守護の天使

守護天使は、特定の個人、団体、または国家を保護し、導く為に割り当てられた天使の一種です。守護存在への信仰は、古代を通じて追跡する事ができます。人々を守る天使の考えは、古代ユダヤ教で大きな役割を果たしました。キリスト教では、天使の階層は、5世紀に偽ディオニュシウス・アレオパギテスによって広範囲に展開されました。天使と守護霊の神学は、5世紀以来多くの変化を遂げてきました。守護天使は、神が任命した人を守る為に働くという信念です。守護天使という考えは、ドイツのカバラ学者アブラハム・オブ・ヴォルムスが15世紀に書いた『魔術師アブラメリンの聖なる魔術の書』の中心をなす物です。1897年、この本は黄金の夜明け団の共同創始者であるサミュエル・リデル・マグレガー・マザーズによって英訳され、マザーズは守護天使を聖なる守護天使と名付けました。

ゾロアスター教
アルダ・フラヴァシュ(「聖なる守護天使」)としても知られています。各人には守護天使が付き添い、生涯を通じてガイドとして機能します。守護天使は元々天国の城壁の境界を巡回していましたが、自ら進んで地上に降りてきて、個人の人生の終わりまで傍らにいます。

ユダヤ教(ヘブライ語聖書)
守護天使の概念はヘブライ語聖書の書物に存在し、その発展は顕著です。これらの書物では、神の天使は神の命令を遂行する神の使者として描かれ、時には人々や日常の事柄に関して特別な任務を与えられました。創世記18-19章では、天使は平原の町々に対する神の怒りの執行者として行動しただけでなく、ロトを危険から救いました。出エジプト記32:34では、神はモーセに「私の天使が貴方の前に進みましょう」と言いました。トビアスの物語は、大天使聖ラファエルがその主人公を導き、助ける事に関する物です。詩篇91:11には、「主は貴方について御使いたちに命じて、貴方の行く道全てで貴方を守らせられる」とあります。天使が人間を導き、執成す存在であるという信仰は、ヨブ記33:23-26に見られ、ダニエル書10:13では天使が特定の国に割り当てられている様です。後者の場合「ペルシャ王国の王子」がガブリエルと争っています。同じ節には「主要な王子の1人、ミカエル」について言及されています。

ラビ文学
ラビ文学では、ラビは、人々を見守る為に神によって任命された守護天使が確かに存在するという考えを表現しました。
ダニエル書10:7のラシ「私たちの聖なる記憶の賢者は、人が恐れる物を見なくても、天国にいる守護天使はそれを見ているので、人は恐れる様になる、と言いました」
ライラは受胎と妊娠を司る夜の天使です。ライラは人の生涯を通じて守護天使として働き、死後、魂を死後の世界へと導きます。

後期ユダヤ教と現代ユダヤ教
ラビのレオ・トレップによると、後期ユダヤ教では「人々には天の代表者、守護天使がいる。全ての人間には守護天使がいる。以前は、マラーク(天使)という言葉は単に神の使者を意味していた」という信仰が生まれた。チャバド派は、人々には確かに守護天使がいると信じています。チャバド派にとって、神は人々を見守り、祈りによって直接決定を下します。この文脈において、守護天使は使者としてこの任務を助ける為に行き来します。従って、天使に直接祈られる事はありませんが、祈りと応答がどの様に起こるかという仕組みの一部は天使です。
ラビのアディン・シュタインザルツの見解では、「天使の本質は、ヘブライ語で天使の名前が意味する様に、ある程度、私たちの行動の世界と高次の世界との永続的な接触を構成する使者である事です。天使の使命は2つの方向にあります。それは、神の使者として下に向かう事もあれば、下から上へ物事を運ぶ者として働く事もあります。天使は、存在、感覚、知覚手段が行動の世界にのみ属している人間に、その真の姿を明かす事はできません。何らかの形で理解されたとしても、天使は別の次元に属し続けます。別の世界から私たちの所に送られた天使は、必ずしも通常の物理的自然の法則を超えた意味や影響力を持っている訳ではありません。実際、天使が自然の中で、因果関係の通常の常識的な世界で正確に姿を現す事はよくあります」ユダヤ教には、特定の保護機能を持つ天使についての言及があります。その一例は、アルザス、スイス、南ドイツの一部のアシュケナージ系ユダヤ人が行っていた出産保護の儀式に見る事ができます。妊婦と新生児には、天使セノイ、サンセノイ、セマンジェロの名前が書かれたお守りが与えられます。これらの天使は、妊婦と新生児をリリスから守る事になっていました。これは、神がリリスをアダムの元に連れ戻す為に3人の天使を遣わしたリリスの物語にまで遡る事ができます。彼らはこの任務に失敗しましたが、リリスは子供たちに危害を加える為に創造された事を認めています。彼女は、3人の天使の名前や肖像を持っている子供たちを助ける事を約束します。
サマエルはローマの守護天使であり王子であり、イスラエルの大敵であると特定されました。ヨーロッパでユダヤ文化が始まった頃には、サマエルはローマとの同一視によりキリスト教の代表者として確立されていました。

