幼きイエズス


12歳までのイエスの描写


幼きイエズスは、ヒスパニック諸国では、神の子、赤ちゃんイエス、幼児イエス、神の子、子供のイエス、聖なる子、ディヴィーノ・ニーニョ、サント・ニーニョとも呼ばれ、誕生から12歳までのイエスを指します。今日の殆どのキリスト教徒が受け入れている正典の4つの福音書には、イエスの幼少期から12歳の時に神殿で発見されるまでの年月に関する記述が全くありません。


典礼の祝祭


キリストの幼少期と子供時代に関連する典礼上の祝祭には、次の物があります。


イエス・キリスト降誕の祝祭(12月25日)


キリストの割礼の祝祭(1月1日–東方正教会、ローマ典礼の特別形式)


イエスの聖名の祝祭(1月3日–ローマ典礼、その他–各種)


公現の祝祭(ユリウス暦に相当するグレゴリオ暦では1月6日または1月19日)


主の奉献の祝祭(2月2日)


芸術における描写


3世紀または4世紀以降、幼子イエスは絵画や彫刻に頻繁に描かれる様になりました。一般的には、イエスの誕生と、その母マリア、夫ヨセフを描いた降誕の場面です。聖母マリアと赤ん坊の描写は「聖母子」として知られ、東西の伝統における図像学的なタイプです。赤ん坊の頃のシーン、割礼、神殿での献呈、東方三博士の礼拝、エジプトへの逃避などのシーンは一般的です。成長期のシーンはよりまれですが、ない訳ではありません。聖ヨセフ、パドヴァのアントニオ、聖クリストファーは、幼子キリストを抱いている姿で描かれる事がよくあります。キリスト教の神秘主義者である聖人。 アビラのテレサ、リジューのテレーズ、そしてマザー・アンジェリカやジョヴァンニ・リッツォなどのディヴィーノ・ニーニョの信者たちは、幼子イエスの出現を経験したと主張しています。


中世


幼子キリストは、1300年代からヨーロッパの木彫りで人気のあった題材でした。幼子キリストは、サンテロの彫刻家フアン・マルティネス・モンタニェスがこの流行を始めた後、スペインではモンタニェシーノというタイトルでよく知られていました。これらの幼子キリストの像は、ローマ皇帝の古代の描写と同様に、膝の位置が反対方向に反映されるコントラポスト・スタイルで描かれる事が多かったです。これらの像は、スペインとポルトガルの貴族の間で非常に人気がありました。植民地時代の幼子キリストの像は、後期植民地時代にサンテロ文化によって開発された敬虔な慣習である祭服を着用する様になり、魂や聖霊を象徴する鳥であるグロブス・クルシゲルや、その地域や地方に関連する様々な道具を持った姿が描かれました。芸術における幼子キリストの象徴性はルネサンス時代に頂点に達しました。聖家族はレオナルド・ダ・ヴィンチや他の多くの巨匠の作品の中心的なテーマでした。


外典


聖書外典の中には、イエスの誕生と幼少期の記録が記された幼少福音書が含まれている物もあります。これらは時々描写されます。これらの物語は、イエスが幼い頃から並外れた力と知識の才能を持っていた事を示す事を意図していました。よくある話では、幼いイエスが遊び仲間の粘土からスズメを動かしています。安息日にそうする事を叱責されると、後の人生と同様に、イエスは鳥を飛び去らせます。


信仰の像


歴史的に重要な幼子キリストの像がいくつか正典に戴冠されています。具体的には、アレンツァーノのバンビーノ・ジェズとアラコエリのサント・バンビーノ(どちらもイタリア)、プラハの幼子イエス(チェコ共和国)、セブのサント・ニーニョ(フィリピン)です。17世紀、フランスのカルメル会は「ボーヌの小王」への崇拝を推進しました。19世紀後半には、マドリードで「救済の聖子」への信仰が生まれました。


