ハンドメイドのもの



    


聖カタリナ・ラブレ童貞

 


1806年5月2日、フランスのブルゴーニュの農業を営む両親のもとに、11人兄妹の内の9人目の子供として生まれ、幼少の頃より召命を感じていた。8歳の時に母親が亡くなり、また農家は買収されて農業を営む事が不可能となり、姉が愛徳姉妹会に入会し、聖女は一時期パリの伯父の営む喫茶店で女給として働いた。聖女は数多くの結婚の申し出を全て拒否し「私は初聖体のその日に私の新郎を見つけました。唯一彼に私自身を与えました。」と語った。聖女が一度フランスのパリ市にある聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ愛徳姉妹会の世話の為に病院を訪れた時、聖ヴィンセンシオの御絵から語りかけられる言葉を聴いた。「わが子よ、病者の世話は非常に素晴らしい物である。天主は貴女から何かを求められているのである。」この言葉を聴いて後、聖女は愛徳姉妹会に入会した。聖女は1830年に本部聖堂で都合3回にわたって聖母の御出現を受け、2回目の御出現の時に「不思議のメダイ」を示された。聖女は御出現を受けた後も四十数年間隠れた生活を過ごし、老人達や病者の世話にあたっていた。1876年12月31日、フランスで70歳で帰天した。1947年7月27日、教皇ピオ12世によって列聖。祝日11月28日。



<祈り>


「ああ主イエズス・キリストよ、祝せられしカタリナ童貞をいみじくも御身の無原罪の御母の驚くべき示現によりて強め給いき。同じく祝せられしカタリナ童貞によりて我らに示されし優しき信心の手本に従いて、我らが御身の聖なる御母にいとも光栄を帰し奉りて、終わりなき生命の喜びの得らるるを聴き容れ給わん事を、御身にこい願い奉る。唯一の天主、御父と聖霊と共に世々に生き、しろしめし給う主なるかな。アーメン。」



<祈りⅡ>

「聖カタリナ・ラブレよ、御身は祝せられた童貞の親しき友と選ばれ、無原罪の御宿りに光栄を帰し奉る為に彼らの愛の印として、彼女の子らに不思議のメダイの着用の望みを明かされし。我らの為に執成し給いて、我らが天の御母に従い奉りて、我らが光線の如き母なる御手より流るる特別なる聖寵を受くるを願い給え。アーメン。」



不思議のメダイのチャプレット

 


このチャプレットは、一般のロザリオを用いて祈ります。


十字架の御像で 「十字架の印」を行い、「祝せられた童貞マリアへの奉献」の祈りを唱えます。


(祝せられた童貞マリアへの奉献)


「わが元后にして、わが御母よ…如何なる取り置きもなく、己を御身に捧げ、わが信心の印を御身に捧げ、この日、わが目、耳、口、己の一切を御身に奉献し奉る。我御身の物となり、ああ我が善き御母よ、御身の所有占有として我を保ち、守り給え。」


最初の大珠で「主祷文」を祈ります。


次の三つの小珠で「天使祝詞」を祈ります。


それから、各大珠で次の祈りを唱えます。


「童貞なる天主の御母、無原罪のマリアよ、我ら不思議のメダイの聖母の御称号の下に一致せん。」


それから各小珠で、次の祈りを唱えます。


「ああ原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼む我らの為に祈り給え。」


このチャプレットの締め括りに、次の祈りを唱えます。


「ああ祝せられし童貞マリア、我らの守護者として我ら御身に嘆き奉らん。御身の忠実なる下僕聖カタリナ・ラブレの如く、我らにもまた御声に耳を傾けしめ給え。御自らを示し給い、我らの霊魂を聖化し給え。ああ童貞中の童貞、いと操正しき御母よ。信心と御身への委ねによりて、御身の慎ましき下僕なる我らをして、御子、我らの主イエズス・キリストの御手、永遠の救霊に至らしめ給え。」