キリスト教(新約聖書)
新約聖書では守護天使の概念が注目されるかもしれません。天使はどこでも神と人間の仲介者であり、キリストは旧約聖書の教えに封印をしました。
「これらの幼子たちを1人でも軽んじない様に気をつけなさい。貴方がたに言うが、彼らの天使たちは天にいて、天におられる私の父の御顔をいつも見ているのだ。」(マタイ18:10)。
守護天使は個人と人々のコミュニティの両方の為に働きます。黙示録2:1–29と黙示録3:1–22は、守護者として働くアジアの7つの教会の天使について述べています。

ローマカトリック教会
聖ヒエロニムスによれば、守護天使の概念は「教会の精神」の中にある。彼は「魂の尊厳は何と偉大な事か。なぜなら、人は生まれた時から、それを守る為に任命された天使を持っているからだ」と述べた。守護天使の具体的な計画を概説した最初のキリスト教神学者は、12世紀のオータンのホノリウスである。彼は、全ての魂は肉体に宿った瞬間に守護天使が割り当てられると述べた。スコラ神学者は天使の守護者の分類を拡張し、整理した。トマス・アクィナスはホノリウスに同意し、守護者として働くのは天使の最も低い階級であると信じ、彼の見解は一般の思想の中で最も成功したが、ドゥンス・スコトゥスは、どの天使も神の権威に対する義務と服従によって、その天使に割り当てられた使命を受け入れる義務があると述べた。15世紀には、守護天使の祝日がカトリックの公式祝日カレンダーに追加されました。1997年3月31日の「レジーナ・カエリ」演説で、ヨハネ・パウロ2世は守護天使の概念に言及し、演説を次の様に締め括りました。「天使と聖人の女王に祈りを捧げましょう。守護天使に支えられ、主の復活の神秘の真の証人になれる様、彼女がお許し下さる様」 
 アイルランドには古くから、就寝時の祈りに聖母マリアに守護天使の名前を教えて欲しいとお願いする習慣があり、数日以内にその名前で天使に呼びかける事ができる様になると言われていました。ドミニコ会の古い伝統では、修練生1人1人に守​​護天使に名前を付けるよう奨励し、名前で話しかける事で守護天使とより親しく親しくなる様にしていました。典礼秘跡省は、聖書に啓示されているミカエル、ガブリエル、ラファエル以外の天使に名前を付ける事を推奨していません。ニューマン枢機卿の1865年の詩「ジェロンティアスの夢」では、亡くなった魂が守護天使と出会います。オプス・サンクトルム・アンジェロルムはカトリック教会の公的団体で、キリスト教徒は会員として参加する事ができ、「聖なる天使が私たちをより効果的に神に導く事ができる様に、教会によって承認された奉献を通して聖なる天使への信仰と彼らとの契約の絆」を促進する事を目的としている。オプス・サンクトルム・アンジェロルムには聖守護天使の兄弟会があり、2年間の養成期間に入ると参加資格が得られる。

守護者としての天使
アキナスによれば、「この道では、人間は内外から多くの危険に脅かされる。その為、危険な道を通る人間には守護者が任命されるのと同様に、旅人である限り、各人間には天使が割り当てられる」。天使を通して、神は人間が正しい事を行える様に導くイメージや示唆を与えると言われている。

聖人と天使
ジョヴァンニジュゼッペ・カリファーノ神父は、ある日、新しく任命された司教が教皇ヨハネ23世に「職務の責任からくる不安で夜眠れない」と告白した様子を語りました。「教皇は彼にこう言いました。『ご存じの通り、私も教皇に選ばれた時、同じ事を考えていました。然しある日、私は自分の守護天使の夢を見て、全てをそれほど深刻に受け止めない様にと告げられました』」。教皇ヨハネは、第二バチカン公会議を召集するというアイデアを、自分の守護天使からの啓示による物としました。ローマカトリックの神秘主義者、聖ジェンマ・ガルガーニは、自分の守護天使と交流し、話をしたと述べています。聖ピオ・ピエトレルチーナは、教区民が自分の所に行く事ができない時や、別の緊急事態が発生した時に、守護天使を送ってトラブルや問題を伝える様に指示した事で知られています。

