カシアの聖リタ


マルゲリータ・ロッティという名前で洗礼を受けたカッシャの聖リタ(ロッカポレーナ、1381年-カッシャ、1457年)は、イタリア語で「リタ・ダ・カッシャ」といい、イタリアの修道女で、カトリック教会で最も人気のある聖人の1人であった。彼女の名前は恐らくマルゲリータの略称です。その代表的なシンボルはバラ、イチジク、ポピーです。彼女はサンタ・マリア・マッダレーナ修道院のイタリア人修道女でした。1626 年に教皇ウルバヌス8世によって列福され、1900年に教皇レオ13世によって列聖されました。


バイオグラフィー


マルゲリータは、1381年にカッシャの町の西5kmにあるロッカポレーナ村で5月22日に生まれ、1457年5月22日に76歳で亡くなった。彼女は修道女になりたかったが、14歳の時、両親は彼女をパブロ・マンチーニという名の町民と結婚させた。彼女は夫と共に苦しみの連続でしたが、祈りで自分を慰め、夫の残酷さに優しさで返し、何年にも渡ってキリストへの回心を達成しました。彼らにはヤコボとパオロという2人の双子の息子がいました。ある日、ロッカ・ポレーナ村の監視員として働いていたマンチーニは、過去の悪行により多くの敵を抱えていたが、待ち伏せされて殺害された。かつては未亡人だったが、ポールが安らかに死ねた事に安心したリタは、カシアにある聖マグダラのマリア修道院(1256年設立)への入学を求めたが、処女のみが許されていた為、受け入れられなかった。1年後(1417年)、彼の2人の思春期の息子も亡くなりました。2人は同時に亡くなり、自然死でした。リタはキリストに会う為に彼らを完全に備えさせました。彼は彼らの魂への英雄的な愛を込めて、彼らが父親の殺害の復讐を計画しているのではないかと恐れた為、ティーンエイジャー2人の死を懇願した(復讐の法則)。こうして彼らは復讐の罪を犯し、その罪で魂は永遠に罪に定められる事になるでしょう。2人共、病気になって亡くなり、母親にも自分たちが引き起こした全ての苦痛に対する許しを求めました。もはや家族の義務ではなくなったリタは修道院に受け入れられ、修道女の習慣を受け、後に信仰告白をしました。彼女は36歳でした。修道院でリタは祈りと悔い改めの生活に専念しました。


汚名を着せられた


言い伝えによると、1428年のある朝、リタはキリストの手から長い木の破片が額の骨に突き刺さりました。それは神の汚名であり、イエス・キリストが十字架上で示した茨の冠の跡でした。彼らはその破片を取り除き、神聖な遺物として保管しました。毎朝、柱頭は自然に再び開き、やがてバラの強い香りが漂い始め、奇跡的にその香りは生涯、そして亡くなった後も残り続けました。1453年、リタは重病で床に伏しました。その瞬間から、常に初心者の世話を受けながら、額の傷は徐々に塞がりましたが、リタは人生の最後の4年間を血液感染症と共に過ごしました。


リタのバラ


聖リタのシンボルの1つがバラです。 老後、彼女は夫に貧しい人々に食事を与える事を禁じられたと語った。 ある日、彼女が服の下にパンを持って家を出ようとした時、マンチーニは彼女に立ち向かい、彼女のドレスを脱がせました。然し、パンは奇跡的にバラに変わりました。この物語はポルトガルの聖イザベルやアルカラの聖ディエゴにも起こったと言われています。彼女の人生の終わりに、ロッカ・ポレーナの村から従弟が彼女を訪ねてきました。彼は彼女に何か欲しい物はないか尋ねると、リタは修道院の庭からバラを持ってくる様に彼に頼みました。真冬、従弟は何も見つからないと思っていたが、バラの蕾を見つけたから驚く事になる。彼はそれをリタに持って行きました。そのバラは、リタに対するキリストの愛と、不可能な原因の為に執成すリタの能力を表すでしょう。彼女は通常、バラを持っているか、足元の床にバラを置いた状態で描かれています。5月22日の彼女の祝日には、世界中のサンタ・リタ教会、或いは聖アウグスティヌス修道会とアウグスティヌス回想修道会が運営する教会が敬虔な参加者にバラを配り、ミサ中に司祭が祝福をします。


サンタ・リタのミツバチ


言い伝えによると、洗礼を受けた直後、白いミツバチがリタの口に出入りしたが、彼女に害を与える事はなかった。このミツバチのエピソードが初期のリタの伝統に属している事は疑いの余地はありませんが、必ずしも超自然現象とは考えられていません。いずれにせよ、教皇ウルバヌス8世は多大な関心を示し、教皇の盾にミツバチを乗せて運ぶ事に加えて、明らかに世界で唯一と思われるこの種のミツバチの行動を個人的に研究する事に尽力した。ウルバヌス8世は、謎のミツバチの事を知っていて、その中の1匹をローマにいる自分の所に連れてきてほしいと頼みました。慎重に検査した後、彼は彼女に絹の糸を結び、彼女を解放しました。この個体は後に138キロ離れたカシア修道院の巣で発見された。リタがアウグスティヌス会の修道女として生き、亡くなった古い修道院では、今日でも「ムラリア」蜂を見つける事ができます。壁の中に住んでいる事からそう呼ばれています。信心深い人々は、彼らを「聖リタのミツバチ」と呼ぶ事を好んでいますが、それは、彼女の洗礼の数日後に彼女のベビーベッドを囲んでいた神秘的なミツバチと関係があるからです。然し、カシアでは、「聖リタの蜂」は修道院の壁の中だけでなく、その隣にも住んでいます。これは、カシアの福者テレサ (マザー・テレサ・ファシェ)が望んだ後であり、彼は1938年に「聖リタの巣」を設立しました。この施設は、貧しい子供たちが逞しく成長する為の援助を受け、その後人生を旅立つ多の活動です。言い伝えによると、彼女が赤ん坊の頃から、籠の中で寝ていると白いミツバチが彼女の口に集まってきて、彼女を傷つける事なく、また少女が両親に知らせる為に泣き叫ぶ事もなく、甘い蜜を彼女の中に注ぎ込んできたという。農民の1人は、何が起こっているのかを見て、負傷した腕でミツバチを追い払おうとしました。彼の腕はすぐに治りました。聖リタの死から200年後、カシア修道院で奇妙な事が起こりました。白いミツバチは毎年聖週間になると修道院の壁から現れ、5月22日の聖リタの祝日まで留まり、翌年の聖週間まで活動を停止しました。ミツバチが伝統的に翌年まで留まる壁の穴は、今日修道院を訪れる巡礼者たちからはっきりと見える。




