ハンドメイドのもの


    
コルカタの聖テレサ(マザー・テレサ)

マザー・テレサ(コルカタの聖テレサ、1910年8月26日-1997年9月5日)は、カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。またカトリック教会の聖人である。本名はアルーマニア語でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ、アルバニア語でアニェゼ/アグネス・ゴンジャ・ボヤジウ。「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は彼女の敬愛したリジューのテレーズに因んだ修道名である。コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々の為の活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。生前からその活動は高く評価され、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラト・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。1996年にはアメリカ合衆国史上5人目の名誉市民に選ばれている。近年では生前からの批判も多いという歴史解釈をされる場合もある。一方で、それらの批判の多くはインドのヒンドゥー至上主義の極右・ファシスト団体「民族義勇団」により過剰な歴史修正が行われているという見方もある。

生涯・生い立ち
マザー・テレサことアグネス・ゴンジャ・ボヤジュは1910年8月26日、コソボ州・ユスキュプ(今の北マケドニア共和国・スコピエ)に生れた。翌27日は彼女が幼児洗礼を受けたキリスト教徒としての誕生日である。母のドラナはアルバニア人であったが、父のニコはルーマニア人と同系の少数民族・アルーマニア人であった。父は地元の名士であり手広く事業を営む実業家で、アルバニア独立運動の闘士でもあったが、1919年に45歳で急死した(政敵による毒殺説もある)。彼女は3人兄妹の末っ子で、6歳年上の姉と3歳年上の兄がいた。姉や兄からは「ゴンジャ」(アルバニア語で「花の蕾」「小さな花」の意)と呼ばれていた。両親はマケドニア地方に住むカトリック教徒であったが、アルバニア人にはイスラム教徒が多く、マケドニア地方には正教徒が多かった事を考えると珍しい家族であった。一家は裕福であったが父母は信仰心に篤く、貧しい人への施しを積極的に行っていた。アグネスの幼少時代についての記録は殆どないが、小さい頃から聡明な子で、12歳の時には、将来インドで修道女として働きたいという望みを持っていたといわれる。

カルカッタの修道女
18歳の時、聖座の許可を得たアグネスは故郷のスコピエを離れ、アイルランドでロレト修道女会に入った。ロレト修道女会は女子教育に力を入れている修道会であった。アグネスはダブリンで基礎教育を受けると修練女として1931年にインドのダージリンに赴いた。初誓願の時に選んだ修道名がテレサであった。この名前はリジューのテレーズから取られている。1937年に終生誓願を宣立し、以後シスター・テレサとよばれる事になった。1929年から1947年までテレサはカルカッタ(現在のコルカタ)の聖マリア学院で、地理と歴史を教えていた。彼女は子供の頃から地理が好きで、また、ユーモラスな彼女の授業は学院の女学生たちの間で大変人気があったという。1944年には校長に任命されている。上流階級の子女の教育に辺りながら、テレサの目にはいつもカルカッタの貧しい人々の姿が映っていた。彼女自身の言葉によると1946年の9月、年に1度の黙想を行う為、ダージリンに向かう汽車に乗っていた際に「全てを捨て、最も貧しい人の間で働く様に」という啓示を受けたという。彼女は修道院を離れて活動を行う許可を求めたが、バチカンの修道会管轄庁などカトリック教会の上層部は慎重に評価を行おうとし、すぐには彼女の活動に対する認可を与えなかった。それでもテレサは自分の信じる道を進もうと決意していた。1948年、漸く教皇ピウス12世からの修道院外居住の特別許可が得られた。テレサは修道院を出て、カルカッタのスラム街の中へ入っていった。彼女はインド女性の着る質素なサリーを身に纏い、手始めに学校に行けないホームレスの子供たちを集めて街頭での無料授業を行う様になった。やがて彼女の下に聖マリア学院時代の教え子たちがボランティアとして集まり始め、教会や地域の名士たちからの寄付が寄せられる様になる。