英国国教会
英国カトリック神学図書館に所蔵されている「天使と聖人の執成しと祈願について」では、「多くの学識あるプロテスタントは、少なくとも信者1人1人には守護天使がいる可能性が高いと考えている。それは聖書によって確かに証明されている様だ。ザンキウスは、全ての教父がこの意見を持っていたと述べている」としている。17世紀のノーリッチの英国国教会の主教リチャード・モンタギューは、聖典と教父の教えに基づいて「アダムの息子である全ての人ではないにしても、水と聖霊によって再生した全てのキリスト教徒は、少なくとも再生して神の下に新たに生まれた日から、例えこの世に生まれた時からではないとしても、神の任命と任命により、あらゆる試練、あらゆる道、出かける時、家に帰る時に付き添う守護天使がいるというのは、長い間受け入れられてきた意見である」と述べました。

東方正教会
セルゲイ・ブルガーコフは、東方正教会は次の様に教えていると書いています。「全ての人間には、神の前に立つ守護天使がいます。この守護天使は、悪から守り、善い考えを送る友人であり保護者であるだけではありません。神のイメージは、天使と人間という被造物に反映されており、天使は人間の天上の原型です。守護天使は特に私たちの精神的な親族です。聖書は、要素、場所、人々、社会の保護と指導は宇宙の守護天使に委ねられていると証言しており、その本質自体が、彼らが見守る要素に何らかの調和を加えています」

従って、東方正教会の信徒の交わりの典礼の前に、祈りが「平和の天使、忠実な導き手、私たちの魂と体の守護者の為に、主に懇願しましょう。アーメン」と尋ねます。

ルーテル教会
マルティン・ルターの小教理問答書にある朝の祈りと夕べの祈りには、「貴方の聖なる天使が私と共にいて下さいます様に。そうすれば、邪悪な敵は私に何の力も及ぼしません」という祈りが含まれています。ルーテル教会の司祭であるドナルド・シュナイダーは、マルティン・ルターがこれらの祈りを詩篇91篇に基づいていた可能性があると述べています。詩篇には「神は貴方について、貴方の行く道全てで貴方を守る様に天使たちに命じられる。彼らは貴方の足を石に打ち付けない様に、両手で貴方を支えるだろう」という一節があります。

メソジスト教会
メソジスト派の牧師であり神学者でもあるジョン・W・ハナーは、著書『天使研究』の中で守護天使について次の様に書いています。

「恐らく、全てのキリスト教徒には守護天使がいます。キリスト教徒1人につき1人の天使がいるかもしれませんし、20人いるかもしれません。或いは、20人のキリスト教徒を1人が担当しているかもしれません。古代の父祖の中には、全ての都市に守護天使がいると信じていた人もいれば、全ての家や全ての男性に守護天使を割り当てた人もいました。差し迫った危険、病気、人間や悪魔の悪意ある陰謀から救ってくれる天使にどれほど感謝しているか、私たちは誰も知りません。敬虔な人が死ぬと、例えそれがラザロの魂であっても、天使がその魂を天国に運ぶのです」
1743年5月と6月、メソジストはウェンズベリーとウォルソールで迫害を受け、メソジスト教会の創設者であるジョン・ウェスレーは、雨の中引きずり回された暴徒に殺害の脅迫を受けました。然し、「ウェスレーは無傷で逃れ」、彼は「守護天使に守られていたと信じていました」

改革派教会と長老派教会
ハインリヒ・ヘッペは、改革派教義学の中で、ブカンを含む一部の改革派神学者が守護天使の見解を支持したと述べています。ブカンは次の様に教えています。
「原則として、選ばれた各人には神によって特定の善良な天使が任命され、その人を守る様にするという事は、キリストの言葉、マタイ18章10節から読み取る事ができます。そこには『彼らの天使たちは、私の父の顔を絶えず見ている』とあります。また、使徒行伝12章15節では、マルコの家に集まった信者たちが、ドアを叩いたペテロについて『それは彼の天使だ』と言いました。これらの信者たちは、神の民の間で受け入れられた意見に従って話していました」

