ハンドメイドのもの


    

ジェームズ・アルベリオーネ


ジェームズ・アルベリオ​​ーネ(別名・ヤコブ・アルベリオーネ、1884年4月4日-1971年11月26日)は、イタリアのカトリック司祭であり、聖パウロ会、聖パウロ姉妹会、聖師の敬虔な弟子会、善き羊飼いイエスの修道女会、使徒の女王マリアの修道女会、及びパウロ家族を形成するその他の宗教団体の創設者です。最初の2つのグループは、様々な形式の現代メディアを通じてカトリックの信仰を促進した事で最もよく知られています。


初期の人生


アルベリオ​​ーネは、1884年4月4日、当時イタリア王国であったクーネオのサン・ロレンツォ ディ・フォッサーノで生まれました。アルベリオ​​ーネ一家は、ミカエル・アルベリオ​​ーネ、テレサ・アロッコ、そして6人の子供たちで構成され、農民でした。アルベリオ​​ーネは農民の4番目の息子で、兄弟よりも体が弱かったです。16歳の時、ジェームズは、彼の名前の由来となった名付け親である叔父ジェームズの経済的援助を受けて、ピエモンテ州アルバの神学校に入学しました。彼と父親は牛車に乗って神学校に向かいました。アルバの神学校では、現在は「尊者」となっているフランチェスコ キエーザ司祭が彼の霊的指導者でした。


1900年12月31日の夜、19世紀と20世紀を分けた夜、彼は聖体の前で5時間祈り、未来を熟考しながら、新世紀の人々の為に何かをする様に呼ばれていると感じました。聖ヨハネ・ボスコ(1815-1888)の例に触発され、彼はマスメディアのみを通じて教育と福音伝道を行うという使命に従事した最初の1人でした。


創設者


アルベリオ​​ーネは 1907年6月29日 (聖ペトロと聖パウロの祝日) に叙階され、ナルゾーレの教区司祭になりました。1908年に神学の博士号を取得しました。アルベリオ​​ーネは合計10の宗教団体、集合研究所、及び信徒協力者を設立しました。これらの団体は、現代のメディア技術と出版物を使用して、神の言葉を広め、個人の信仰を助けています。


 聖パウロ協会


1914年8月20日、彼は2人のティーンエイジャー、デシデリオ・コスタとティト・アルマーニを、友人の印刷業者の指導の下、小さな印刷室で働かせました。こうして、今日では聖パウロ協会として知られる「小さな印刷タイポグラフィ学校」が始まりました。その目的は、最も現代的な通信手段、印刷、映画、テレビ、ラジオ、その他の現代メディアを通じて「イエス・マスターに生き、道、真理、そして命を与える」事です。


その他の会衆


「小さな印刷学校」(現在の聖パウロ会)を設立した後、彼は1915年に女性のグループを集め、テクラ・メルロ修道女と共に、聖パウロ会の女性版である聖パウロの娘たちを設立しました。その後、更に多くの会衆や研究所が設立されました。こうして彼は次の会衆を設立しました。


1924年:神の下僕マリア・スコラスティカ・リヴァータ修道女と共に、聖パウロ家の瞑想的なメンバーである聖体礼拝、典礼の準備、司祭の奉仕に特に献身する聖パウロ家のメンバーである聖パウロの敬虔な弟子たち。(イエズス会の創立)


1938年: 善き羊飼いイエスの修道女会(別名「パストレル」)は、学校や教区で宗教教育を行う。


1957年: 使徒の女王マリア修道女会は、パウロの家族と修道生活への召命のために働き、祈る。


1958年: 大天使聖ガブリエル修道会(聖パウロ修道会の使徒職も兼ねる平信徒奉献男性)


1958年:受胎告知のマリア修道会(聖パウロ修道会の使徒職も兼ねる平信徒奉献女性)


1959年:司祭イエスの修道会(パウロの精神を聖職に取り入れたい教区聖職者向け)


1960:年聖家族修道会(夫婦向け)


1918年:パウロ協力者協会

アルベリオ​​ーネは、第2バチカン公会議で次の様に奉仕した。ペリトゥス(神学の専門家)は、公会議の教父たちの全体会議での承認を得る為に、公会議の法令が形成され形作られる非公開会議に参加する。


