを承認しました。1958年、教皇はイエスの聖顔の祝日を全てのローマカトリック教徒の告解火曜日(灰の水曜日の前の火曜日)と正式に宣言しました。セコンド・ピア(1898年5月28日)によるトリノの聖骸布の最初の写真の100周年を記念して、1998年5月24日(日曜日)、教皇ヨハネ・パウロ2世はトリノ大聖堂を訪れました。その日の演説で、教皇は「聖骸布は神の愛と人間の罪の象徴である」と「あらゆる時代の無実の人々の苦しみの象徴である」と述べました。聖顔の信仰と聖顔のメダルは、聖顔協会などの組織を通じて世界中のローマカトリック教徒に広まりました。


神学分析


2005年に出版された著書「イエス・キリストへの道」の中で、ベネディクト16世は聖顔信仰を分析し、聖顔信仰には3つの要素があると特徴づけました。最初の要素は弟子としての生き方であり、イエスとの出会いに向けた人生の方向性です。2番目の要素は聖体拝領でイエスを見る事です。3番目の要素は終末論的であり、他の2つの要素の間に織り込まれています。


マタイ伝25章31~36節を引用して、ベネディクト16世は最初の要素(つまり弟子としての生き方)には、貧しい人々や抑圧された人々の顔にイエスを見、彼らを気遣う事が含まれますが、困っている人々の顔にイエスを正しく見る為には、信者はまず聖体拝領を通してイエスをよりよく知る必要があると述べました。2番目の要素は、イエスの受難と、傷ついた顔を表す画像に表された苦しみを聖体拝領の経験と関連付ける事です。この様に、イエスの顔のイメージから始まる信仰は、聖体体験におけるイエスの観想に繫がります。そして、終末論的な要素は、聖体におけるイエスの顔を観想する事によってキリストに目覚める事に基づいて構築されます。


聖顔研究研究所


キリストの顔に関する国際研究所は、1997年にフィオレンツォ・アンジェリーニ枢機卿とローマの聖顔修復ベネディクト修道女会によって設立されました。2002年10月にローマで開催された研究所の第6回年次会議へのメッセージで、ヨハネ・パウロ2世はキリストの顔の観想の精神的な重要性を強調し、使徒書簡「新千年期の初めに」に言及しました。その書簡には次の様に記されています。


「そして、あらゆる歴史的時代にキリストの光を反映し、新千年期の世代にもキリストの顔を輝かせるのは教会の務めではないでしょうか。然し、私たち自身がまずキリストの顔を観想しなければ、私たちの証言は絶望的に不十分な物になるでしょう。」


ヨハネ・パウロ2世は、同じメッセージの中で、観想のテーマを、最初の回勅「人間の救済者」で論じられたキリストの人格を観想するテーマと関連付けました。


聖顔のチャプレット(再掲載)


このチャプレットは聖顔のメダイと14の小珠から構成されています。14の小珠は十字架の道行きの御復活の前までの14の留を意味します。


始めに次の祈祷を捧げます。この祈祷は聖顔の御絵に目を留めるか、もしくは聖顔のメダイに崇敬を表すか、もしくは両腕を十字形に伸ばして唱えます。


「永遠の御父よ、全人類とわが救霊の為、御身のいとも愛し給える御子イエズス・キリストの、御身の天主的御存在と同じき我らへの御身の父的慈悲を明かし給いし聖顔の限りなき御功徳を御身に捧げ奉る。"我を見し者は御父を見ん"と彼は我らに教え給いき。御身のいとも愛し給える御娘、終生童貞にして聖霊の浄配、我らの主にして贖い主なる御子の御母、マリアの悲しみに満ちた汚れなき、慈悲深き御心によりて、我らの為に得させ給いしイエズスの聖顔の限りなき御功徳を御身に捧げ奉る。我はまた全賜物と御身より来る恩寵の忠実なる司り手にして、慈悲と光の父なる聖ヨゼフによりて捧げ奉る。我はまた、我らの仲介者にして、全ての内外の害悪に対し我らを守り給うイエズスの聖顔に感謝を示し奉る。」


続いて各小珠において次の呼祷を唱えます。


「聖顔の御光を我らの上に照らし給い、御身の慈悲の内に我らを救い給え。」


出典元・Wikipedia(英語版・Google翻訳)、信心の園





おはようございます。昨日は小珠14個の「聖顔のチャプレット」専用ロザリオを製作しました。正直な所、「聖顔のチャプレット」シリーズの専用ロザリオは、全種製作したと思ったんだけど、昨日、久しぶりに「信心の園」を見たら、まだ製作してない「聖顔のチャプレット」が、2種類も有った!!残る1種類は後日、製作します。


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