聖ピーター・ジュリアン・エマール



ピーター・ジュリアン・エマール  (別名・ピエール・ジュリアン・エマール 、ペテロ・ジュリアン・エマール、1811年2月4日–1868年8月1日) はフランスのカトリック司祭であり、男性の為の聖体修道会と女性の為の聖体奉仕者会という2つの宗教団体の創設者です。


生涯


エマールは1811年2月4日、フランスアルプスのイゼール県ラ・ミュールで生まれました。父は鍛冶屋で、2番目の妻はジュリアンの母でした。ピーター・ジュリアンは生涯を通じて、イエスの母である聖母マリアに深い信仰を抱いていました。1823年3月16日の初聖体拝領の前に、彼はノートルダム・デュ・ローの聖堂まで徒歩で行きました。後に、ノートルダム・ド・ラ・サレットの出現を知り、フランス中の様々な聖母マリアの聖堂を巡る旅を楽しみました。1828年に母が亡くなった時、ジュリアンは無原罪の聖母の奉献会の修練院に入る事を決意し、父の反対にも拘らず、1829年6月にそうしました。神学生としての最初の試みは重病の為、終わりました。生涯を通じてエマールは健康を害し、特に「肺の弱さ」と偏頭痛に悩まされた。1831年に父が亡くなった後、彼は曾ての上司の助けを借りて、グルノーブル教区の大神学校への入学に成功した。1834年7月20日、彼はグルノーブル教区の司祭に叙階された。彼はシャットの町の助任司祭に任命され、3年後にはモンサンテナールの司祭に任命された。2度目のモンテナールでの任務では、教会は荒廃し、牧師館も貧弱で、ミサに出席する人が殆どいない農村地帯の教区だった。暫くそこに常勤の牧師はいなかった。司教はエマールの2人の姉妹に彼と一緒に牧師館に移るよう勧め、彼女たちはそれに従った。実際、教区は非常に貧しかった為、彼女たちは牧師館の家具を揃えた。エマールは、この地を活性化させた事で知られているが、教区の仕事に満足せず、マリスト(マリア会)に入会する事を決意した。彼の2人の姉妹は、彼に仕える為に人生を捧げていた為、非常に悲嘆に暮れた。1837年8月20日、彼はリヨンのマリア会神学校に入学し、1840年2月に誓願を立てた。彼は、聖母マリアと聖体への信仰、特に四十時間への信仰を促進する一般団体と協力した。彼は1844年にリヨンのマリア会管区長に昇進した。彼の新たな責務には、マリストの精神性とキリスト教家族の促進に献身する一般団体である第三マリア会の責任者になる事が含まれていた。ジョン・ヴィアンネもそのメンバーだった。彼の聖体に対する精神性は、何らかの神秘的な体験から完全に成長した物ではなく、徐々に生まれた物だった。エマールは総参事として、フランス中を旅して、様々なマリスト共同体を視察した。1849年のパリ訪問中に、勝利の聖母大聖堂で聖体の展示と永続的な礼拝を確立した夜間礼拝者協会のメンバーと会い、持続的な聖体礼拝の実践に精通した。1851年1月21日にフルヴィエールの聖母の聖堂で祈った後、エマールは聖体礼拝を専門とするマリスト共同体の設立に着手した。然し、聖体の礼拝を推進する別の友愛団体を設立したいという彼の願望は、マリストのカリスマ性の一部とは見なされなかった。上司はこれを認めず、彼をラ・セーヌ=シュル=メールのマリスト大学に異動させた。最終的に、エマールはマリア会を離れ、教区司祭レイモン・ド・キュエールと共に新しい修道会を始める事を決意した。


聖体修道会 


1856年5月13日、パリの司教たちはエマールの「聖体修道会」の計画に同意しました。多くの試行錯誤を経て、エマールとド・キュエールは1857年1月6日、パリの114rued'Enfer (文字通り「地獄の通り」を意味する) の荒廃した建物で聖体の公開展示を開始しました。聖体修道会はパリの子供たちに初聖体拝領の準備をさせる活動を開始しました。また、カトリックの信仰を実践していない信者たちにも働きかけ、悔い改めて聖体拝領を再開するよう呼びかけました。エマールは修道会のメンバーに共通の規則を制定し、教皇の承認に向けて活動しました。2番目の共同体は1859 年にマルセイユに、3番目の共同体は1862年にアンジェに設立されました。ピウス9世は1863年6月に承認令を発布しました。エマールは頻繁な聖体拝領の熱心な支持者であり、この考えは1905年に教皇ピウス10世によってより権威ある支持を受けました。1969年1 月10日、教皇パウロ6世は聖体聖体会の総長ローラン ユオに書簡を出し、ミサ外で聖体を礼拝する機能を称賛し、そうする全ての人が「教会の名において」聖体の礼拝を行うと宣言しました。この譲歩は、改訂版の「ローマ典礼、聖体拝領、ミサ外での聖体の礼拝」、edio typicaの第90号に含まれています。


