キリストに倣いて


トマス・ア・ケンピスの『キリストに倣って』は、中世ラテン語で『キリストに倣って』(1418年頃-1427年)として初めて書かれたキリスト教の祈祷書です。この祈祷書は、「霊的生活の為の有益な助言」「内なる生活の為の指針」「内なる慰めについて」「聖体について」という詳細な霊的指示の4つの書に分かれています。『キリストに倣って』の祈祷的アプローチは、他の修道士が実践したキリストの積極的な模倣とは対照的に、内なる生活と世間の俗事からの離脱を強調しています。この書の祈祷は、霊的生活の重要な要素として聖体への信仰を強調しています。『キリストに倣って』は、トーマスが従ったデボティオ・モデルナ運動から生まれた精神生活のハンドブックです。『キリストに倣って』は、聖書に次いで恐らく最も広く読まれているキリスト教の信仰書であり、信仰と宗教の古典とみなされています。この本は、1418~1427年頃にオランダで匿名でラテン語で書かれました。すぐに人気が出て、1471~1472年に最初の印刷版が出版されてから、1650年までに745版が印刷されました。聖書を除けば、当時『キリストに倣って』ほど多くの言語に翻訳された本はありませんでした。


背景と歴史


背景


キリストの模倣という理想は、キリスト教の神学、倫理、精神性の重要な要素でした。この概念とその実践への言及は、パウロ書簡などの最も初期のキリスト教文書に見られます。聖アウグスティヌスは、キリストの模倣をキリスト教生活の根本的な目的、及びアダムの罪の模倣に対する治療法と見なしました。アッシジの聖フランチェスコは、キリストの肉体的及び精神的な模倣を信じ、飼い葉桶で生まれた貧しいイエスの様に貧困と説教の道を主張しました。キリストの模倣というテーマはビザンチン神学の全ての段階に存在し、14世紀の本「キリストにおける生活」では、ニコラス・カバシラスはキリストにおける「自分自身の個人的な生活を生きる事」を基本的なキリスト教の美徳と見なしました。この様な背景から、ヘルト・グローテがデボティオ・モデルナ運動を開始しました。グローテは教会の現状に強い不満を抱き、修道院の伝統が徐々に失われ、聖職者の間で道徳観念が欠如していると感じていました。デボティオ・モデルナの当初の焦点は、真の敬虔な実践の再発見と、熱心でない聖職者の改宗と再改宗でした。『模倣』は、北欧で繁栄していたデボティオ・モデルナのコミュニティ内で書かれましたが、宗教改革で終焉を迎えたその運動を遥かに超えて成長しました。


歴史


『模倣』は、1418~1427年頃にオランダで匿名でラテン語で書かれ、17世紀までは、殆ど異論なくトーマス・ア・ケンピスの著作とされていました。マビヨンによれば、1651年になってもまだ著者はトーマス・ア・ケンピスとされていました。然し、この本の匿名性を利用し、国民感情によって誇張された団結心に駆られたイタリアのベネディクト会は、『模倣』を1250年頃のサン・テティエンヌ・ド・ヴェルセイユ修道院長ジョヴァンニ・ゲルセンの著作としました。また、フランスの学者は、パリ大学の高名な学長ジャン・ジェルソンの著作であると主張しました。他の学者は、ボナヴェントゥラ、ベルナール・ド・クレルヴォー、アンリ・カルカー、またはルドルフ・フォン・ザクセンの著作としました。これらの論争により、一部の批評家は『模倣』は中世の様々な神秘主義の著者の個人的な編集に過ぎないと主張するに至った。然し、現代の学者はトマス・ア・ケンピスを著者として一般的に認めており、彼自身の修道会のメンバーを含む幾つかの権威源はケンピスを著者として挙げている。更に、1つの自筆写本を含む様々な同時代の写本に彼の名前が付けられている。ジョセフ・N・ティレンダ神父は、この書が匿名で書かれた事は「驚くべき事ではない」と書いている。なぜなら、著者は『模造品』の中で「無名である事を好むべきだ」(第1巻第2章)と書いているからだ。作品の匿名性に関して、ウィリアム・C・クリシーはまた、『模造品』の著者が「著者の権威や学識に、それが小さくても大きくても影響されてはならない。純粋な真実への愛に引き寄せられて読んでほしい。『誰がこれを言ったのか』と問うのではなく、書かれている事に注意を払え」(第1巻第5章)と書いたとも述べている。1471年までに、この書の写本は頻繁に手書きで写され、修道院間で回覧された為、『模造品』の写本は約750冊現存している。トマス・ア・ケンピスの1441年の自筆原稿は、ブリュッセルの王立図書館で閲覧可能です。最初の印刷版は、1471年から1472年頃にアウグスブルクで出版されました。15世紀末までに、この本は100を超える印刷版と、イタリア語(1480年)、カタロニア語(1482年)、ドイツ語(1486年)、フランス語(1488年)、低地ドイツ語(1489年)、スペイン語(1490年)、ポルトガル語、オランダ語(1496年)への翻訳版が出版されました。この本は、ニュルンベルクの修道院長ゲオルク・ピルカーマーが1494年版について述べた言葉に特徴づけられる様に、非常に初期の頃から熱狂的な反響を得ました。


