殉教の伝統


キリスト教の聖典には、聖書の東方三博士が祖国に帰還したと記された後、東方三博士について何も記録されていない。テオドシウス大帝(379-396)の治世下でバルセロナの司教を務めたフラウィウス・ルキウス・デクスターに帰せられる殉教記録文書『デクスター年代記』には、「アドルメティのセッサニア市アラビア・フェリクス」における「キリストを崇拝した聖なる王、三博士、ガスパール、バルタッサー、メルキオールの殉教」について記されている。『デクスター年代記』は1610年に初めて出版され、17世紀を通じて、特にスペインで非常に人気があった。然し、19世紀までに、ローマの一部の歴史家やカトリックの役人は、この作品を信心深い偽造であると宣言した。恐らくドイツに由来する別の競合する伝承も、聖書の東方三博士が信仰の為に殉教したと主張しているが、詳細は不明である。



東方三博士の遺骨がどこにあるのかについてはいくつかの言い伝えがありますが、世俗の歴史家によって検証されたり、真実性が示されたりした事はありません。マルコ・ポーロは、1270年代に現在のイランのテヘラン南部のサヴェにある東方三博士の墓3つを見せられたと主張しています。


「ペルシアにはサバという町があり、三博士はここからイエス・キリストを崇拝する為に出発しました。この町では、3人の博士は3つの非常に大きく美しい記念碑に並んで埋葬されています。そして、その上には四角い建物があり、大切に保管されています。遺体は髪の毛と髭がそのまま残っており、完全な状態です。— マルコ・ポーロ『百万の書』第1巻、第13章」


ポール・ウィリアム・ロバーツは著書『東方三博士の旅』で、この可能性を現代的に裏付ける証拠を幾つか挙げている。東方三博士の遺骨は、ドイツのケルン大聖堂にある三王の聖堂に納められているとされている。言い伝えによると、遺骨はコンスタンティヌス大帝の母ヘレナが326年から328年にかけてパレスチナと聖地を巡礼した際に初めて発見された。ヘレナは遺骨をコンスタンティノープルのアヤソフィア教会に持ち込んだ。344年に遺骨はミラノに移された。ミラノの司教エウストルギウス1世が移したという記録もあるが、ミラノの大聖堂の下にある特別な墓に埋葬された。  1162年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世がケルンを征服した後、ケルン大聖堂の大司教ライナルド・フォン・ダッセルの命により、東方三博士の遺骨はケルン大聖堂に移されました。聖遺物への巡礼の増加に応えて、フォン・ダッセルの後継者であるフィリップ・フォン・ホッホシュターデンは、12世紀後半に現在の三王の聖堂を建設しました。この聖堂は今でも広く参拝され、崇拝されています。ミラノの人々は、今は空になった彼らの墓から出た石積みの破片を二次聖遺物として扱い、南フランスを含むこの地域に広く分散させました。この為、この地域で生産されたリモージュエナメルのシャス聖遺物箱に東方三博士が頻繁に登場しています。市は毎年1月6日に中世の衣装のパレードを開催する事で、この伝統への貢献を祝い続けています。この物語のバージョンは、14世紀の聖職者ヨハネ・フォン・ヒルデスハイムの『三王の歴史』に記されており、ヘレナがエルサレムへ旅し、そこで真の十字架と他の聖遺物を取り戻した場面から始まります。


「ヘレン女王は、この3人の王の遺体の事を深く考え始め、身なりを整え、多くの従者を伴ってインドの地へ向かいました。メルキオール、バルタザール、ガスパールの遺体を見つけた後、ヘレン女王はそれらを1つの箱に収め、沢山の宝物で飾り、コンスタンティノープルへ持ち帰り、聖ソフィアと呼ばれる教会に安置しました。」