死と崇敬


アルベリオ​​ーネは1971年11月26日、ローマの聖協会総本部で自然死した。死去の1時間前に教皇パウロ6世が直接訪問した。ローマの使徒の女王マリア大聖堂の地下納骨堂に埋葬された。

アルベリオ​​ーネは1996年6月25日に尊者と宣言され、2003年4月27日に教皇ヨハネ・パウロ2世によって、他の5人と共に列福された。マルコ・ダヴィアーノ(司祭、カプチン会修道士)、エウジェニア・ラヴァスコ(処女、イエスとマリアの聖心の娘たちの修道会の創設者)、マリア・ドメニカ・マントヴァーニ(処女、聖家族小姉妹会の共同創設者)。聖体におけるイエスの償いの犠牲者修道女会の創設者である無原罪の聖マリア・クリスティーナ・ブランドと、聖心のカテキスタ修道女会の創設者であり処女であるジュリア・サルツァーノ。教皇は式典の説教で、アルベリオ​​ーネが「素晴らしい遺産」を残したと述べた。ヨハネ・パウロ2世によると、アルベリオ​​ーネは「道であり、真理であり、命であるイエス・キリストを『現代の手段で、現代の全ての人々に』知らせる必要性を感じていた」と述べている。彼は使徒パウロに触発され、パウロを「教会の神学者であり建築家」と表現し、健全な精神的参照が欠如している事が多い世界において、真実の『灯台』であるペトロの後継者の教導権に常に従順で忠実であり続けた」。


遺産


アルベリオ​​ーネは、メッセージを広める為に現代のマスコミュニケーション手段を利用しました。



    
経歴(日本版Wikipedia)
19世紀から20世紀に変わる1900年12月31日の夜、4時間に渡って聖体礼拝を行った。
1907年6月29日、司祭に叙階されナルゾーレの教会に赴任した。
1908年4月9日、神学の学位を取得し、アルバの神学校の教授となった。
1914年8月20日、ローマ教皇ピウス10世が亡くなった日に、聖パウロ修道会をアルバで創立した。
1915年には聖パウロ女子修道会を創立した。
1923年7月、肺結核に罹り、余命1年半と宣告されたが、奇跡的に回復した。
1924年、師イエズス修道女会を創立した。
1971年11月26日に87歳で亡くなったが、臨終の直前に教皇パウロ6世の訪問を受けた。
2003年4月27日、ヨハネ・パウロ2世により、列福された。





【福者ヤコブ・アルベリオーネ神父のチャプレット】


このチャプレットは、十字架と小珠3個、環状部分は小珠12個で構成されています。



最初に十字架、もしくは福者ヤコブ・アルベリオーネのメダイで「使徒信経」を唱えます。

次に、直線部分の各小珠で「主祷文」「天使祝詞」「栄唱」を1回ずつ唱えます。


中心のセンターメダイで、次の祈りを唱えます。

「ああヤコブ・アルベリオーネ、近代の福音伝道 の使徒よ、天主の愛で世を燃やす為に御身の焦がるる熱意で、我らを奮い立たしめ給え。アーメン。」


環状部分の各小珠で、次の祈りを唱えます。

「福者ヤコブ・アルベリオーネ、我らの時代の奇跡よ、我らの大いなる逃れ所となり給え。」



直線部分の各小珠で、次の祈りを1回ずつ唱えます。

「道にして真理、生命にまします主イエズスよ、御身に信頼し奉る。」


このチャプレットの締め括りとして、次の祈りを唱えます。

「ああマリア、使徒の元后よ、我らの為に祈り給え。使徒聖パウロ、我らの為に祈り給え。」



出典元・宮地神仙道、Wikipedia(Google翻訳)、抜粋・Wikipedia(日本版)





おはようございます。昨日は「福者ヤコブ・アルベリオーネのチャプレット」専用ロザリオを製作しましたが、この専用ロザリオは本来、福者ヤコブ・アルベリオーネのメダイが必要になるかと思われます。ですが、在庫が無いので、メダイ無しで製作しました。


あと、福者ヤコブ・アルベリオーネの経歴と生涯についてですが、日本版のWikipediaでも福者ジェームズ・アルベリオーネの記事が有るのですが、英語版のWikipediaの方がより詳しく記載されているので、日本版と英語版の両方のWikipediaの記事を記載しました。




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