神の愛の宣教者会の創立
「神の愛の宣教者会」は、1950年10月7日に教皇庁(ローマ教皇庁)によって認可を受け創立され、1965年2月1日には教皇庁立の修道会の認可を受ける。テレサによれば、同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされる事のない全ての人、愛されていない人、誰からも世話されない人の為に働く」事であった。テレサは修道会のリーダーとして「マザー」と呼ばれる様になる。インド政府の協力でヒンズー教の廃寺院を譲り受けたテレサは「死を待つ人々の家」というホスピスを開設した。以降、ホスピスや児童養護施設を開設していく。活動の初期の頃は、地元住民たちはホスピスに所属している者をキリスト教に改宗させようとしているという疑念を抱いていた。然し、彼女たちはケアする相手の宗教を尊重する姿勢を貫き、亡くなった者に対してはその者の宗教で看取っていた(ヒンズー教徒にはガンジス川の水を口に含ませてやり、イスラム教徒にはクルアーンを読んで聞かせた)。ケアする相手の状態や宗派を問わないテレサたちの活動は世界から関心を持たれ、多くの援助が集まった。1960年代までに「神の愛の宣教者会」の活動はインド全土に及ぶ様になった。更に1965年以降、教皇パウロ6世の許可によってインド国外での活動が可能になった。インド以外で初めて宣教女が派遣されたのは南米ベネズエラのココロテ市であった。以後、修道会は全世界規模で貧しい人々の為に活躍する様になった。テレサの活動はカトリック教会全体に刺激を与え、男子修道会「神の愛の宣教者修道士会」(1963年)、「神の愛の宣教者信徒会」などが次々に設立されていった。1969年、マルコム・マッグリッジによるBBCのTVドキュメンタリー映画『素晴らしい事を神様の為に』及び同名の書籍によって、テレサの活動はイギリスのみならず全世界で知られる様になった。この作品の取材をする中でマッグリッジはテレサの姿に強い感銘を受け、後にカトリック教徒になっている。1971年、教皇パウロ6世は、自らが制定した勲章「ヨハネ23世教皇平和賞」の最初の受章者としてテレサを選んだ。これを皮切りに多くの賞がテレサに与えられる事になる。ケネディ賞(1971年)、アルベルト・シュバイツアー賞(1975年)、アメリカ合衆国大統領自由勲章(1985年)、アメリカ合衆国名誉市民(1996年)、議会名誉黄金勲章(1997年)、これらに加えて数多くの大学の名誉学位を受けた。アメリカ合衆国名誉市民としては5人目(存命中はチャーチルに次いで2人目)、またアメリカやその同盟国の政治家・軍人以外としては初めての授与である。 こういった賞の中で最も有名な物は、勿論1979年に受けたノーベル平和賞であろう。テレサは授賞式の際にも特別な正装はせず、普段と同じく白い木綿のサリーと革製のサンダルという粗末な身なりで出席した。賞金19万2,000ドルは全てカルカッタの貧しい人々の為に使われる事になった上、授賞式の場においては「私の為の晩餐会は不要です。その費用はどうか貧しい人々の為にお使い下さい」とも要望した。賞金を受け取った時「このお金で幾つのパンが買えますか」と言ったという。インタビューの中で「世界平和の為に私たちはどんな事をしたらいいですか」と尋ねられたテレサの答えはシンプルな物であった。「家に帰って家族を愛してあげて下さい」。1982年にはテレサはイスラエルとパレスチナの高官にかけあって武力衝突を一時休止させ、戦火の中で身動きがとれなくなっていたベイルートの病院の患者たちを救出している。