文化的描写


視覚芸術


ヨーロッパ美術における東方三博士の描写の殆どは、イエスを訪問する場面に焦点を当てており、中世後期の『東方三博士の旅』、『ヘロデ王の前の東方三博士』、『東方三博士の夢』に始まります。ビザンチン美術では、東方三博士はズボンとフリギア帽を被ったペルシャ人として描かれています。王冠は10世紀から登場します。聖人であるにも拘らず、恐らく王冠や聖家族の光輪から注意を逸らすのを避ける為、光輪なしで描かれる事が非常に多いです。キリストに跪く先頭の王だけが光輪を持ち、他の2人には光輪がない場合は、後ろの2人が聖人としての地位を確かな物にする為の礼拝行為をまだ行っていない事を示していると考えられます。中世の芸術家たちはまた、このテーマを寓話化して人間の3つの時代を表現しました。12世紀から始まり、15世紀までには非常に頻繁に、王たちは西洋美術、特に北ヨーロッパにおいて、既知の(コロンブス以前の)世界の3つの部分も表しています。バルタザールは若いアフリカ人またはムーア人として表され、カスパルは明らかに東洋的な特徴を持って描かれている可能性があります。初期のアングロサクソンの描写は、異教と古典的なイメージが組み合わされた唯一のキリスト教の場面であるフランクの棺 (7世紀初頭、鯨骨の彫刻)に残っています。その構成は東洋のスタイルに従っており、宮廷の場面を描いており、聖母マリアとキリストが観客に面し、東方の三博士が敬虔に(左側)から近づいています。東方の三博士のキリスト教の物語を聞いた非キリスト教徒の間でも、このモチーフは非常に人気がありました。東方の三博士は長い旅に耐え、寛大だったからです。天使の代わりに、この絵には白鳥のような鳥が描かれている。これは恐らく、主人公のフィルギャ(守護霊、変身者)と解釈できるだろう。オーストリアの芸術家ゴットフリート・ヘルンヴァインは、絵画「エピファニーI:東方三博士の礼拝」(1996 年)で、より物議を醸した場面を描いた。「第三帝国とオーストリア及びドイツのキリスト教会との多くの繫がり」を表現する事を意図したこの絵画では、制服を着たナチスの将校たちがアーリア人の聖母の周りに立っている。マリアの膝の上に立つキリストの幼児は、アドルフ・ヒトラーに似ている。より一般的には、人気のキリスト降誕シーンやその他のクリスマス装飾に登場します。これらの装飾は、イタリアのプレセピオまたはキリスト降誕のヨハン・セバスチャン・バッハのカンタータ第65番「Sie werden aus Saba alle kommen」(「彼らは皆、サバからやって来る」)も、旧約聖書のイザヤ書60章6節にある預言(「ラクダの大群が貴方を覆う。ミディアンとエファの若いラクダが。シェバから来た者たちが皆やって来る。彼らは黄金と乳香を携えて、主を讃える」)に基づいて、賢者について語っています。


映画


『イエス・キリストの生涯と受難』(1897年)から『ザ・スター』(2017年)まで、数多くの映画でキリスト降誕を描いたシーンにこれらのキャラクターが登場しています。2003年には、アントニオ・ナバロ監督によるスペインのアニメ映画『東方の三博士』が公開され、ゴヤ賞にノミネートされました。


文学


ヘンリー・ヴァン・ダイクの1895年の中編小説「もう一人の賢者」は、4 人目の魔術師アルタバンの物語です。アルタバンは親切心からベツレヘムへの到着が1日遅れ、その時点でエジプトに逃げていたイエスとその両親に会えませんでした。物語の残りの部分は、イエスが地上にいた33年間にアルタバンが世界中を旅し、主人公が神の子に敬意を表そうと何度も試みる様子を中心に展開します。


ルイス・ウォレスの1880年の小説「ベン・ハー」の最初の部分は、バルタザールの視点からキリストの誕生の物語を語っています。ここでバルタザールはエジプトからやって来て、ヒンズー教徒のメルキオールとギリシャ人のガスパールが加わります。バルタザールは小説全体を通して繰り返し登場するキャラクターです。


O. ヘンリーの 1905 年の短編小説「賢者の贈り物」は、ジムとデラ・ディリンガム・ヤングという貧しい夫婦が、お互いにクリスマスプレゼントを買う為に自分たちの大切な所有物を犠牲にする物語です。デラは、ジムの懐中時計に合うプラチナ製の懐中時計のチェーンを買う為に長い茶色の髪を売りましたが、ジムがそれを彼女の髪につける装飾用の櫛を買う為に売った事を知る事になります。この物語では、同名の賢者に加えて、シバの女王とソロモン王についても触れられています。語り手は、(聖書の人物たちの富とディリンガム・ヤングの所有物とを比較して)愛する人の為に大切な物を犠牲にする人は、賢者自身と同じくらい賢いと主張して物語を締め括っています。