「トマス・ア・ケンピスのこれらの著作を広める事ほど、神聖で名誉ある事、宗教的な事、そしてキリスト教国家にとって有益な事は他にありません。」


数えられた版の数は2,000を超え、大英博物館には1,000の異なる版が保存され、カタルーニャ ケンピス図書館コレクションには 770 が保存されています。1838年にケルン市に寄贈されたブリンゲン・コレクションには、当時400の異なる版が含まれていました。デ・バックルは、ラテン語版545フランス語版約900を列挙しています。1982年には批評版が出版されました。


教え


キリストに倣うは、詳細な精神的指導を提供する4つの本に分かれています。


第1巻


模倣の第 1 巻は「霊的生活に役立つ助言」というタイトルです。模倣のタイトルは、第1巻の第1章「キリストの模倣と世の虚栄に対する軽蔑」に由来しています。模倣は、第1章の冒頭の言葉「私に従う者は暗闇に足を踏み入れる事はない」に由来する「キリストに従う」と呼ばれる事もあります。第1巻は、積極的な義務が許す限り、外面的な生活からの撤退を扱っています。内面の生活を強調し、虚栄と幻想の全てを放棄し、誘惑と人生の邪魔に抵抗し、学問の誇りを捨てて謙虚になり、神学者の論争を捨て、世の軽蔑と矛盾に辛抱強く耐えます。ケンピスは孤独と沈黙の重要性を強調し、「儚い喜びを追い求めたり、世俗的な事柄に関心を向けたりしなければ、どれほど良心が平穏になるだろう」と述べています。ケンピスは、「世界とその全ての誘惑は過ぎ去る」事、そして官能的な欲望に従う事は「散漫な良心」と「散漫な心」に繋がる事を記しています(第20章)。ケンピスは、人は死について瞑想し、「地上の巡礼者や寄留者として生きるべきだ。なぜなら、この地球は永続する都市ではないから」と記しています(第23章)。 審判の日には、清らかな良心は今までに学んだ全ての哲学よりも喜びを与え、熱心な祈りは「多彩なコースの宴会」よりも幸福をもたらし、沈黙は長い物語よりも「爽快」であり、聖なる行いは聞こえの良い言葉よりも価値があるとケンピスは書いています(第24章)。ケンピスは、人は神に忠実で熱心であり続け、勝利と救済を得るという希望を持ち続けなければならないが、自信過剰は避けなければならないと書いています。ケンピスは、不安な男の例を挙げています。彼は恐怖と希望の間で揺れ動き、悲しみながら祭壇に行き、「ああ、最後まで耐え抜くと分っていればよかったのに」と言いました。するとすぐに、彼は神の答えを聞きました。「もし貴方がこれを知っていたらどうしますか? 貴方ならどうしますか? その時するであろう事を今して下さい。そうすれば、貴方はとても安全です。」 この後、男は神の意志に従い、将来に対する不安や恐れは消え去りました(第25章)。


