ヌルシアの聖ベネディクトゥス


ヌルシアのベネディクトゥス(480年3月2日-547年3月21日)は、聖ベネディクトとも呼ばれ、イタリアのキリスト教修道士、作家、神学者でした。彼はカトリック教会、東方正教会、東方正教会、ルーテル教会、英国国教会、及び旧カトリック教会で崇拝されています。1964 年、教皇パウロ6世はベネディクトをヨーロッパの守護聖人と宣言しました。ベネディクトは、現在のイタリアのラツィオ州スビアコ(ローマの東約65キロ)に修道士の為の12の共同体を設立し、更に南東の中央イタリアの山岳地帯にあるモンテ・カッシーノに移動しました。現在の聖ベネディクト修道会は後に出現し、更に、一般に理解されている「修道会」ではなく、自治的な会衆の連合体です。ベネディクトの主な業績である聖ベネディクトの戒律には、修道士が従うべき一連の規則が含まれています。 この戒律はヨハネス・カッシアヌス(360年頃–435年頃)の著作に大きく影響を受けており、以前の「マスターの戒律」との類似性が高いが、独自のバランス、節度、合理性(エピエケイア)の精神も持ち合わせており、中世を通じて設立された殆どのキリスト教の宗教共同体がこれを採用した。その結果、ベネディクトの戒律は西方キリスト教世界で最も影響力のある宗教規則の1つとなった。この為、ジュゼッペ・カレッティはベネディクトを西方キリスト教の修道制の創始者とみなした。


伝記


モンテ・カッシーノのマルコに帰せられる短い詩を除けば、ベネディクトに関する唯一の古代の記述は、グレゴリウス1世の4冊からなる対話集の第2巻に見られる。これは593年に書かれたと考えられているが、この作品の信憑性については議論がある。


然し、グレゴリウスによるベネディクトの生涯の記述は、現代の意味での伝記ではない。それは、穏やかで規律正しい修道院長の精神的な肖像を提供している。シラクサのマクシミリアン司教への手紙の中で、グレゴリウスは対話集の意図を述べ、イタリアの聖人たちの最も印象的な奇跡の選集(文字通り「花」)の一種であると述べた。グレゴリウスは、ベネディクトの年代順で歴史的に根拠のある物語を書こうとした訳ではなかったが、逸話は直接の証言に基づいていた。 グレゴリーは、自分の権威を確立する為に、自分の情報は、ベネディクトと共に暮らし、様々な奇跡を目撃した一握りの弟子たちから得た物だと説明しています。彼によると、これらの信奉者たちは、モンテ・カッシーノの修道院長としてベネディクトの後を継いだコンスタンティヌス、聖グレゴリーが対話を書いた時にスビアコの修道院長だったホノラトゥス、ヴァレンティニアヌス、シンプリキウスです。


グレゴリーの時代には、歴史は独立した研究分野として認識されていませんでした。それは文法や修辞学の一分野であり、ヒストリアは、当時歴史と考えられていた物を学者が書いた時に発見した事を要約した記述でした。従って、グレゴリーの対話第2巻は、教皇と助祭ペテロとの会話として作られた本格的な中世の聖人伝であり、精神的な教訓を教える為に作られています。


幼少期


彼はウンブリア州ヌルシア(現在のノルシア)のローマ貴族の息子でした。480年が彼の生誕年とすると、彼が学業を放棄して家を出た年はおよそ500年になります。グレゴリーの物語から、彼が当時20歳未満であったと推測する事は不可能です。ベネディクトはローマに留学しましたが、都会の学問生活に失望しました。大都市から逃れようと、彼は召使いと共に出発し、エンフィデに定住しました。スビアコの伝承では現代のアフィレと同一視されているエンフィデは、ローマから約40マイル、スビアコから2マイル離れたシンブルイニ山脈にあります。