音楽


「キリストの子守唄」は、スコットランドのモイダート発祥のスコットランドキャロルです。カトリックの司祭ラナルド・ランキンが、1855年頃に深夜ミサの歌詞を書きました。彼は元々スコットランド・ゲール語で29節を書きましたが、一般的な英語訳は5節に限られています。メロディーの「Mac Àroisへの哀歌」はヘブリディーズ諸島の物で、海に出ている漁師を守るお守りとして歌われました。リズムは波のリズムを反映しています。ヘブリディーズ諸島では、クリスマスイブの深夜ミサで歌われます。


聖幼子大信徒会


1636年、カルメル会の修道女、聖体拝領のマルガリータ尊者は、神の幼子時代を讃えて、フランスのボーヌに幼子イエスの会を設立しました。その後、オータン司教が聖幼子信徒会を教会法に基づいて設立しました。1639年、ボーヌのカルメル会に幼子イエスに捧げられた礼拝堂が建てられました。ガストン・ジャン・バティスト・ド・レンティは、後に「恩寵の小王」と呼ばれる様になる像を寄贈しました。その後、彼はシュルピス修道会の創設者であるジャン=ジャック・オリエをシスター・マルガリータに紹介しました。オリエはその後、パリのサン・シュルピスに聖幼子への信仰を確立しました。 当時サン=シュルピス教会の司祭であったフランソワ・フェヌロンは、幼子イエスの連祷を作曲した。教皇アレクサンデル7世は1661年1月に同胞団を承認し、ピウス9世は1855年に同胞団を大同胞団とした。


キリスト チャイルド ソサエティ


キリスト チャイルド ソサエティは、1885年にワシントンD.C.でメアリー ・バージニア・メリックによって、地元の恵まれない子供たちを支援する小さな救援組織として設立されました。他の都市にも支部が設立されました。


幼子イエスに捧げられたチャプレット


このチャプレットは、1つの大珠と3つの小珠の12連で構成されています。


おお神よ、来て私を救って下さい。


主よ、急いで私を助けて下さい。



最初の大珠で「栄唱」を唱えます。



第1連☆受胎告知


するとマリアは、「私はここにいます、主の下僕です。お言葉通りにして下さい。」と言いました。 (Lk 1.38)


最も愛しい幼子イエスよ、私たちの永遠の救いの為に、貴方は天から降りてきて、聖霊によって宿り、処女の子宮から生まれました。人の姿をとった肉となった幼子イエスよ、私たちを憐れんで下さい。


「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」


第2連☆訪問


その頃、マリアは山に向かって出発し、すぐにユダの町に着きました。ゼカリヤの家に入ると、彼女はエリザベスに挨拶した。エリザベスがマリアの挨拶を聞くとすぐに、赤ん坊が胎内で飛び跳ねました。エリサベトは聖霊に満たされて大声で叫びました。「貴女は女性の中で祝福されています、そして貴女の子宮の実も祝福されています!なぜ主の母親に来て貰う必要があるのでしょうか?見よ、貴女の挨拶の声が私の耳に届くとすぐに、その子は私の胎内で喜びを感じました。そして主の言葉が成就すると信じた者は幸いである。」 (ルカ 1,39-45)


貴方の母である聖母を通してエリザベスを訪れ、貴方の先駆者である洗礼者ヨハネを母の胎内で聖別し、聖霊で満たして下さった、最も愛しい幼子イエスよ、私たちを憐れんで下さい。


「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」



第3連☆約束


「私の魂は主を讃え、私の霊は私の救い主である神を喜びます。神はその僕の謙虚さを見て下さったからです。これからは、あらゆる世代が私を祝福者と呼ぶでしょう。全能者は私に偉大な事をして下さいました。その御名は聖です。代々、彼の慈悲は彼を恐れる人々にまで及びます。彼はその腕の力を示し、心の中で高慢な者たちを打ち砕いた。彼は有力者を王座から転覆させ、謙虚な者を高めた。彼は飢えている人を良いもので満たし、金持ちを手ぶらで送り返しました。彼は、私たちの先祖、アブラハム、そしてその子孫に永遠に約束した様に、彼の憐れみを忘れずに、下僕イスラエルを助けました。」 (ルカ 1,46-55)