そして「聖ベルナルドのメモラーレ」を唱えます。


(聖ベルナルドのメモラーレ)


「慈悲深き童貞マリア、御保護に寄り縋りて御助けを求めあえて御取次ぎを願える者、1人として棄てられし事、古より今に至るまで、世に聞こえざるを思い給え。ああ童貞中の童貞なる御母、我これによりて頼もしく思いて走せ来り、罪人の身をもって御前に嘆き奉る。ああ御言葉の御母、わが祈りを軽んじ給わず、御憐れみをたれてこれを聴き給え。これを聴き容れ給え。アーメン。」(唱える毎に300日の免償)



<不思議のメダイのチャプレットⅡ>


このチャプレットは、不思議のメダイと1つの大珠、環状部分は一連が1つの大珠と4つの小珠からなる三連によって構成されています。(当ブログでは、再掲載となります)



始めに(メダイで)「十字架の印」を行います。


そして「原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼む我らの為に祈り給え。」と唱えます。


次の大珠で 次の祈りを唱えます。


「聖カタリナ・ラブレ、我らの為に祈り給え。聖ヴィンセンシオ・パウロ、我らの為に祈り給え。」


中央のメダイと環状部分の各大珠で、次の祈りを唱えます。


「我ら御身の御保護に馳寄り奉る。ああ天主の聖なる御母、我らの困窮における請願を見棄て給わず、あらゆる危難より常に我らを救い給え。ああ、栄えある祝せられし童貞女よ。アーメン。」


各小珠で次の祈りを唱えます。


「ああ汚れなきマリア、天主と 主の御約束に信仰をもちて不思議のメダイを身に着ける全ての者に、天つ御国の祝福を降し給え。」




不思議のメダイの祈り・信心



<起源>


1830年、パリの愛徳姉妹会本部の修道女カタリナ・ラブレが11月27日に経験した聖母の御出現。聖カタリナは次の様に語った。地球の上に立っているマリア様の御絵の様な御出現で、広げられた御手からは光が輝き出ており、御姿の周りに「ああ、原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我らの為に祈り給え。」の言葉が見えた。すると、その全体の絵の様な御姿が回り、その裏にMという字と十字架、そしてイエズスとマリアの聖心を見、更に御声が聞こえ「このモデルに従ってメダイを作りなさい。祝福されたこのメダイを身に着け”ああ、原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我らの為に祈り給え”という短い祈りを唱える人には、天主の御母の特別な御保護が与えられます。」と言われた。



<祈り>

「神の母、汚れなくお宿りになられた聖マリアよ。天使の御告げにより、貴女は心と体に、神の御言葉を受け取り、世に真の命をもたらされました。生ける神の神殿、永遠なる主の玉座、聖霊の御座なる御母よ、「不思議なメダイ」の聖母である、貴女に身を捧げます。このメダイが、私達に対する貴女の愛の印となり、貴女に対する私達の信心の証となります様に。聖カタリナ・ラブレになさった約束通り、「ああ、汚れなく御宿りになられた聖マリア、貴女により頼む私達の為にお祈り下さい。」と唱える全ての人に、恵みと平和がもたらされます様に。」



<祈願Ⅱ>


「ああ天主の童貞なる御母、原罪なきマリアよ、我らは”不思議のメダイの聖母”の称号の下に我ら自身を御身に捧げ、奉献し奉る。このメダイが我ら各者の為にあり、我らに対する御身の愛情の確かなる印となり、かつ御身に対する我らの敬意の絶え間なく思い起こさする印とならん事を。これを着用したる間常に、我らが御身の愛深き保護によりて祝され、かつ御子の聖寵の内に保たれん事を。ああ最も力強き童貞、我らの救い主の御母よ、我らの生涯の各瞬間において我らを御身の近くに保ち給え。御身の子である我らが為に、幸いなる死の聖寵を得させ給え。御身との一致のうちに我らが天の至福を享受せん事を。アーメン。」