エンフィデから少し離れた所に、山々を貫いてスビアコに直接通じる狭く陰気な谷の入り口があります。道は上り続け、道が走る渓谷の側面はますます急勾配になり、洞窟に着くと、この地点より上では山はほぼ垂直にそびえ立ちます。一方、右側では、道は急降下し、ベネディクトの時代には150m下に青い湖の水があった場所に到達します。洞窟には大きな三角形の開口部があり、深さは約10フィートです。エンフィデからの途中、ベネディクトはスビアコのロマヌスという修道士に出会いました。彼の修道院は、洞窟に張り出した崖の上の山にありました。ロマヌスはベネディクトとスビアコに来た目的について話し合い、修道服を与えました。彼の助言により、ベネディクトは隠者となり、3年間、湖の上のこの洞窟に住みました。


晩年


グレゴリーはベネディクトの晩年について殆ど語っていない。彼は今やベネディクトを若者としてではなく、神の男として語っている。グレゴリーによると、ロマヌスはベネディクトにあらゆる方法で仕えた。修道士は頻繁にベネディクトを訪ね、決まった日に食べ物を持ってきたらしい。時折外界と交流し、ロマヌスが訪れる事だけが中断されたこの3年間の孤独の中で、ベネディクトは心と性格の両方で成長し、自分自身と仲間の人間についての知識を深め、同時に周囲の人々に知られるだけでなく尊敬される様になった。その為、近隣の修道院の院長(ヴィコヴァーロと同一視される者もいる)が亡くなった時、コミュニティの人々が彼の下を訪れ、院長になるよう懇願した。ベネディクトは修道院の生活と規律に精通しており、「彼らの習慣は自分とは異なっており、従って決して同意する事はないだろう」と知っていた。然し、遂に彼らの懇願に負けて、彼は同意した。


実験は失敗し、修道士たちは彼を毒殺しようとした。伝説によると、彼らは最初に彼の飲み物に毒を入れようとした。彼がカップに祝福の祈りを捧げると、カップは割れた。こうして彼はグループを離れ、スビアコの洞窟に戻った。近所にフロレンティウスという司祭が住んでいて、嫉妬に駆られて彼を破滅させようとした。彼は毒入りのパンで彼を毒殺しようとした。彼がパンに祝福の祈りを捧げると、カラスが飛んできてパンを持ち去った。この頃から彼の奇跡は頻繁に起こるようになった様で、彼の神聖さと人柄に惹かれた多くの人々が彼の指導を受ける為にスビアコにやって来た。彼に毒入りのパンを送って失敗したフロレンティウスは、何人かの売春婦を使って修道士たちを誘惑しようとした。 更なる誘惑を避ける為、ベネディクトは530年頃にスビアコを去りました。彼はスビアコ近郊に12の修道院を設立し、最終的に530年にローマとナポリの間の丘の上にあるモンテ・カッシーノの偉大なベネディクト会修道院を設立しました。


崇拝


ベネディクトは妹のスコラスティカの死後間もなくモンテ・カッシーノで熱病で亡くなり、同じ墓に埋葬されました。伝説によると、これは547年3月21日に起こったとされています。1964年に教皇パウロ6世によってヨーロッパの守護聖人に任命されました。1980年に教皇ヨハネ・パウロ2世は、キュリロスとメトディオスと共にベネディクトをヨーロッパの共同守護聖人と宣言しました。更に、ベネディクトは洞窟探検家の守護聖人でもあります。テネリフェ島 (スペイン)では、ベネディクトは畑と農民の守護聖人です。この島では、ベネディクトに敬意を表して重要なロメリア(サン・ベニート・アバド地方のロメリア) が開催されており、これは国内で最も重要なロメリアの1つです。


1970年以前の一般ローマ暦では、彼の祝日は3月21日とされていたが、これはヒエロニムスの殉教者列伝やベーダの写本によれば彼の死去した日である。その日には典礼上の記念日が四旬節の遵守によって常に妨げられる為、1969年の一般ローマ暦の改訂では記念日が7月11日に変更された。この日は8世紀末のガリアの典礼書の一部に彼の生誕を祝う祝日として登場する日である。この祝日の起源については不確かな点がある。 従って、ローマ殉教史は3月21日に1行半でベネディクトの命日であり、7月11日に彼の記念日を祝うと述べ、7月11日には7行を費やして彼について語り、彼が3月21日に亡くなったという伝統に言及しています。