イスラム教
ムアクィバトにも同様のイスラム教の信仰があります。多くのイスラム教徒によると、各人には前と後ろに2人の守護天使がいて、右と左に2人の記録者がいます。

エノク魔術
16世紀の神秘主義者ジョン・ディーのエノク体系は守護天使について論じている。コットン付録XLVI 1の18ページにあるディーと天使ジュバンラダチェの対話で、天使は次の様に語っている。
ディー: もし私が貴方を怒らせなければ、貴方がどの階級に属しているか、或いはミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルに関して貴方の状態がどうなっているか、喜んで知りたいです。
ジュバンラダセ: 神は、人々の功績と魂の第一の素晴らしさに応じて、祝福された階級の中から善良な統治者または天使を任命しました。善良な魂はどれも同じ尊厳を持っている訳ではありません。従って、神の素晴らしさに応じて、私たちは神の素晴らしさが属する階級から奉仕者として任命されます。その目的は、最後には、以前の者が栄光を与えた場所を補う為に、また、闇の君主が神の正義において対抗される様にする為です。

文学的使用法
守護天使は、天使の努力に対抗する個人的な悪魔と対になると考えられていました。特に、15世紀の道徳劇「パーセベランス城」などの中世の人気劇ではそうでした。クリストファー・マーロウの劇「フォースタス博士の悲劇」では、フォースタスには「善天使」と「悪天使」がいて、互いに助言し合っています。

守護天使は中世とルネッサンス時代の文学作品に登場します。後に、英国国教会の医師で哲学者のトーマス・ブラウン卿は、メディチ家の宗教(第1部、第33段落)に対する信念を述べています。
「従って、私は精霊の存在を否定するどころか、国全体だけでなく特定の人物にも守護天使や守護天使がいると容易に信じる事ができる。これはローマ教会の新しい意見ではなく、ピタゴラスやプラトンの古い意見である。そこには異端はなく、聖書で明確に定義されていなくても、人の人生の流れや行動に有益で有益な意見であり、一般的な哲学では解決できない多くの疑問を解消する仮説として役立つだろう」
19世紀までに、守護天使はもはや英語圏の国々では執成しをする存在ではなく、信者が罪を犯さない様に守ってくれる力として見られる様になりました。バイロン卿の1819年の詩「ドン・ファン」には、「彼女の守護天使は守備隊を放棄した」というパロディが登場します。
教父たちは、教会全体に対しても、教会員1人1人に対しても、天使は邪悪な者の攻撃から守る者として、また困難な道を導く者として任命されている、と様々な方法でしばしば述べました。この教義は主にイエスの次の言葉に基づいています。「天にいる彼らの(幼い者たちの)天使たちはいつも私の父の顔を見てます」(マタイ18,10)。守護天使の存在を信じるという事は、神の救いの御心と私たち1人1人に対する神の父性的で愛に満ちた配慮に敬意を払う事を意味します。
教会の医師である聖ベルナルドは、「彼は天使たちに命令を与えて、貴方のあらゆる歩みを守るでしょう」と述べています。私たちは人の子らに対する主の憐れみと驚異に感謝します。感謝を捧げ、人々の間で「主は私たちの為に素晴らしい事をして下さった」と言いましょう。主よ、貴方が彼の事を気にかけているとか、彼の事を心配しているとは、人間とは何でしょうか?貴方は彼の事を心配し、気を配り、世話をします。最後に、貴方は彼に貴方の独り子を送り、貴方の霊を彼の中に降下させ、また貴方は彼に貴方の顔のビジョンを約束します。そして、天は私たちに利益をもたらす物を何も無視していない事を示す為に、これらの天霊を私たちの側に置き、私たちを守り、教え、導いて下さいます。「彼は天使たちに、あらゆる面で貴方を守るよう命じるでしょう」
これらの言葉は貴方にどれ程の敬意を呼び起こし、どれ程の献身をもたらし、どれ程の信頼を貴方に植え付けるに違いありません。存在に対する敬意、慈悲に対する献身、後見に対する信頼…従って、それらは存在しており、貴方と共にあるだけでなく、貴方の為にも存在します。彼らは貴方を守る為に存在し、貴方に利益をもたらす為に存在します。従って、私たちはこの様な偉大な保護者たちに献身し、感謝し、彼らを愛し、できる限り、そして必要な限り彼らに敬意を払いましょう。全ての愛と全ての名誉は神に帰し、天使に属する者と私たちの物は全て神に由来します。愛する事と尊敬する能力は神から生まれ、私たちを愛と名誉に値する者にする者は神から来ます。私たちは神の天使たちを、いつか私たちの共同相続人となる者として愛情を込めて愛していますが、それ迄の間、彼らは私たちの指導者であり保護者であり、父によって任命され、私たちの上に任命されています。さて、実際、私たちは神の子です。例え今はそれを明確に理解していなくても、私たちはまだ管理者や保護者の配下にある子供であり、従って使用人と何ら変わらないのです。結局の所、例え私たちがまだ子供であり、私たちの前にこれほど長くて危険な旅が待っているとしても、その様な偉大な保護者の下で私たちは何を恐れなければならないのでしょうか。あらゆる方法で私たちを守ってくれる彼らは、負ける事も誘惑する事もできず、ましてや誘惑する事はできません。彼らは忠実で、賢明で強力です。なぜ不安になるのでしょうか?私たちはただ彼らに従い、彼らの近くにいて、天の神の保護の中に留まりましょう。」
聖ベルナルドの教えによれば、守護天使は人類の救いに協力するよう神によって召されています。神が彼らの貢献を必要としていないのは事実ですが、それでも、キリストの救いを考慮して、天使と人間の間に愛と交わりの関係を確立する為に、神は彼らを自由に用いられます。実際、神は相互の慈愛によってご自分の王国を実現したいと望んでおり、その為、その王国は「日の栄えの王国を分かち合わなければならない人々の相互愛と、お互いと神に対する純粋な愛情の法則以外の法則によって支配されない」のです。従って、天使と人間は形は異なるものの、言葉の受肉とその救いの働きで最高潮に達する同じ救いの出来事に関わっている。天使によって行われる行為は、何よりも全ての人間を保護する事です。ベルナルドは、天使学のこの側面を特に強調しており、この側面は、聖化の道を進む為に、守護天使の良い提案に従順に従うよう修道士に呼びかけるのにも非常に適しています。この強調は後に民衆の敬虔さに大きな影響を与えました。ベルナルドは、イエス自身の言葉(ヨハネ1.51)によれば、天使の働きは正に天に昇ったり、天から降りたりする事にある為、天使の働きは神と人間の間の仲介者であると考えています(ヨハネ1.51)。上昇する道は神の熟考によって与えられる天上の至福の道であり、下降する道は彼らが私たちを助けてくれる慈悲の心を持って地上に向かう時に起こります。然し、ベルナルドは彼らが私たちに向かって来る時、その美しいビジョンを失う事はないと指摘します。実際、彼らは、同じ真実に至る道を歩むのを助ける為に、自分たちが熟考している真実を人々に伝えます。そうする事で、天使たちはキリストの模範に倣い、キリストと同じ様に人間の僕となり、神の恵みをキリストに伝え、キリストを見守ります。彼らがこの様な事をするのは、彼らが神から遣わされたからであり、彼らは自律的な領主としてではなく、神の奉仕者として神に服従しており、従って自分たちが主人ではなく人々の協力者やその仲間である事を示しているからである。言い換えれば、天使は神に仕え、神において人類に仕えるのです。彼らの使命のお蔭で、彼らは両方に完全に利用できます。