1995年12月9日付の秘跡及び典礼省の法令により、司祭聖ペテロ・ジュリアン・エマールが、任意の記念日としてローマ暦に編入されました。 全ての福音宣教の源泉であり、人類に対する神の救い主の無限の愛の印象的な表現である聖体は、ペテロ・ジュリアン・エマールの生涯と司牧活動を明確に特徴づけました。彼は正に、聖体の傑出した使徒と呼ばれるに相応しい人物です。実際、教会における彼の使命は、キリスト教共同体の生活全体における聖体の神秘の中心性を促進する事でした。


フランスの彫刻家オーギュスト・ロダンは、妹の死後芸術を断念し、1862年に修道士として同省に入会した際にエマールから助言を受けました。エマールはロダンの才能を認め、彼に職業に戻るよう勧めた。ロダンは後にエマールの胸像を制作した。


聖体の奉仕者


1858年、彼はマルグリット・ギヨーと共に、女性の為の瞑想会である聖体の奉仕者会を設立しました。彼は「聖体拝領は聖なる者になる為に行うのであって、既に聖体であるから行うのではない」と語ったと伝えられています。


同時代人 


エマールは、ジョン・マリー・ヴィアネ、ピーター・シャネル、マルセリン・シャンパニャ、バジル・モロー、ポーリンヌ・マリー・ジャリコと友人であり同時代人でした。彼は1868年8月1日、脳出血の合併症でラ・ミュールにて57歳で亡くなりました。彼の遺骸は1877年までラ・ミュールの墓地に埋葬され、その後、1876年9月に聖別されたパリの聖体会の聖体礼拝堂に移されました。 


 崇敬


エマールは1908年に尊者と宣言され、1926年7月12日に教皇ピウス11世によって列福されました。1926年7月28日に列聖の​​理由が明らかにされ、1962年12月9日に教皇ヨハネ23世によって列聖されました。エマールと共に列聖されたのは、セルビテ派の司祭アントニオ・マリー・プッチ(1819年-1892年)とカプチン派の平信徒修道士フランシス・マリー・オブ・カンポロッソ(1804年-1866年)です。 ローマカトリック教会では、8月2日にエマールの祝日が祝われます。教皇ヨハネ パウロ2世はエマールを「聖体の使徒」と名付けました。ニューヨーク市のサン ジャン バプティスト カトリック教会にはエマールの像があります。像の下には彼の右腕骨が入った聖骨箱があります。


遺産


エマールは 19 世紀フランスの精神性に大きく貢献した人物として知られています。エマールに捧げられたカトリック教会は次の場所にあります。



御聖体の秘跡のチャプレット(再掲載)


専用のチャプレットは十字架、もしくは聖ピーター・ジュリアン・エマールのメダイ御聖体の秘跡のメダイと、33の小珠から構成されています。33の小珠は主キリストの33年の地上での御生涯を記念する為に物です。 


まず始めに(メダイにおいて)、霊的聖体拝領の祈りを1度 次の様に唱えます。


「御聖体の秘跡の内におられるイエズス、私は今あなたを受ける事が出来ませんが、霊的に私の心においで下さり、いつまでも私の物となります様に。」 


次に各小珠にて次の祈りを唱えます。


「祭壇上の御聖体の秘跡の内におられるイエズス、私達を憐れんで下さい。」



祝福された秘跡のチャプレット


専用ロザリオは、上記と同じチャプレットを使用します。


メダイで、次の様に霊的聖体拝領をして下さい。


私のイエス様、私は貴方が至聖なる秘跡の中にいらっしゃると信じています。私は何よりも貴方を愛しています。私は貴方を私の魂の中に迎え入れたいと思っています。私は今、貴方を秘跡的に受け入れる事ができないので、少なくとも霊的に私の心に来て下さい。私は貴方を抱きしめ、あたかも貴方が既に来たかの様に、私は貴方に完全に団結します。私が貴方から離れる事を決して許さないで下さい。 


それぞれの小珠で祈ります。


聖体のイエスよ、私たちを憐れんで下さい。 


エンディング - 「聖体における信仰行為」(オプション)


ああ、わが神よ、私は貴方が祭壇の祝福された秘跡の中に現実に、そして肉体的に存在しておられる事を固く信じます。私は心の奥底からここにおられる貴方を崇拝し、可能な限りの謙虚さをもって貴方の神聖な御臨在を崇拝します。ああ、わが魂よ、イエス・キリストがいつも私たちと共におられ、心から自信を持ってイエス・キリストと話せる事は、何という喜びでしょう。主よ、この素晴らしい秘跡においてこの地上で貴方の神聖な威厳を崇拝した私が、天国でも永遠にそれを崇拝する事ができます様に。


出典元・Blessed Beads Rosaries(Google翻訳)、Wikipedia(Google翻訳)


抜粋・信心の園



おはようございます。「聖ピーター・ジュリアン・エマールのチャプレット」が海外のサイトで見つかったので、製作しようと思って専用ロザリオの構成を調べてみたら、私が以前に製作した「御聖体の秘跡のチャプレット」専用ロザリオと同じである事が判明。違う点は、聖ピーター・ジュリアン・エマールのメダイが有るか無いかだけ。まぁ、ムリに製作する必要も無いかと思って、今回は紹介だけに留めました。


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