第2巻


イミテーションの第2巻は「内なる生活の為の指針」です。この本は第1巻のテーマを引き継いでおり、「内なる平和、心の清らかさ、良心、つまり、私たちの願望や欲求を節制し、忍耐し、神の意志に従い、イエスの愛を持ち、安楽な生活の喪失に耐え、十字架を背負う為の指針」が含まれています。ケンピスは、良心が清らかであれば、神は私たちを守り、神が助けようと選んだ人は、いかなる人の悪意も害する事はできないと書いています。ケンピスは、人が謙虚になると、「神はその人を守り、守る…神は謙虚な人を好み、低くされた後、栄光へと引き上げる」と書いています(第2章)。ケンピスは良心の重要性を強調しています。「良心が清らかな人は、容易に平穏と満足感を得られます。人は顔しか見ませんが、心を見るのは神です。人は外面的な行為で判断しますが、その背後にある動機を測る事ができるのは神だけです」(第6章)。ケンピスは、人間ではなくイエスに信仰を置かなければならないと書き、「揺れる葦を信頼したり、それに頼ったりしてはならない…肉なるものはみな草であり、その栄光は全て野の花の様に萎む」(第7章)。ケンピスは、偽りの自由感覚と自信過剰は霊的生活の障害であると書いています。ケンピスは、「恵みは常に真に感謝する者に与えられ、謙虚な者に与えられた物は高慢な者から奪われる」(第10 章)と書いています。


ケンピスは、善を自分自身に帰するのではなく、全てを神に帰すべきであると書いています。ケンピスは、私たちに「どんな小さな贈り物」にも感謝し、より大きな贈り物を受け取るに相応しい者となるよう求めています。最も小さな贈り物を偉大な物とみなし、最も有り触れた贈り物を特別な物とみなすのです。ケンピスは、贈り主の尊厳を考慮すれば、どんな贈り物も重要でなかったり、小さく見えたりする事はないと書いています(第10章)。最後の章「十字架の王道」で、ケンピスは、喜んで十字架を背負うなら、十字架は私たちを望みの目標へと導いてくれるが、一方で、嫌々十字架を背負うなら、それは重荷となり、もし1つの十字架を捨てれば、きっともっと重い別の十字架が見つかるだろうと書いています。ケンピスは、私たち自身では十字架を背負う事はできないが、主を信頼すれば、主は天から私たちに力を与えて下さると書いています(第12章)。


第3巻


第3巻は「内なる慰めについて」と題され、4冊の中で最も長い。この本はイエスと弟子の対話の形式をとっている。イエスは、神や霊性に頼る人は殆どいないと語る。なぜなら、神よりも世や肉の欲望に耳を傾ける人が多いからだ。イエスは、世は過ぎ去りがちで価値のない物、大いなる物を約束し、それを熱心に行うが、イエスは最も素晴らしく永遠の物を約束するが、人々の心は無関心のままだと語る(第3章)。イエスは、「私を信じる者を、私は決して無駄にしない。私は約束を守り、誓った事は必ず果たす。但し、貴方が最後まで忠実であり続けるなら」と語る(第3章)。イエスは、霊的進歩と完成とは、神の意志に身を捧げる事であり、「小さな事でも大きな事でも、時間であれ永遠​​の事であれ」自分を求めない事だと語る(第25章)。イエスは、将来について心配するな、と言っています。「心を騒がせてはならない。恐れてはならない。」イエスは弟子に、結果が計画通りでなくても全てが失われるわけではない、自分がイエスから最も遠いと思う時こそイエスが最も近くにいる、全てが失われたと思う時こそ勝利がすぐそこにいる、と助言しています。イエスは、困難から解放される希望がないかの様に困難に反応してはならないと言っています(第30章)。ジョセフ・ティレンダは、第3巻の中心テーマを第56章の教えで要約しています。「息子よ、貴方が自分自身を捨てる事ができるほど、貴方は私の中に入る事ができるでしょう。外側に何も望まない事が貴方の中に内なる平和を生み出すのと同じ様に、貴方自身を内側から放棄する事が貴方を神と結びつけます。」 イエスは重要な教えを授けます。「私に従いなさい。私は道であり、真理であり、命である。道がなければ、進む事はできない。真理がなければ、知る事はできない。命がなければ、生きる事はできない。私は貴方が従うべき道であり、貴方が信じるべき真理であり、貴方が望むべき命である」(第56章)。