東方正教会は3月14日に聖ベネディクトを記念します。


ルーテル教会は7月11日に聖ベネディクトの祝日を祝います。


英国国教会には単一の普遍的な暦はありませんが、各州で聖人の地方暦が発行されています。これらの殆ど全てで、聖ベネディクトは7月11日に記念されます。イングランド国教会では、7月11日に小祭日を執り行い、ベネディクトを偲んでいます。


聖ベネディクトの戒律


ベネディクトは、修道院長の権威の下で共同生活を送る修道士たちの為に戒律を書いた。戒律は73の短い章から成り、その知恵は2つに分かれている。霊的(地上でキリスト中心の生活をする方法)と管理的(修道院を効率的に運営する方法)である。章の半分以上は、従順で謙虚になる方法、そして共同体のメンバーが従順でない場合の対処法について述べている。約4分の1は神の働き(「オプス・デイ」)を規定している。10分の1は、修道院をどの様に、誰が管理すべきかを概説している。ベネディクト派の禁欲主義は、その節度で知られている。


聖ベネディクトのメダイ


この信仰のメダイは、元々聖ベネディクトに敬意を表した十字架から生まれました。メダルの片面には、左手に聖法、右手に十字架を持つ聖ベネディクトの姿が描かれています。片面にはカラスが、もう片面には杯が描かれています。メダルの外側の縁には、「Eius in obitu nostro praesentia muniamur」(死の時に彼の存在によって私たちが強くなります様に)という言葉があります。メダイの反対側には、縦棒に「Crux Sacra Sit Mihi Lux」(聖十字架が私の光となります様に)を意味する頭文字 CSSMLの十字架があり、横棒には「Non-Draco Sit Mihi Dux」(竜に導かれるな)を意味する頭文字NDSMD があります。  CSPBのイニシャルは「Crux Sancti Patris Benedicti」(「教皇ベネディクトの十字架」)の略で、十字架の内角にあります。殆どの場合、十字架の上部には「PAX」(平和)の碑文または「IHS」のキリスト像が刻まれています。こちら側のメダルの縁の周りには、Vade Retro Satanaのイニシャル「VRSNSMV」があり、これは「Vade Retro Satana, Nonquam Suade Mihi Vana」(「悪魔よ立ち去れ、汝の虚栄心を私に唆すな」)を意味し、その後にスペースがあり、SMQLIVBのイニシャルが続きます。これは「汝が差し出す物は悪である、汝自身の毒を飲め」を意味します。


このメダイは、1880年にベネディクト生誕1400年を記念して初めて鋳造され、ジュビリーメダルとも呼ばれていますが、正確な起源は不明です。1647年、バイエルン州メッテン修道院近くのナッテンベルクで行われた魔女裁判で、被告の女性たちは、十字架の保護下にあるメッテンに対して自分たちには力がない、と証言しました。調査により、現在聖ベネディクトのメダイに見られる文字が書かれた十字架が修道院の壁に数多く見つかりましたが、その意味は忘れられていました。最終的に、1415年に書かれた原稿が見つかり、ベネディクトが片手に巻物を持ち、もう片方の手には先端が十字架の杖を持っている絵が描かれていました。巻物と杖には、十字架に含まれる頭文字の全文が書かれていました。その後、メダイはドイツで鋳造され始め、その後ヨーロッパ全土に広まりました。 このメダイは、1741年12月23日と1742年3月12日の教皇ベネディクトゥス14世の勅書で初めて承認されました。


ベネディクトは、世界中の多くのコレクターのコインのモチーフにもなっています。2002年3月13日に発行されたオーストリアの50ユーロ「キリスト教修道会」もその1つです。



聖ベネディクトのロザリオ


恐らく貴方は、通常のロザリオを祈る事に慣れているでしょう。然し、聖ベネディクトへの特別な信仰を加える事で、その力を更に高める事ができる事をご存知ですか?キリストの生涯の神秘についてマリアと共に瞑想すると同時に聖ベネディクトに祈る事は、ロザリオを祈る経験を強化します。エクソシストの守護者、ヌルシアの聖ベネディクトは、悪の力から私たちを守る為にやって来ます。聖母と聖ベネディクトと共に、ロザリオを祈る方法を学びましょう。 


聖ベネディクトのロザリオの祈り方


聖ベネディクトのロザリオとはどの様な物ですか?


