我らの主イエズス・キリストの、オリベト山におけし御苦悶に信心を致す事によりし貴き賜物の御約束

マカリオ司教 ファビアノ 1963年11月23日サンジョバンニ ロトンド 1965年 
1.少なくとも1日に1度、愛と信心とをもって、わが苦悶を記念する全ての者に、一切の罪の赦免と、彼らの臨終の時におけし彼らの霊魂の救霊の確実さを与える。
2.ゲッセマネの園におけし我が苦悶に光栄を帰しつつ聖祭を祝す者に、完全にして変わらざる改悛を与える。
3.オリベト山におけし我が苦悶への愛と信心を他の者達に刻む全ての者に、霊的事物における成功を与える。
4.最後に貴方に証明する為に、わが御心のせきを破開し、わが聖寵の奔流を流す為に、我はこのゲッセマネの園におけしわが苦悶への信心を広める者に、次の三つの聖寵を約束する。
悪しき者の、彼らを隷属させんとす者の誘惑を超えた、完全にして最終の勝利。
煉獄より、惨めなる霊魂を救う為の直なる力。
わが御旨を果す為の大いなる悟りと強さ。
「ああイエズス、御愛の豊かさと、我らの頑なさの克服が為、ゲッセマネの園におけし、御身のいと聖なる御悲しみを念ずる者、御身への信心を広むる者に、御身の聖寵の奔流を注ぎ出し給え。我御身に祈り奉らん。わが霊魂と心とをしばしば、ゲッセマネの園におけし御身のいと激しき御苦悶を、御身に通じ、可能なる限り御身に近づき奉りて一致せんが為、少なくとも日に一度は思い巡らする様、我を動かし給え。ああ祝せられしイエズスよ、御身はかの夕べ、我らの罪の莫大なる重荷と、彼らの為の完全なる償いとを負い給えば、御身の御血の汗ゆえに、わが数限りなき罪を超えし、完全なる改悛の愛の、いと完璧なる賜物を我に与え給え。ああ祝せられしイエズスよ、ゲッセマネの園におけし、御身のいとも激烈なる闘いによりて、一切の誘惑、殊に我の最も隷属させんとす者を超えし最終の勝利を、我に与え給え。ああ苦しみ給いしイエズスよ、裏切りと、御身の御精神のいと激しき御苦悶の夜の間の御身の不可思議にして、筆舌に尽くし難き御苦悶によりて、我を悟らしめ給え。然して、我が御旨を知り、果し奉るを得ん事を。御身の御旨のみならず、御父の御旨をも果し奉らんが為、御心を苦しめし戦いと、御身のいかに勝ち誇りて現れ出で給いしかを絶えず我に思い巡らせ給え。ああイエズスよ、かの聖なる夕べの御身の全ての嘆息と、我らの為に流し給いし御涙によりて、御身は祝せられん事を。ああイエズスよ、御身の御血の汗と酷き御苦悶、いと冷たき見放しと、驚くべき孤独の内に愛もて苦しみ給いしによりて、御身は祝せられん事を。ああ、計り知れざる苦しみに満てし、いと甘美なるイエズスよ、御心より、慄きの苦悶に溢れし御祈り故に、いと真の人にして天主なり。永遠なる御父よ、我は御身に過ぎし時と今、そしてこれからの聖祭の尽くを、ゲッセマネの悲しみの園にて、御苦悶の内に流し給いしキリストの御血と共に、御身に捧げ奉る。至聖三位一体よ、かの知を従いて、オリベト山のイエズスの御苦悶の愛とを与え給え。遍く世に広がらん。ああイエズスよ、十字架にありし御身を愛もて見奉りし全ての者にまた、オリベト山におけし御身の限りなき御苦しみの記念をも与え給え。然して彼らが御身の模範に従いて、信心深き祈りと、勝利の闘志を学びて、いつの日か、天つ御国の御身の永久の誉れとなるを得しめ給え。アーメン。」 