第4巻


「模範」の第4巻「聖体について」も、イエスと弟子との対話の形をとっています。ケンピスは、この聖体によって霊的な恵みが与えられ、魂の力が補充され、受け手の精神が強化され、罪によって衰弱した体に力が与えられると書いています(第1章)。イエスは、人が心から神に身を委ね、自分の意志や快楽に従って何かを求めず、全てを神の手に委ねるほど、早く神と一体になり、平和になると述べています。イエスは続けて、「神の意志に従う事ほど、貴方を幸せにしたり、喜ばせたりする物はない」と述べています(第15章)。イエスはまた、「貴方が持っているもの全てを放棄しない限り、私の弟子になる事はできない」という「不変の教え」を伝えています(第8章)。聖餐を受けるには、イエスは「心の家を清めなさい。全世界とその罪深い騒音を全て締め出し、屋根の上の孤独な雀の様に座り、魂の苦しみの中で、自分の罪を思い巡らしなさい」(第12章)と言っています。イエスは、ミサと聖餐でキリストの体が捧げられる時に、自分自身を神に純粋かつ完全に捧げること以上に、罪を洗い流す価値のある捧げ物はなく、これ以上の満足はないと言っています(第7章)。


影響


『キリストに倣って』はカトリックキリスト教において最も重要な信仰の書とみなされており、聖書に次いで最も広く読まれている信仰の書です。聖書を除けば、『キリストに倣って』よりも多くの言語に翻訳されたキリスト教の書物はありません。

この本は、イングランド国王ヘンリー8世によって処刑されたイングランド大法官で有名な人文主義者の聖トマス・モア、イエズス会の創設者である聖イグナチオ・デ・ロヨラ、ロッテルダムのエラスムス、そして20世紀アメリカのカトリック作家で修道士のトーマス・マートンなど、多くの人々に賞賛されました。また、カトリックとプロテスタントの両方の多くの人々からも賞賛されています。イエズス会は、この本を彼らの「修行」の中に公式に位置付けています。 ケンピスの「イミタオ・クリスティ」は、デボティオ・モデルナ運動のイグナチオ・デ・ロヨラと密接な関係があり、また聖フランシスコ・デ・サレジオによって肯定され実践され、彼の「敬虔な生活への入門」に深い影響を与えました。メソジスト運動の創始者であるジョン・ウェスレーは、改宗時に影響を受けた作品の中に「イミタオ・クリスティ」を挙げています。ゴードン将軍は戦場にそれを携えて行きました。

フィリピンの博学者で国民的英雄であるホセ・リサールは、1896年12月30日にスペイン植民地政府によって反逆罪で銃殺される直前、マニラのイントラムロスにあるサンチャゴ砦に収監されていた時にこの本を読んだと伝えられています。19世紀のヒンズー教の哲学者でヴェーダーンタ協会の創設者であるスワミ・ヴィヴェーカーナンダは、イミテーションとバガヴァッド・ギーターの教えの間に多くの類似点を見出しました。ヴィヴェーカーナンダは 1899 年にイミテーションの序文と翻訳を書きました。ヴィヴェーカーナンダは常にバガヴァッド・ギーターとイミテーションのコピーを携帯していました。 霊的著述家エクナート・イースワランは、イミテーションの教えをウパニシャッドと比較しました。イミテーション・オブ・キリストは、リジューの聖テレーズの霊性に初期に影響を与えました。テレーズは祈りの生活の中でイミテーション・キリストを使い、そのメッセージを抽出して自身の著作に使用し、それがカトリックの霊性全体に影響を与えました。テレーズはこの本にとても愛着を持っていて、何度も読んだ為、10代の頃には記憶からその一節を引用する事ができました。彼女は自伝の中で、この本を丸ごと暗記していたと主張しています。


神学者シャイラー・マシューズは、イミテーション・キリストは福音書のキリストを正確に描写しており、イエスの言葉を偏見なく解釈していると書いています。彼はまた、「何世紀にも渡り、人々はそこから犠牲と謙虚さ、そして最も厳しい自己省察へのインスピレーションを見出してきた…その影響を受けた事がない人は、より謙虚になり、より純粋な生活への野心を持つ様になる何かを逃している」とも書いている。