晩年と死
1983年、高齢のテレサは当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世との会見の為に訪れたローマで心臓発作に見舞われた。1989年にはペースメーカーをつけた。1990年、テレサは健康状態を理由に総長の辞任を申し出たが、会員たちの強い希望により再び総長に選出される。1991年、優れない健康状態を押して故郷アルバニアに最初の支部を設立している。これはテレサの念願であった。1993年5月、テレサは転倒して首の骨にヒビが入り、8月にはマラリアに罹患した。9月にはカルカッタで心臓病の手術を受けた。1997年3月、体力の限界を感じ総長職を辞任。1997年9月5日、世界が見守る中、テレサはカルカッタのマザー・ハウスにて逝去。満87歳没。テレサが亡くなった1997年には「神の愛の宣教者会」のメンバーは4,000人を数え、123か国・610ヶ所で活動を行っていた。活動内容はホスピス、HIV患者の為の家、ハンセン病者の為の施設(平和の村)、炊き出し施設、児童養護施設、学校などである。宗派を問わずに全ての貧しい人の為に働いたテレサの葬儀は、1997年9月13日にインド政府によって国葬として荘厳に行われた。その葬儀には各宗教の代表者が参列し、宗教の枠を超えて尊敬された事を象徴する物となった。マザーの棺は陸軍兵によって砲車に乗せられ、国葬会場まで行進した。独立の父マハトマ・ガンジー、初代ネール首相に続き、マザー・テレサは3人目であった。遺体はテレサの遺言通り「神の愛の宣教者会」本部に葬られた。彼女の死は国家的な損失であるとインドの人々は嘆き、世界の人々も彼女の偉大な働きを思って追悼した。インドの政治指導者や首相以外で国葬されたのは彼女と2011年4月に死去したサティヤ・サイ・ババのみである。

列福までの道のり
1997年、テレサの死後、速やかに列福・列聖調査が始められた。通常は死後5年を経ないと始める事はできない規定だが、テレサの場合は生前から聖女の誉れが高かった事と、彼女の業績を極めて高く評価していたヨハネ・パウロ2世が前倒しを強く求めた為、例外的に5年を待たずに始められたのである(この例外は、2005年4月に逝去した当時の教皇ヨハネ・パウロ2世自身にも適用された)。マザーの列福の為に報告され、後日、奇跡として認められた事例に、非カトリックのインド人女性モニカ・ベスラの治癒がある。1998年、モニカは34歳の時、腹部の腫瘍を患い病んでいた。すぐに手術しなくてはならない危険な状態であったが、酷い貧血症も患っていた為に手術は不可能であった。彼女はマザー・テレサの死去した翌年の9月6日に、神の愛の宣教者会が経営する「死に行く人の為の家」の礼拝堂に赴いた。「礼拝堂に入ると、マザー・テレサの写真が目に入り、あたかも一条の光が私に向って飛び出してくる様に感じました。シスターが私の為にお祈りをしてくれて、私は眠りにつきました。朝、目覚めると、腫瘍が消えていたのです」とモニカは語っている。その突然の完全な治癒は医師たちを驚かせ、その後にその医師たちは自分たちの診断が間違っていなかった事を示す為のあらゆる必要な証拠を提出した。治癒の後で、腫瘍を検査する為にした小さな外科手術の跡さえも見つからなかった。立ち会った医師は「これは私の医師としての人生で出会った最も素晴らしい経験の1つです」と言う。西ベンガル州シリグリのR.N .Bhattacharya医師は、腫瘍は7か月の胎児と同じ大きさだったと証言する。列福の為の正式な手続きは、2001年の8月にカルカッタ(現・コルカタ)司教区の特別委員会が報告書を取り纏め、ローマ教皇庁列聖省に提出している。この報告書は重病や貧困に苦しむ人々に対するマザーの献身的活動や、列福に値する事を示す為、マザーに対する執成しの祈りによる奇跡的行為なども盛り込まれており、ページ数は35,000ページにも及ぶ。列福・列聖には通常、対象者の死後数十年かかるが、マザーの献身的活動が生前から世界中の尊敬を集めてきた事などにより、1999年、ヨハネ・パウロ2世は手続きを早める特例を認めた。2003年10月19日、ヨハネ・パウロ2世はテレサを列福し、福者であると宣言した。通常は本人の死後、福者の認定を受けるまで少なくとも数十年の審査が必要とされている現状を考えれば、死後6年での列福というのは異例の早さであった。