我らの主イエズス・キリストの聖なる御受難
20世紀の神秘家 ヨゼファ・メネンデス修道女(1890-1923)
「わが霊魂達の為に書きなさい。そうして、渇く者は元気づけられ、飢える者は満たされるであろう。」(1923年四旬節中に、我らの主からメネンデス修道女に)
「貴女自身が謙遜であれ。自分を低くし、私と共に来れ。共にゲッセマニに行きて、貴女の心を私が沈められた苦しみと悲嘆の感情に浸せ。多くの群集に説教した後に、病者を癒し、盲人に視力を与え、死者を蘇らし、わが使徒達と共に3年間生き、彼らを教育し我が教義を教えた後に私は最後に手本となって彼らに、いかにして互いに愛しあい、互いに示しあうかを、また如何にして相互に仕えあうかを教える事を意図したのである。そしてこれにおいて、私は彼らの足を洗い、彼らの食事を私自ら得させたのである。その時間は人となった神の子、その血を流しこの世に生命を与える人類の救い主の為に来たのである。また私の御父のみ旨に、私自身を明渡す事を願いて、私自ら祈りに赴いたのである。深く愛される霊魂は、1つの必要なる事である神のみ旨の内における謙遜な服従、神への明渡しの自然な結果がどうであるかを、来て、貴女の模範から学びなさい。いかなる状況においても神のみ旨を遂げる意思のこの上ない行いによっても。祈りによって力を与えられた事は、全ての重要な行動に勝るべきである事も彼から学びなさい。生きる困難における必要な強さを祈りの中でのみ、霊魂は得られるのである。祈りの中で天主の御働きを感じないとしても、天主御自身が知らせ、助言され、奮い立たされるのである。即ち、私はゲッセマニの園において孤独に陥る事が予定されていたのである。天主は気晴らしや雑音から遠ざけ、内側を探し求める様になされたのである。天主を見出す為に霊魂は自己愛及び官能によって吹き込まれた議論の上で、自然が恩寵にしばしば逆らう全ての妨害の中で静寂を強いねばならない。私は貴女に見本を与える為に、貴女の霊魂の3つの力が貴女の祈りに伴い助けなければならない事を学ばせる為に、私の最愛の者なる弟子の3人を共に連れたのである。記憶に貴女の神の恩恵と完全とを思い起こしなさい。神の御力、御徳、御愛と御憐れみである。貴女の理解に彼が貴女に与えられた素晴らしい恵みに応える道を探し出させる。彼の為により良く、行う決心の中で強くなるであろう。罪人への働きと使徒の労働、もしくは謙遜な隠れた生活の祈りと沈黙の内に貴女自身を捧げなさい。」 

アンネリーゼ・ミシェル(1952年9月21日 – 1976年7月1日) は1975年にカトリック教会の悪魔祓い儀式・エクソシズムを受けたドイツ人の女性で、この年の翌年、1976年に逝去した。この事件で行われた悪魔祓いの儀式は、400年前の儀式書による物で、そのいくつかは18世紀以来、滅多に見られない物であり、この様なカトリック教会の異例とも言える決定がマスコミの注目を浴びた。

映画 「エミリー・ローズ」 はこの事件をモチーフとして取り入れている。


アルト神父は アンネリーゼが悪魔に支配されている為に苦しんでいると確信し、地元の司教に対して悪魔祓いの儀式を許可してほしいと訴えた。

1975年にアンネリーゼが書いた神父宛ての手紙には「私には何でもありません。私に関する事は全て、自惚れです。私がすべき事、私が解決しなければならない。貴方は私の為に祈ってくれる。」

そしてアンネリーゼは一度、神父にこう言った。「私は、他の人の為に苦しむ事を望みます…然し、これはとても残酷です。」

レンツ神父は同年9月24日に悪魔祓いの儀式で最初のセッションを行った。アンネリーゼの両親は医学的治療を探す事を止めて、悪魔祓いの儀式のみに頼る事とした。悪魔祓いの儀式の67セッションは、1975年から1976年にかけて約10ヵ月間、1週間に1、2回のセッションが行われ、そのセッションは最高4時間かかる物だった。

アンネリーゼは「今日の我儘な若者たちや、
現代におけるカトリック教会の背教的な司祭たちの為に、死んで償う事」について話し始め、それは日を追うごとに増えていった。そして最後まで食べる事を拒んだ。


(アンネリーゼを通じて語ったルチフェルの言葉)

「ああ、もしお前らが、それ(地獄)がどの様に下方にそびえているかについての心の目を持っていればなあ!ファティマの幻視者の子らは、それ(地獄)を見てきたのだ。もし、お前らが心の目を持っていれば、お前らは昼も夜も聖所にて跪くだろうよ。あの高き婦人が俺に強いるので、俺はこれを言わなくてはならないんだ。高き婦人とは、聖母を指している。」


(アンネリーゼを通じて語ったネロの言葉)

「お前らは、ファティマの啓示に従わねばならない。」


(アンネリーゼを通じて語ったユダの言葉)

「(イエズスの)聖顔は、崇められなければならない。」

「守護の天使というやつは、昼も夜もお前らの近く後ろにいる。今日、人々は守護の天使を信じていないが、守護の天使というやつは、俺達の敵どもだ。俺は奴らが嫌いだ。」


(レンツ神父とルチフェルの10月のやり取り)

※毎年10月は カトリック教会暦における ロザリオの月

(ルチフェルが述べる)

「このロザリオの月だが、それを唱える者は僅かだ。なぜなら教区の司祭が、それは新しくないと考えているからだ。奴らは、何と愚かなのだろう!もし奴らが、その重要性を知ったならば!それは、サタンと俺達に対する強力な武器だ。」