T.S. エリオットの 1927 年の詩「賢者の旅」は、年老いた王の視点から語られています。


福音書の三人の聖なる王または東方の三博士の連祷


主よ、憐れみ給え。主よ、憐れみ給え。


キリストよ、憐れみ給え。キリストよ、憐れみ給え。


主よ、憐れみ給え。主よ、憐れみ給え。


キリストよ、私たちの声を聞き給え。


キリストよ、慈悲深く私たちの願いを聞き届け給え。


天の父なる神よ、我らを憐れみ給え。


神の子、世界の救い主よ、我らを憐れみ給え。


聖霊なる神よ、我らを憐れみ給え。


聖なる三位一体、唯一の神よ、我らを憐れみ給え。


万王の王、イエスよ、我らを憐れみ給え。


聖マリア、女王の中の女王、我らの為に祈り給え。


全ての王の教師である聖ヨセフ、我らの為に祈り給え。


聖なるガスパール王よ、我らの為に祈り給え。


聖なる王メルキオール、我らの為に祈り給え。


聖なるバルタザール王よ、我らの為に祈り給え。


最も聖なる三人の王よ、我らの為に祈り給え。


東方の三博士よ、我らの為に祈り給え。


タルシスの王たちよ、 我々の為に祈り給え。


アラビアとサバの王たちよ、我らの為に祈り給え。


信仰深い総主教たちよ、我らの為に祈り給え。


諸国の民の初穂よ、我らの為に祈り給え。


諸国の君主たちよ、我らの為に祈り給え。


イエスを待ち望んでいた貴方、我らの為に祈り給え。


イエスが望んだ事、我らの為に祈り給え。


イエスは完全な喜び、我らの為に祈り給え。


信仰に最も照らされた者よ、我らの為に祈り給え。


希望に満ち溢れた貴方よ、我らの為に祈り給え。


慈愛に熱心な方よ、我らの為に祈り給え。


愛の黄金で最も輝かしい貴方よ、我らの為に祈り給え。


信仰の香を携えた最も敬虔な信者よ、我らの為に祈り給え。


最も不滅なる忍耐の没薬よ、我らの為に祈り給え。


最も深い謙虚さをもって、我らの為に祈り給え。


不変性において最も強い者よ、我らの為に祈り給え。


感謝の気持ちでいっぱいの貴方、我らの為に祈り給え。


寛大なる心ある方よ、我らの為に祈り給え。


あらゆる美徳の鏡よ、我らの為に祈り給え。


星を見て、敬虔に神の啓示を認めた者よ、我らの為に祈り給え。


効力ある恵みに促され、自由意志で従った貴方、我らの為に祈り給え。


天の王への愛の為に国や親族や友人を捨てた者よ、我らの為に祈り給え。


旅の悩みや困難を恐れなかった貴方、我らの為に祈り給え。


エルサレムでユダヤ人の王として生まれた方を捜し求めていた貴方、我らの為に祈り給え。


ヘロデの前で勇敢にキリストへの信仰を告白した者よ、我らの為に祈り給え。


聖書から、メシアが生まれる場所について律法学者やパリサイ人から教えを受けた者たちよ、我らの為に祈り給え。


ヘロデによってベツレヘムに追放された者たちよ、我らの為に祈り給え。


星が再び現れ、大いに喜びました。我らの為に祈り給え。


貴方より先にいた者も、その子がいた場所の上に止まるまで、我らの為に祈り給え。


家に入って、幼子とその母マリアを見つけた者は、我らの為に祈り給え。


処女の膝の上にいる幼子にひれ伏して礼拝した者よ、我らの為に祈り給え。


宝物を開いて幼子イエスに黄金、香、没薬を捧げた者よ、我らの為に祈り給え。


神秘的な賜物によって全世界に信仰を示した貴方、我らの為に祈り給え。


幼子イエスを黄金によって王と宣言し、香によって神と宣言し、没薬によって死すべき人間と宣言した方、我らの為に祈り給え。


幼子イエスをエジプトへ送る為の準備をした者、我らの為に祈り給え。


跪いて礼拝する事で、私たちにあらゆる美徳の模範を示して下さった方、我らの為に祈り給え。


慈善の黄金、祈りの香、忍耐の没薬を神に捧げるよう私たちに教えてくださった方、我らの為に祈り給え。


主を礼拝し、贈り物を捧げた後、最も聖なる聖母マリアとその配偶者ヨセフに謙虚に挨拶した方、我らの為に祈り給え。


同じ聖母マリアとその処女配偶者ヨセフから、捧げられた贈り物に喜びをもって感謝された方、我らの為に祈り給え。


貴方たち自身と貴方たちの王国と諸国の民をキリストと、最も聖なる処女とその花婿に委ねた貴方たちよ、我らの為に祈り給え。


最も聖なる聖母マリアとその配偶者の下から、全ての善に対する最も幸福な感謝の気持ちをもって旅立った貴方、我らの為に祈り給え。


夢の中で天使からヘロデの元へ戻る事を禁じられ、別の道を通って貴方の国へ戻された者たちよ、我らの為に祈り給え。