列聖への道のり
2015年12月17日、ローマ教皇庁はフランシスコがテレサの二度目の奇跡を承認したと発表した。2008年、脳腫瘍を患い危篤状態だったブラジル人男性がテレサの執成しによって回復された事例が奇跡と認定された。2016年9月4日、フランシスコはテレサを列聖し、「聖人である」と宣言した。この日はテレサの死後、満19年目を迎える前日であった。

批判
テレサの施設「死を待つ人々の家」の医療水準の低さ、用途不明の資金、問題人物との交際などマザー・テレサの人格を疑問視する声は多い。イギリス人ジャーナリストのクリストファー・ヒッチェンズは1995年に『宣教師の立場』を刊行し、その中でマザー・テレサを極めて否定的に扱った。またリチャード・ドーキンスは『神は妄想である』の中で、『宣教師の立場』の題を挙げてマザー・テレサを「彼女は聖人ではない」と批判した。インド出身のアソシエイトエディター、クリティカ・ヴァラグールは2016年4月に『ハフィントン・ポスト』アメリカ版でマザー・テレサを批判した。「『特別で優秀な白人が有色人種を助けるのだ』というイメージをインド人や西洋人に植えつけた」と主張し、「マザー・テレサの崇高なイメージは、脆弱化したカトリック教会によって行われたメディア・キャンペーンの結果である」と述べている。

マザー・テレサの「フライング・ノベナのチャプレット」

このチャプレットは、マザー・テレサのメダイと小珠10個で構成されています。

すぐに遅滞なく祈りの答えが必要な時、カルカッタのマザー・テレサは「空飛ぶ」ノヴェナを祈った事で有名です。これは、9日間が足りない時に「ノベナ」を祈る為の簡単で迅速な方法です。

このノベナをどの様に祈りますか?そうですね、マザー・テレサは、1日1回9日間メモラーレの祈りを祈るのではなく、9回連続でメモラーレの祈りを唱えました。彼女の修道姉妹である慈善宣教者たちは、今日もこの実践を続けています。 勿論、どちらの方法で祈っても構いません。 

マザー・テレサの「フライング・ノベナ」-1日目
今日この祈りを9回祈って下さい。
父と子と聖霊の御名において。

アーメン。 
 覚えておいて下さい、おお慈悲深い聖母マリアよ、貴女を保護する為に逃げた人、貴女の助けを懇願した人、貴女の執成しを求めた人が何の助けも受けずに取り残されたという事は、決して知られていなかったという事です。この自信に触発されて、私は貴女の所へ飛びます、おお処女の中の処女よ、私の母よ。私は貴女の所に来ます、私は罪深く、悲しみながら貴女の前に立っています。おお、受肉した御言葉の母よ、私の嘆願を軽蔑しないで、貴女の寛大さで私に耳を傾け、答えて下さい。アーメン。
父と子と聖霊の御名において。

アーメン。

マザー・テレサの「フライング・ノベナ」-2日目
今日この祈りを9回祈って下さい。
父と子と聖霊の御名において。アーメン。 
 覚えておいて下さい、おお慈悲深い聖母マリアよ、貴女を保護する為に逃げた人、貴女の助けを懇願した人、貴女の執成しを求めた人が何の助けも受けずに取り残されたという事は、決して知られていなかったという事です。この自信に触発されて、私は貴女の所へ飛びます、おお処女の中の処女よ、私の母よ。私は貴女の所に来ます、私は罪深く、悲しみながら貴女の前に立っています。おお、受肉した御言葉の母よ、私の嘆願を軽蔑しないで、貴女の寛大さで私に耳を傾け、答えて下さい。アーメン。
父と子と聖霊の御名において。