この考察に直面して、ベルナルドの魂は祈りの中で立ち上がり、人間に対する限りない軽蔑を神に感謝します。確かに、天の父は独り子とその霊を世に送り、人々を彼の顔のビジョンに導く為に送りました。この働きが成功裡に完了する為に、神は「祝福された霊たちを送り、人類の利益の為にその奉仕を遂行し、私たちを守り、私たちの指導者となる任務を彼らに割り当てます」。従って、天使たちは、キリストによって実現された救いを守る為の、父と私たちの間、私たちと父の間の大使です。従って、彼らの働きはキリストの働きと同等であり、キリストに従属する物です。


特に天使たちは、「十字架の木の実」、つまりキリストの貴重な血を守る人間を助ける任務を負っている。なぜなら、人間は単独では頼りにならず、無力であり、実際、傷つき易く、無能である事が多いからである。彼らは、保護者及び防御者として、人間がどこにいても、最も隠された場所であっても存在します。

この為、クリスチャンは自分の守護天使に敬意を払う様に勧められています。実際、彼は天使たちに感謝し、愛し、敬意を払わなければなりません。それでも天使たちは崇拝の下に置かれるべきであり、全ての被造物よりも愛されなければならない神に与えられる名誉です。然し、神は「被造物の中で」も愛されているので、ベルナルドは次の様に温かく勧めています。これからは、御父が望む様に、神の子として、御父の顔が私たちから隠されたままであっても、私たちは共同責任者の保護下にあり、神の子として残ります」。