聖母マリアの貞淑な腸の中に9か月間閉じられ、彼女と聖ヨセフによって心から望まれ、世界の救いの為に父なる神に捧げられた最も愛らしい幼子イエスよ、私たちを憐れんで下さい。


「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」



第4連☆主の降誕


「当時、カエサル・アウグストゥスからの法令により、全土の国勢調査を行うよう命じられました。この最初の国勢調査は、キリヌスがシリア総督だった時に行われた。彼らは皆、それぞれ自分の都市に登録する為に行きました。ダビデの家と家族の一員だったヨセフも、妊娠していた妻マリアと一緒に登録する為に、ナザレとガリラヤの町からユダヤのベツレヘムと呼ばれるダビデの町に上りました。さて、彼らがその場所にいる間に、彼女は出産の日を迎えました。彼女は長男を出産し、産着に包んで飼い葉桶に寝かせました。宿屋には息子を置くスペースがなかったからです。その地域には羊飼いがいて、夜も見張りをして群れを守っていました。主の天使が彼らの前に現れ、主の栄光が彼らを光で包みました。彼らは大きな恐怖に襲われましたが、天使は彼らにこう言いました。「主なるキリストである貴方に。これは貴方への印です。貴方は、産着に包まれて飼い葉桶に横たわっている子供を見つけるでしょう。」するとすぐに、天の軍隊の大群が天使と共に現れ、神を賛美し、こう言いました。「いと高き所には神に栄光があり、地には神の愛する人々の間に平和があります様に。」


天使たちが天に帰る為に出発するとすぐに、羊飼いたちは互いに言いました、「ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせて下さったこの出来事を見ましょう。」それで彼らはすぐに行って、マリアとヨセフと飼い葉桶に横たわっている子供を見つけました。そして、彼らは彼に会った時、その子供について聞かされた事を報告しました。聞いていた人たちは皆、羊飼いたちの言った事に驚きました。マリアはこれら全ての事を心に留め、心の中で瞑想しました。

それから羊飼いたちは戻ってきて、言われた通り、聞いた事、見たこと全てについて神を賛美しました。(ルカ2、1-20)


ベツレヘムで聖母マリアから生まれ、質素な服に身を包み、飼い葉桶に置かれ、天使たちに告げられ、羊飼いたちが訪れた、最も愛らしい幼子イエスよ、私たちを憐れんで下さい。


おお、処女から生まれたイエスよ、貴方に栄光あれ、父と聖霊に永遠に栄光あれ。それでいいのです。


イエス様が私たちと共におられます。さあ、彼を礼拝しましょう。


「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」



第5連☆割礼


「割礼の為に定められた八日間が経過した時、彼の名はイエスと呼ばれた。母親の胎内に宿る前に天使によって呼ばれていたのと同じである」(ルカ2・21)


8日目に割礼を受け、イエスの栄光の名を呼び、貴方の血と御名によって救い主の使命への序章となった最も愛らしい子よ、私たちを憐れんで下さい。


「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」


第6連☆東方の三博士の崇拝


「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムで生まれました。東方からエルサレムにやって来た賢者の中にはこう尋ねた「ユダヤ人の王として生れた者はどこにいるのか?」私たちは彼の星が昇るのを見て、彼を崇拝する様になりました。」ヘロデ王はこれらの言葉を聞いて、エルサレム全体も含めて悩みました。民の大祭司と律法学者たちを全て集めて、彼は彼らにメシアが生まれる場所について尋ねた。彼らは彼に答えた、「ユダヤのベツレヘムに、預言者を通してこう書いてあるからです。


「そして、ユダの地ベツレヘムよ、あなたは実際にはユダの最小の首都ではありません。リーダーは貴方から来るからです。誰が私の民イスラエルを牧するだろうか。」


それからヘロデは密かに東方三博士たちに、星が現れた正確な時刻を告げさせ、ベツレヘムに送り、次の様に勧めた。「行って、その子の事をよく調べて、見つけたら私に知らせて下さい。私も行きます」と言った。