聖ベネディクトのロザリオは、聖母マリアに捧げられた他のロザリオと全く同じ様に、5連、ハート、十字架で構成されています。違いは、最後の2つの要素にあります。聖ベネディクトのロザリオの中心は聖ベネディクトのメダイです。そして十字架、聖ベネディクトの十字架、つまり中央に聖ベネディクトのメダルがある十字架です。場合によっては、10の位を区切る粒が聖ベネディクトのメダイに置き換えられる事もあります。


聖ベネディクトのロザリオは何と言うのでしょうか? 


このロザリオは、あらゆる点で通常のロザリオとほぼ同じです。手順は全く同じ方法で示されます。十字架の印、信条、聖父の言葉から始まり、次に3つの聖母マリアの祈りと父への栄光です。


この時点で、聖ベネディクトのメダルから祈りを挿入できます。 


「教皇ベネディクトの十字架。


聖十字架はわが為の光とならん。


龍をわが守りとさせじ。


サタンよ、去れ!


汝の虚しき事物を我に提案するべからず。


お前が与える物は悪のみ。


汝の差し出す飲料は邪悪にして、その毒を汝自身が飲み干さん。


平和。」と祈りの意図を追加する可能性があります。以下はこの時に唱える祈りの例です。


残りは通常のロザリオと全く同じ様に行われます。私たちはマリアと一緒にキリストの生涯のエピソードを瞑想し、大珠で「主祷文」を唱え、次に小珠で10個の「天使祝詞」を唱え、これを5つ全てで唱えます。私たちは「栄唱」と十字架の印で終わります。


なぜ聖ベネディクトのロザリオを唱えるのでしょうか?


ロザリオはそれ自体で既に多くの恵みの源です。聖ベネディクトへの信心を加えると、マリアを無視するどころか、ロザリオの力が強化されます。エクソシストの守護者である聖ベネディクトは、悪の力に対する保護を加えます。聖ベネディクトのメダイと聖母マリアのロザリオは、カトリック教会によって認められた2つの宗教的品物です。この2つを共通の祈りに関連付ける事は、その効果を強めるだけです。


聖ベネディクトのロザリオの祈り


「全能の神よ、貴方は聖ベネディクトにおいて私たちに、貴方に仕え、賛美を歌う事を学ぶ為の父親であり、霊的な指導者を与えて下さいました。キリストの愛よりも何も優先する事なく、聖霊に導かれて、貴方が私たちの為に辿って下さった道を、自由で自信に満ちた心で前進できるよう祈ります。私たちの主イエス・キリストを通して。アーメン。


私たちの父なる神よ、聖ベネディクトの慈悲深い執成しにより、聖なる万国教会の自由と昇栄、私たちの母、司祭、修道院、宗教上の召命、回心の為に私たちが貴方に捧げる祈りを、貴方の慈しみと慈しみの内に聞いて下さい。罪人たちの為に、病人の健康の為に、苦しんでいる人の慰めの為に、生者の救いの為に、私たちの祈りに自らを推薦する、或いは推薦される全ての人々の為に、死者の救済や救出の為に、私たちの家族の為に、私たちの友人たち、そして特に私たちの特別な目的の為に(ここで、願いを唱える)私たちの主、キリストであるイエスを通して。アーメン。」


出典元・hozana(フランス語・Google翻訳)、Wikipedia(英語版・Google翻訳)




おはようございます。一昨日に引き続き、フォロワーさんからの依頼で、昨日も小珠10個の合計6連の「聖ベネディクトのロザリオ」を製作しました。やっぱり、大珠は自分の好きなデザインにしたいなぁ…でも、聖ベネディクトのロザリオやチャプレットは、小珠以外は全て指定されているからなぁ…


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