アーメン。

マザー・テレサの「フライング・ノベナ」-3日目
今日この祈りを9回祈って下さい。
父と子と聖霊の御名において。

アーメン。 
 覚えておいて下さい、おお慈悲深い聖母マリアよ、貴女を保護する為に逃げた人、貴女の助けを懇願した人、貴女の執成しを求めた人が何の助けも受けずに取り残されたという事は、決して知られていなかったという事です。この自信に触発されて、私は貴女の所へ飛びます、おお処女の中の処女よ、私の母よ。私は貴女の所に来ます、私は罪深く、悲しみながら貴女の前に立っています。おお、受肉した御言葉の母よ、私の嘆願を軽蔑しないで、貴女の寛大さで私に耳を傾け、答えて下さい。アーメン。
父と子と聖霊の御名において。

アーメン。

マザー・テレサの「フライング・ノベナ」-4日目
今日この祈りを9回祈って下さい。
父と子と聖霊の御名において。アーメン。 
 覚えておいて下さい、おお慈悲深い聖母マリアよ、貴女を保護する為に逃げた人、貴女の助けを懇願した人、貴女の執成しを求めた人が何の助けも受けずに取り残されたという事は、決して知られていなかったという事です。この自信に触発されて、私は貴女の所へ飛びます、おお処女の中の処女よ、私の母よ。私は貴女の所に来ます、私は罪深く、悲しみながら貴女の前に立っています。おお、受肉した御言葉の母よ、私の嘆願を軽蔑しないで、貴女の寛大さで私に耳を傾け、答えて下さい。アーメン。
父と子と聖霊の御名において。アーメン。

マザー・テレサの「フライング・ノベナ」-5日目
今日この祈りを9回祈って下さい。
父と子と聖霊の御名において。

アーメン。 
 覚えておいて下さい、おお慈悲深い聖母マリアよ、貴女を保護する為に逃げた人、貴女の助けを懇願した人、貴女の執成しを求めた人が何の助けも受けずに取り残されたという事は、決して知られていなかったという事です。この自信に触発されて、私は貴女の所へ飛びます、おお処女の中の処女よ、私の母よ。私は貴女の所に来ます、私は罪深く、悲しみながら貴女の前に立っています。おお、受肉した御言葉の母よ、私の嘆願を軽蔑しないで、貴女の寛大さで私に耳を傾け、答えて下さい。アーメン。
父と子と聖霊の御名において。アーメン。

マザー・テレサの「フライング・ノベナ」-6日目
今日この祈りを9回祈って下さい。
父と子と聖霊の御名において。アーメン。
覚えておいて下さい、おお慈悲深い聖母マリアよ、貴女を保護する為に逃げた人、貴女の助けを懇願した人、貴女の執成しを求めた人が何の助けも受けずに取り残されたという事は、決して知られていなかったという事です。この自信に触発されて、私は貴女の所へ飛びます、おお処女の中の処女よ、私の母よ。私は貴女の所に来ます、私は罪深く、悲しみながら貴女の前に立っています。おお、受肉した御言葉の母よ、私の嘆願を軽蔑しないで、貴女の寛大さで私に耳を傾け、答えて下さい。アーメン。
父と子と聖霊の御名において。アーメン。

マザー・テレサの「フライング・ノベナ」-7日目
今日この祈りを9回祈って下さい。
父と子と聖霊の御名において。アーメン。 
 覚えておいて下さい、おお慈悲深い聖母マリアよ、貴女を保護する為に逃げた人、貴女の助けを懇願した人、貴女の執成しを求めた人が何の助けも受けずに取り残されたという事は、決して知られていなかったという事です。この自信に触発されて、私は貴女の所へ飛びます、おお処女の中の処女よ、私の母よ。私は貴女の所に来ます、私は罪深く、悲しみながら貴女の前に立っています。おお、受肉した御言葉の母よ、私の嘆願を軽蔑しないで、貴女の寛大さで私に耳を傾け、答えて下さい。アーメン。
父と子と聖霊の御名において。アーメン。