王の言葉を聞いて、彼らは出発しました。そして見よ、彼らが昇る時に見た星が彼らの前を進み、遂にそれは子供のいた場所の上に来て止まりました。彼らはその星を見た時、大きな喜びを感じました。彼らが家に入ると、子供が母親のマリアと一緒にいるのが見え、ひれ伏して彼を拝みました。それから彼らは胸を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として差し出しました。そして、ヘロデの元に戻るなと夢で警告されたので、彼らは別の道を通って自分たちの国に戻った」(マタイ2・1)


可愛い子イエスよ、その星は貴方を崇拝する為に遠くから来た賢者の導き手でした。貴方がいた場所の貧困にも拘らず、彼らは貴方を王家の血統として認め、黄金、香、没薬を貴方に与えました。私たちは貴方にお願いします。私たちを憐れんで下さい。


「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」


第7連☆主の奉献


「モーセの律法に従って清めの時が来た時、彼らは主の律法に書かれている通り、主に捧げる為にその子をエルサレムに連れて行きました。全ての男子初子は主に神聖な者となります。そして主の律法が定めている様に、キジバトのつがいか若いハトを生贄として捧げます。さて、エルサレムにはシメオンという名の男がいた。義人で神を畏れる人で、イスラエルの慰めを待っていた。彼の上におられる聖霊は、まず主のメシアを見る事なくして死を見る事はないだろうと彼に予告されました。そこで彼は御霊に動かされて神殿に行きました。そして両親が律法を成就させる為に赤ん坊のイエスをそこに連れてきた間、イエスは腕に抱いて神を祝福しました。


「さあ、貴方の僕にさせて下さい。主よ、貴方の言葉に従って平和に行きなさい。私の目は貴方の救いを見たので、貴方が全ての民の前で準備した者、人々を照らす光そして貴方の民、イスラエルの栄光を」


イエスの父親と母親は、イエスについて言われた事に驚きました。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに次の様に語りました。そして剣は貴女の魂も突き刺すだろう。」


アシェル族のファヌエルの娘アンナという女預言者もいました。彼女は非常に高齢で、少女の頃から夫と7年間暮らし、その後未亡人となり、現在84歳でした。彼は神殿を離れる事はなく、昼も夜も断食と祈りをもって神に仕えました。その瞬間に到着した彼女はまた神を賛美し始め、エルサレムの救いを待っている人々にその子の事を語りました。」 (ルカ 2、22-38)


聖母によって神殿に捧げられ、年老いたシメオンの腕に抱かれた貴方の母であり、女預言者アンナによってイスラエルに現された、最も愛らしい幼子イエスよ、私たちを憐れんで下さい。


「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」


第8連☆エジプト逃避


「彼らがちょうど出発した時、主の天使が夢の中でヨセフに現れてこう言いました。「起きて、一緒に連れて行って下さい」


ヘロデが子供を殺そうとしているので、子供とその母親はエジプトに逃げ、私が警告する迄そこに留まりなさい。」ヨセフは目を覚まし、夜の内に子供と母親を連れてエジプトに逃げ、主が預言者を通して言われた事が成就する様に、ヘロデの死までそこに留まりました。」(マタ2,13-15)。


邪悪なヘロデに殺されるよう求められましたが、聖ヨセフと貴方の母と共にエジプトに逃げる事によって残酷な虐殺から救われた、最も愛らしい幼子イエスよ、私たちを憐れんで下さい。おお、処女から生まれたイエスよ、貴方に栄光あれ、父と聖霊に永遠に栄光あれ。それでいいのです。


イエス様が私たちと共におられます。さあ、彼を礼拝しましょう。


「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」


第9連☆エジプトでの滞在


貴方が至聖なる母、そして貴方の最も優しい養父である聖ヨセフと共にエジプトで暮らしていた時、流刑の犠牲と屈辱に耐えられた、最も愛しい幼子イエスよ、私たちを憐れんで下さい。