神の命令によってヘロデを巧みに欺いた者よ、我らの為に祈り給え。


幼子イエスを殺害の危険から賢明に救った方、我らの為に祈り給え。


聖なる三人の王よ、我らの為に祈り給え。


私たち罪人は、貴方に懇願します。私たちの祈りを聞き入れ給え。


どうか、貴方が私たちに真実かつ完全な悔悟を与えて下さる様、私たちは貴方に乞い願い奉る。どうか我らの願いを聞き届け給え。


どうか、貴方がたが丁重に私たちの後援者となって下さる様、乞い願い奉る。どうか我らの願いを聞き届け給え。


貴方が私たちを和解させ、称賛し、王の王に差し出す事を選んで下さる様に。


どうか我らの声を聞き届け給え。


貴方の美徳によって我らの魂を明るくして下さいます様、私たちは貴方に乞い願い奉る。どうか我らの願いを聞き届け給え。


どうか、慈善の黄金、信仰の香、苦行の没薬を私たちの為に調達して下さいます様、我らは貴方に乞い願い奉る。どうか我らの願いを聞き届け給え。


私たちが貴方と共に、我らの王である主キリストを常に求め、見出すに相応しい者となる様に。どうか、我らの声を聞き届け給え。


異端者や不信心者の前で、我らがキリストの信仰を勇敢に告白する事ができる様に、どうか、我らの声を聞き届け給え。


ヘロデ、つまり、キリストのいない世間の甘言とその有害な欲望の下に、私たちは決して戻らない様に、我らは貴方に乞い願い奉る。どうか我らの願いを聞き届け給え。


最終的に私たちはあなた方と共に別の道を通って天の祖国へ帰る事ができるでしょう。どうか、我らの声を聞き届け給え。


死の苦しみと全てを捨て去る我らを助け給え。どうか、我らの声を聞き届け給え。


貴方の貴重な賜物によって私たちの貧困を豊かにして下さいます様に。

どうか、我らの声を聞き届け給え。


貴方が戦闘的な教会、特に[神聖]ローマ帝国[即ちドイツ]を奮い立たせて、貴方に対するより豊かな愛と崇拝を起こさせて下さる様、我らは貴方に乞い願い奉る。どうか我らの願いを聞き届け給え。


貴方の後援によって、貴方の敬虔な信者たちと貴方の信仰の為に設立された場所を、敵の罠、戦争の騒乱、敵の侮辱、更には飢餓や疫病、その他の危険から守り、防御し、保護するであろう。どうか、我らの声を聞き届け給え。


どうか、この地方(つまりライン川)から、執拗な異端者全員を遠くに追い払って下さる様、我らは貴方に乞い願い奉る。どうか我らの願いを聞き届け給え。


どうか、これを成し遂げる事ができる全ての人に、効力のある恵みの助けを与えて下さいます様、我らは貴方に乞い願い奉る。どうか我らの願いを聞き届け給え。


人々の祈りと良い習慣に説得されて、貴方は決してあの有名な場所(貴方の聖地、即ちケルン)を見捨てる事はないでしょう。どうか我らの願いを聞き届け給え。


貴方の信奉者たちに最後の忍耐の恵みが与えられる様に、どうか、我らの声を聞き届け給え。


どうか、我らの願いを聞き入れて下さる様、祈り給え。


世の罪を除き給う神の子羊よ、主よ我らを赦し給え。


世の罪を取り除く神の子羊よ、慈悲深く我らの祈りを聞き給え。


世の罪を除き給う神の子羊よ、我らを憐れみ給え。


主よ、慈悲を与え給え。


キリストよ、慈悲を。


主よ、慈悲を与え給え。


「主祷文」


V.私たちを誘惑に陥らせないで下さい。


R.然し、私たちを悪からお救い下さい。(マタイ6:9-13)


V. 3つは貴重な贈り物でした。


R.東方の三博士が主に捧げたものです。


V.タルシスと島々の王たちは贈り物を捧げるであろう。


R.アラビアとサバの王たちは贈り物を持って来る。(詩篇71:10)


祈りましょう。


集会祈祷。東方の三博士と聖王ガスパール、メルキオール、バルタザールを驚くべき方法で啓示し、ベツレヘムで最近生まれた御子を訪ねて敬う様にされた神よ。彼らの模範と執り成しによって助けられ、この世の暗闇の中で真の信仰によって照らされ、永遠の光である貴方を認め、好ましい事と悪い事の間を安全に進み、全ての障害が取り除かれ、近づく事のできない光に住む貴方に容易に到達できる様にして下さい。私たちの主キリストを通して。R.アーメン。 



出典元・psallitesapienter(英語版・Google翻訳)、Wikipedia(英語版・Google翻訳)




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