実際、人間はまだ未熟ですが、同様の忠実で賢明で強力な保護者を必要としています。苦しみや試練の瞬間に、彼は彼らを呼び求めなければなりません。なぜなら、手で彼を支え、強めるのは天使たちだからです。彼らの手は霊的な手であり、神が彼らに託した選ばれた者たちを千の方法で助けに来ます。多くの場合、これらの見えざる手は、人間がそれに気づいていない時でも、数多くの身体的及び道徳的危険から人間を守っています。ベルナルドは、天使の両手とは「苦難が永遠に続く訳ではない事を私たちに思い出させる事を目的とした救助活動の二重の効果、そしてもう一方で永遠の報酬」を意味していると説明しています。この様にして、天使の助けは苦しみの瞬間を克服し、恵みの出来事に変えるのに役立ちます。この同じ手は、人生の終りに、人間の魂を天国に向かって引き上げます

守護の天使のチャプレット
このチャプレットは、守護の天使のメダイと3つの小珠、環状部分は1つの大珠と5つの小珠の7連で構成されています。
父と子と聖霊の御名において。アーメン。

おお神よ、来て私を救って下さい。
主よ、急いで私を助けて下さい。
「栄唱」

「聖霊への祈り」

「使徒信経」

第1連
聖天使よ、私の強力な守護者よ、貴方が罪に対して抱いているその最高の憎しみに対して、それは貴方が純粋で完璧な愛で愛する神に対する侮辱であるから、私の罪に対する真の絶え間ない悲しみと、あらゆる過ちに対する最高の憎しみを私の為に与えて下さい。人生の最後の瞬間まで、二度と神を傷つけない様にする為です。
「主祷文」1回「天使祝詞」3回「栄唱」1回

第2連
高貴な御霊よ、私の守護天使よ、貴方が神が明らかにされるのを常に見る事で感じる計り知れない幸福の為に、私が人生の最後の息吹まで完璧なクリスチャンとして生きる事ができる様に、常に神の臨在の中を歩む恵みを私の為に懇願して下さい。
「主祷文」1回「天使祝詞」3回「栄唱」1回

第3連
神の意志の正確な実行者であり、私の守護者よ、貴方が神から託された私の監護権を遂行するその用心深く愛情深い献身の為に、神が私に望んでおられる事を最後まで常に知り、実現する事に専念する恵みを私に与えて下さい。
「主祷文」1回「天使祝詞」3回「栄唱」1回

第4連
熱心な擁護者よ、私の守護天使よ、母親が腕の中に優しい我が子を守る様に、あらゆる方法で私を守るという神が貴方に託した使命の為に、私からあらゆる罪の機会を取り除き、あらゆる状況から私を解放して下さい。それらは私を人生の最後の瞬間まで神の戒めに従って楽に歩ませるかもしれません。
「主祷文」1回「天使祝詞」3回「栄唱」1回

第5連
忠実な指導者よ、私の守護天使よ、私を天国への道に導くという神が貴方に与えた使命の為に、私が避けるべき悪と私がすべき善について、貴方の教えに忠実かつ絶えず従う恵みを私に与えて下さい。人生の最後の息まで、私を美徳へと刺激する事をやめずに練習して下さい。
「主祷文」1回「天使祝詞」3回「栄唱」1回

第6連
私の最愛の友人、守護天使よ、私に対する貴方の大きな愛のお蔭で、貴方は神を限りなく愛しています、そして神が私をこれほど愛し、今も私を愛し続けている事を見て、私の苦難の中で慰めを与えて下さい。そしていつも元気に祈る恵みを私に与えて下さい。人生の最後の瞬間まで、神の憐れみを得る為に。
「主祷文」1回「天使祝詞」3回「栄唱」1回

第7連
有能な執成し手よ、私の聖なる守護天使よ、神が私の魂の永遠の救いの為に貴方に伝えて下さった熱意に応えて、私の隣人に霊的健康への願望を熱心かつ慎重に植え付けて下さる恵みを私に懇願して下さい。そうする事で永遠の命に値するのです。
「主祷文」1回「天使祝詞」3回「栄唱」1回

出典元・miriam12stelle(イタリア語・Google翻訳)、Wikipedia(英語版・Google翻訳)




おはようございます。昨日は「守護の天使のチャプレット」専用ロザリオを製作しました。守護の天使らしく、青と黄色の星の小珠で纏めてみました。


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