「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」


第10連☆エジプトからの帰還


「ヘロデが死んだ時、主の御使いがエジプトにいるヨセフに夢の中で現れてこう言いました。「起きて、その子とその母親を連れてイスラエルの地に行きなさい。そして、その子を連れてイスラエルの地に行きなさい。子供の命を脅かした人たちは死んでいるからです。」彼は立ち上がって、子供と母親を連れてイスラエルの地に入った。然し、アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤの王である事を知り、そこに行くのを恐れました。夢の中で警告を受けて、彼はガリラヤ地方に撤退し、到着するとすぐにナザレと呼ばれる都市に住み始めました。それは、預言者が言った事が成就する為です。「彼はナザレ人と呼ばれるでしょう。」(マタ 2,19-23)


最も愛しい幼子イエスよ、エジプトからイスラエルの地に戻り、辛い旅のあらゆる困難に耐え、聖なる両親と共にナザレの街に撤退されました。幼子イエスよ、私たちを憐れんで下さい。


「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」


第11連☆ナザレでのイエスの生涯


「彼らは主の律法に従って全てを終えると、ガリラヤのナザレの町に戻った。その子は成長し、強くなり、知恵に満ち、神の恵みが彼の上にありました。」 (ルカ 2,39-40)


「ナザレでは彼は彼らに服従した。彼の母親はこれら全ての事を心の中に保管していました。そしてイエスは知恵と年齢を増し、神と人々に好意的になられた」(ルカ 2,41-52)


ナザレの聖なる家に住んでいた最も優しい子イエスよ、謙虚に貴方の両親に服従し、貴方は貧しさと労苦の中で年齢を重ね、知恵と恵みを身に着けました。私たちを憐れんで下さい。


「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」



第12連☆少年イエス


「彼の両親は過越の祭りの為に毎年エルサレムに行きました。彼が12歳になると、習慣に従って彼らは再び登りました。然し、祭りの日が終わって、彼らが帰路に戻る間、少年イエスは両親に気づかれずにエルサレムに留まりました。


彼がキャラバンにいると信じて、彼らは一日旅行し、その後親戚や知人の間で彼を探し始めました。イエスを見つけられなかったので、彼らはイエスを探す為にエルサレムに戻りました。3日後、彼らは彼が神殿で医師たちの間で座り、医師たちの話を聞き、質問しているのを発見した。そして彼の話を聞いた人は皆、彼の知性と答えに驚きました。彼らは彼を見て驚き、彼の母親は彼に言った、「息子よ、なぜ私たちにこんな事をしたのですか?見よ、貴方のお父さんと私は心配して貴方を探していました。」そして彼は答えた。「なぜ私を探していたのですか?私が父の用事について話しているに違いない事を知らなかったのですか?」然し彼らは彼の言葉を理解できませんでした。(ルカ 2,41-)


12歳でエルサレムに連れて行かれ、マリアとヨセフが心配そうに探し、3 日後に神殿で医師たちの間で発見された、最も愛らしい幼子イエスよ、私たちを憐れんで下さい。


処女から生まれたイエスよ、貴方に栄光あれ。父と聖霊に栄光が永遠にあります様に。それでいいのです。


イエス様が私たちと共におられます。さあ、彼を礼拝しましょう。


言葉は肉となった。そして彼は私たちの間に住んでいました。


「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」



出典元・piccolifiglidellaluce(イタリア語・Google翻訳)、Wikipedia(英語版・Google翻訳)




おはようございます。昨日は「幼子イエスに捧げられたチャプレット」専用ロザリオを、製作しました。この専用ロザリオ…私は当初、全部で11連だと思い込んでおりました。主イエズスの御生涯の33年を表した数だと思い込んでいたんです。でも、改めて数え直してみたら、全部で12連のチャプレットの祈りでした。



 

 

 

 

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