リタは1457年5月22日にアウグスティヌス修道院で亡くなりました。人々は彼女の遺体に最後の敬意を表する為に現場に集まりました。遺体は(防腐処理が施されているかの様に)強烈な甘い香りを放っていました。 彼女の体は今日まで保存されています(但し、かなりの脱水症状がありました)。 修道女の取り次ぎによって奇跡的な治癒が起こったという噂が広まり始めた。 こうしてリタへの信仰はイタリア全土に広がりました。


正規化


リタは1627年にローマ教皇ウルバヌス8世によって列福されました。その私設秘書ファウスト枢機卿ポーリは、リタの出生地であるロッカポレーナから15キロ離れた場所で生まれました。1900年5月24日、彼女は教皇レオ13世によって列聖されました。聖リタの祝日は5月22日です。



スポンサーシップ

聖リタは以下の守護聖人です。


病気、傷、夫婦の問題、あり得ない原因、損失、虐待、お母さんたち、結婚、家族、平和、困難で絶望的なケースの場合、失われた原因


彼女の列聖に続いて、20世紀初頭に聖リタの大きな聖域、カシアの聖リタ大聖堂がカシアに建てられました。ここと、彼の生誕地に建てられたロカポレーナの家は、ウンブリア州で最も活発な巡礼地です。スペインでは彼女は不可能の聖者と呼ばれ、彼らの大義の為の弁護士です。メキシコでは、彼女は困難な原因の弁護士と呼ばれています。彼女はスペインでは公務員の守護聖人としても知られていますが、その由来は恐らく宗教的な物ではなく、彼女の人生とは関係なく、寧ろ「聖リタ、リタ…与えられる物」という一般的な諺に由来していると思われます。彼らの仕事は一生続く物であり、一度獲得した仕事を失うのは非常に難しいという事実に関連して、「削除」する訳ではありません。彼女に捧げられた最古の聖域の1つはチワワ市にあり、その歴史は1731年に遡ります。聖リタ寺院は恐らく彼女を讃えて建てられた全米最古の礼拝所です。この聖人に敬意を表して、市内中心部にほど近い場所で毎年人気の祭りが開催されました。祭りは世俗化し、発祥の地から遠く離れたお祭りになってしまいました。この祭りの名残が「サンタ・リータ・エンパナーダ」です。 この聖人は市の守護聖人ではありませんが、一般的には考えられています。アルゼンチンでは、彼女はチャコ県のプエルト・チロルとコリエンテス県のエスクイナ市の守護聖人です。彼女はラ・リオハ州チレシト市の守護聖人であり、1989年に彼女の主な教会がサンタ・リタ教区の聖域として宣言されました。 同様に、彼女はサルタ県でも崇拝されており、彼女の聖遺物の1つがサルタの首都にあるサンタ・リタ・デ・カシア教区に保存されている(国内で一般公開されているのは4番目)。



聖リタのロザリオ


癒しと解放神にとって不可能な事は何もない


この祈りの為に、聖リタへの献身のロザリオがあります。


このロザリオは、聖リタのメダイと1つの大珠、7つの小珠と1つの大珠の3連で構成されています。

1-メダイに十字架の印を書きます


2-最初の大珠で、「主祷文」を唱えます


3-最初の7つの小珠には、7つの「天使祝詞」が次の文節と共に唱えられています。神の母聖リタの取り次ぎによって私たちの罪の赦しを喜んで与えて下さいます様に、私たちの哀れな罪人の為に、今もそして私たちの死の時も祈って下さい。


大珠で「栄唱」を唱えます。


5-次の7つの小珠で、次の条項を含む7つの「天使祝詞」が暗唱されます。「そして、貴女の子宮の果実であるイエスは祝福されています。イエスは、聖者の取り次ぎを通して、私たちを体と魂の全ての悪から救い出したいと望んでいます。」


大珠で「栄唱」を唱えます。


7-最後の7つの小珠で、私たちはこの最後の節で7つの「天使祝詞」を唱えます。「そして、聖リタの取り次ぎを通して、私たちの全ての必要と懸念において私たちを助けたいと望んでいるイエス、貴女の子宮の子は祝福されています。」


8.最後は「栄唱」で終わります。



出典元・guerisonetdelivrance、Wikipedia(スペイン語版・Google翻訳)





おはようございます。昨日は「聖リタのロザリオ」専用ロザリオを製作しました。今まで、聖リタのチャプレットやロザリオは何種類か製作したけど、今回のは小珠が7個で3連の専用ロザリオです。聖リタのチャプレットやロザリオは、物によっては小珠の色が「青🔵」と指定されている物も有ります。でも、今回の聖リタのロザリオは色指定の記載が無いので、ピンクと白バラで纏めてみました。



 

 

 

 

 

 

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