マザー・テレサの「フライング・ノベナ」-8日目
今日この祈りを9回祈って下さい。
父と子と聖霊の御名において。アーメン。 
覚えておいて下さい、おお慈悲深い聖母マリアよ、貴女を保護する為に逃げた人、貴女の助けを懇願した人、貴女の執成しを求めた人が何の助けも受けずに取り残されたという事は、決して知られていなかったという事です。この自信に触発されて、私は貴女の所へ飛びます、おお処女の中の処女よ、私の母よ。私は貴女の所に来ます、私は罪深く、悲しみながら貴女の前に立っています。おお、受肉した御言葉の母よ、私の嘆願を軽蔑しないで、貴女の寛大さで私に耳を傾け、答えて下さい。アーメン。
父と子と聖霊の御名において。アーメン。

マザー・テレサの「フライング・ノベナ」-9日目
今日この祈りを9回祈って下さい。
父と子と聖霊の御名において。アーメン。
覚えておいて下さい、おお慈悲深い聖母マリアよ、貴女を保護する為に逃げた人、貴女の助けを懇願した人、貴女の執成しを求めた人が何の助けも受けずに取り残されたという事は、決して知られていなかったという事です。この自信に触発されて、私は貴女の所へ飛びます、おお処女の中の処女よ、私の母よ。私は貴女の所に来ます、私は罪深く、悲しみながら貴女の前に立っています。おお、受肉した御言葉の母よ、私の嘆願を軽蔑しないで、貴女の寛大さで私に耳を傾け、答えて下さい。アーメン。
父と子と聖霊の御名において。アーメン。 

コルカタの聖テレサのチャプレット

このチャプレットは、マザー・テレサのメダイと十字架、小珠が3個の三連で構成されています。

メダイで、次の祈りを唱えます。
(カルカッタの聖テレサへの請願の祈り)
聖テレサ、貧しい者の中にキリストご自身を見て、彼らを憐れんで下さった貴女、どうか私たちを助けて下さい。貴女の慈悲深い目で(執成しを必要としている人たち)を見つめ、 (前に言及した人たち)の中にキリストを見て下さい。貴女が地上での働きを通じてイエスを愛し、イエスに仕えた様に、私たちは天国でも働きを続け、私たちの必要に応じて私たちの為に執成して下さるよう謙虚にお願いします。(前述の人物)をご覧になった後、聖体においてイエスを崇拝した様に、慈しみ深い目をイエスに向けて、私たちの要請(国家請願)を提出して下さい。私たちは地上で貴女が仕えた人々ほど物質的には困窮していませんが、魂の貧しさの中で貴女に手を差し伸べ、貴女を通してイエスを求めます。親切に、聖テレサよ、私たちを助けて下さい。アーメン。 
各セットの最初の各小珠で、「主祷文」を唱えます。

各セットの2番目の各小珠で、「天使祝詞」を唱えます。

各セットの3番目の各小珠で、「栄唱」を唱えます。

十字架上の祈り
親愛なるイエス様、どこへ行っても貴方の香りが広がるよう助けて下さい。私の魂を貴方の精神と愛で満たして下さい。私の全存在を完全に貫いて所有し、私の人生が貴方の全ての輝きだけになる様にして下さい。私を通して輝き、私が接触する全ての魂が私の魂の中で貴方の存在を感じる事ができる様に、私の中で輝いて下さい。彼らに目を上げて、もはや私ではなくイエスだけを見させて下さい。私と一緒にいて下さい。そうすれば、貴方が輝く様に、私も輝き始めます。そうすれば、他の人にとって光となる様に輝きます。アーメン。



昨日は「コルカタの聖テレサのフライング・ノベナのチャプレット」専用ロザリオを、製作しました。小珠10個だけなので、一連ロザリオでも祈れます。



マザー・テレサの「フライング・ノベナ」は、You Tubeでも紹介されています。


 

 

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