【我らの主の、ゲッセマネの園における苦悶のロザリオ】


このロザリオは、十字架とゲッセマネの園のメダイ、環状部分は5つの小珠と2つの大珠の8連で構成されています。

十字架の処で「使徒信経」を唱えます。


第一連


最初に、中心のセンターメダイ(大珠)で、次の祈りを唱えます。


「我らの主の、ゲッセマネの園にて苦悶し給いしを黙想せん。」


次に、各小珠で「主祷文」を唱えます。

次に、大珠で次の祈りを唱えます。

「イエズスよ、我らの為の力と保護をこい願わん。」



第二連


最初の大珠で、次の祈りを唱えます。


「我らの主の、ユダより裏切られ給いしを黙想せん。」


次に、各小珠で「主祷文」を唱えます。


次に、2番目の大珠で次の祈りを唱えます。


「イエズスよ 我らの為の力と保護をこい願わん。」



第三連


最初の大珠で、次の祈りを唱えます。


「我らの主の、捕らわれ給いしを黙想せん



次に、各小珠で「主祷文」を唱えます。


次に、2番目の大珠で次の祈りを唱えます。


「イエズスよ 我らの為の力と保護をこい願わん。」



第四連


最初の大珠で、次の祈りを唱えます。


「我らの主の、司祭アンナの前に引き出され給いしを黙想せん。」


次に、各小珠で「主祷文」を唱えます。


次に、2番目の大珠で次の祈りを唱えます。


「イエズスよ、我らの為の力と保護をこい願わん。」


第五連


最初の大珠で、次の祈りを唱えます。


「我らの主の、大祭司カイアファの前にて尋問され給いしを黙想せん。」


次に、各小珠で「主祷文」を唱えます。


次に、2番目の大珠で次の祈りを唱えます。


「イエズスよ、我らの為の力と保護をこい願わん。」



第六連


最初の大珠で、次の祈りを唱えます。


「我らの主の、侮辱され、打たれ給いしを黙想せん。」


次に、各小珠で「主祷文」を唱えます。


次に、2番目の大珠で次の祈りを唱えます。


「イエズスよ、我らの為の力と保護をこい願わん。」



第七連


最初の大珠で、次の祈りを唱えます。


「我らの主の、ペテロより否まれ給いしを黙想せん。」


次に、各小珠で「主祷文」を唱えます。


次に、2番目の大珠で次の祈りを唱えます。


「イエズスよ、我らの為の力と保護をこい願わん。」


第八連


最初の大珠で、次の祈りを唱えます。


「我らの主の、議会によって裁かれ給いしを黙想せん。」

次に、各小珠で「主祷文」を唱えます。


次に、2番目の大珠で次の祈りを唱えます。


「イエズスよ、我らの為の力と保護をこい願わん。」


このロザリオの締め括りとして、次の祈りを唱えます。

「おお、生ける天主の御子イエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、司祭にして贖い主なるイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、悲しみの人なるイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、30デナリで売られしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、死ぬる程に苦しみ給いしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、血の汗に塗れ給いしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、ユダの接吻にて裏切られ給いしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、罪人の如く捕らわれ縛られしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、弟子たちに見捨てられしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、偽証人に告発されしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、ペトロより3度否まれしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、死罪なると宣告されしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、鞭打たれ、唾きによって覆われしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、拳にて打たれしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、ピラトによりて鎖で引き出されしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、ヘロデによりて 嘲笑われしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、侮辱の傷で覆われしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、茨の冠を被り給いしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、死刑を宣告されしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、重き十字架を担い、子羊の様に責め苦を受け給いしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、衣服を剥ぎ取られしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、十字架に釘付けにされしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、2人の罪人に囲まれしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、十字架上で嘲笑され、冒辱されしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、十字架上で従順に死し給いしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、槍にて刺し貫かれしイエズスよ、我らを憐れみ給え。おお、十字架より降ろされ、御母に抱かれ、墓へと運ばれしイエズスよ、我らを憐れみ給え。世の罪を除き給う神の子羊。主よ、我らを赦し給え。世の罪を除き給う神の子羊。主よ、我らの願いを聞き入れ給え。世の罪を除き給う神の子羊。主よ、我らを憐れみ給え。」



出典元・信心の園、宮地神仙道


↓アンネリーゼ・ミシェルの祓魔式については、此方のサイトの方が詳細に語られています。




おはようございます。昨日は「我らの主の、ゲッセマネの園における苦悶のロザリオ」専用ロザリオ(←長い名前のロザリオだなぁ…)を製作しましたが、一連の小珠が5つと大珠が2つの8連だからか、けっこう大きな専用ロザリオになってしまいました。


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