アレバロの青年として知られるスペインの隠れイスラム教徒作家は、イスラム教の信仰の書『記録の要約と霊的修行』に『模倣』からの多くの一節を翻案している。彼は特定のキリスト教の文脈と特徴をイスラム教のものに置き換えたが、精神的及び道徳的な意味はそのまま残した。彼のイスラム教の著作にキリスト教の信仰文学を翻案したのは、彼が宣教師の説教に出席する事を義務付けられていた事(スペインでイスラム教徒が強制的に改宗させられた後)と、実際のイスラム文学にアクセスできなかった事の結果である可能性が高い。


批判


それは、スコラ哲学だけでなく神秘主義のあらゆる思索的な要素を拒絶し、排除していますが、同時に、聖書の多彩な多様性を抽象化し、世を離れた人々の為に書かれている為、キリスト教の活動の場としての世界の豊かさを全て無視しています…シエナのカタリナの心の広い準備の代わりに、抑制された憂鬱な諦めが本全体に流れています。世界、利己主義の幻想、思索と積極的な使徒職の危険性についての警告が過剰にあります。この様にして、キリストの模倣という考えさえも支配的な視点にはなりません。神人による仲介、キリストを通して聖霊において父に近づく事については言及されていません。従って、教会の神秘も見えてきません。 神への愛は、隣人への愛と使徒職にまで拡大して初めて満たされるという事を、個人は知らない。残るのは、キリストの下に帰されていない世界からの逃避だけである。ルネ・ジラールは次の様に書いている。


「トマス・ア・ケンピスや彼の有名な『キリストの模倣』がいかに素晴らしい物であろうとも、イエスはその様な意味での禁欲的な生活の規則を提唱している訳ではない。」


フリードリヒ・ニーチェは、この本は「生理的な反応なしには手に持つ事ができない本の1つだ。フランス人、或いはワーグナー愛好家にのみ許される永遠の女性の香りを漂わせている」と述べた。


トマス・ア・ケンピス


トマス・ア・ケンピス(1379年(1380年)-1471年7月25日)は、中世の神秘思想家。彼の著した信心書『キリストに倣いて』(イミタツィオ・クリスティ)は、聖書に次いで最も読まれた本であるとさえ言われる。


生涯


トマスはドイツのケルン北西、ケンペンで1379年(1380年)に生まれ、オランダのアムステルダムの北東ズウォレで1471年7月25日に没した(「ア・ケンピス」はラテン語で「ケンペン出身の」を意味する)。彼は「小さな金槌」という意味の「ヘメルケン」或いは「ヘメルライン」とも呼ばれていた。1395年に共同生活兄弟団の主催する学校に入り、写字生として優れた技能を示した。後にズウォレに近い聖アウグスチノ修道会の修道院に入会を許された。そこでは兄のヨハネスが院長職を務めていた。トマスは1413年に司祭に叙階され、1429年に副院長となった。当時、修道院はユトレヒト司教が教皇に認可されないという紛争の煽りをうけて混乱していた。これがなければトマスは一生を写本と黙想で過ごす静かな修道生活に終始したと考えられている。トマスは生涯に少なくとも四度聖書の完全な写本を完成させている。その内の1つはダルムシュタットに五巻組で保管されている。こうして聖書の教えに熟知した事が、後の著作で聖書を自在に引用する事で生きてくるのである。トマスは神秘思想家のグループに属していた。彼らは当時のヨーロッパにおいてスイスからオランダの広い地域に分布しており、同時にトマスは共同生活兄弟団の創立者ヘールト・フローテに心酔していた。


トマスの著作は霊的生活に関する物であり、書簡、説教、聖リュドビクの生涯、ヘールト・フローテと創立者たちの伝記などを含んでいる。そして何といっても有名な『キリストに倣いて』は、黙想と祈りを通して神にいたる道を説く著作で、当時盛んだった「デヴォツィオ・モデルナ(新しき信心)」の精神をもっともよく表現した著作といわれている。著者については確定を見ていないが、恐らくトマスであるといわれている。 (過去において著者をジャン・ジェルソンと考える説もあったが、これは否定されている。ヘールト・フローテの著作の写本ではないかという説もある。)『キリストに倣いて』は出版以来、世界の各国語に訳され、日本では早くも1596年に『こんてむつす・むんぢ』というタイトル(元はラテン語のCONTEMPTUS MUNDI)で日本語訳が出版されている。(キリシタン版)



出典元・Wikipedia(英語版・Google翻訳)、Wikipedia(日本語版)