教皇ピオ12世は信者に対しいつも聖母の御執成しを求め奉る様に促されました。「従って、以前よりも更に大きな信頼をもって困難における助け、闇路における光、悲しみと苦難における慰めをこい願うべく、御母にして我らの元后の聖寵と御憐れみの王座に皆に近づかせよ。」(1954年の回勅)



<不思議のメダイの聖母への祈祷>


「ああ主よ、御子の無原罪の御母によりて全ての事物を与え給いし御者よ。願わくはこの力強き御母の御助けによりて、この時代の危険より逃れしめ、永遠の生命に至らしめ給わん事を。」 




不思議のメダイ 祝日11月27日



<最初の御出現>


1830年7月18日の夜11時半頃、ラブレ修道女は3度続けて自分の名を呼ぶ声を聞いたので、その声のする寝台の引幕を少し開けてみた。するとそこには不思議にも4、5歳ぐらいの麗しい1人の子供が立っていた。白い上衣を纏い、毛髪は金色で、全身から光を発し、周囲を照らしている。子供は言った。「お出でなさい。聖堂で聖母マリア様が貴女をお待ちです。」しかし共同寝室に寝ていたラブレ修道女は、自分が起きたらきっと誰かの眼が覚めるかもしれないと内心考えた。すると子供は「心配する事はありません。今、夜半です。皆は眠っています。さあ、一緒に参りましょう。」子供の後につき従って行く途中、非常に驚いた事は、至る所に灯が輝いていた。固く閉まっているはずの聖堂の扉も、子供がちょっと指先で触れただけで開いた。堂内は煌々と輝いていて、彼女の言葉を借りて言えば、夜中のミサ聖祭を思わせる程だった。聖女は聖体拝領台まで進んで、跪いて祈った。ラブレ修道女にとって時間のたつのが長い様に思えたが、遂に12時頃、子供は告げた。「聖母が見えました。あそこに見えました。」祭壇の右手の方で衣擦れに似た軽い音がはっきり聞こえ、1人の非常に美しい婦人がお現れになり、内陣に来て座られた。ラブレ修道女は霊感に駆られ、聖母の御足元に進み、御膝の上に親しく手を乗せ、聖母の御話を承った。「我が子よ、天主は貴女に1つの使命を委ねようと思し召しになっていられます。貴女は数々の試練を受けるはずですが、天主の光栄の試練と悟ってきっとこれに打ち克つでしょう。信頼の念を失わず、恐れてはなりません。」それから聖母はフランスの上に不幸が起ころうとしている事、世の中は隅々まで色々な不幸にあう事、「しかしこの祭壇の下にお出でなさい。信頼と熱心とを持って願う者には誰でも恩恵が与えられます。」と仰った。「この瞬間ほど一生涯の内で甘美な感に打たれたことはありません。」ラブレ修道女は聖母の出現が終わると、また案内した子供に連れられて寝室に戻った。「この子供は確かに私の守護の天使に違いありません。私はかねがね守護の天使にお祈りしておりました。寝室に帰ると2時が打つのが聞こえました。それから私は少しも眠れませんでした。」



<メダイの出現>


1830年11月27日午後5時半、黙想をしていたラブレ修道女は再び聖母の御出現を受けた。天の元后は地球の上に乗っておられたが、それより小さい地球を胸の高さに両手で持ち、祈りつつ、それを我が主にお捧げになっている様に見えた。たちまち聖母の手は指輪と宝石で一杯になり、四方に輝き始め、その光輝は聖母を包み、その御足元も地球も見えなくなった。ラブレ修道女が恍惚として眺めていると、心の中に聖母からの御声が響いてきた。「貴女が見ているこの地球は、全世界と全ての人々を表しています。私に求める人々の上に私が広く頒ち与える恩恵の表象を御覧なさい。」その時聖母の周りに楕円形の板が現れ、その上に金文字で次の様に読まれた。<原罪なくして宿り給いし聖マリアよ、御身により頼む我らの為に祈り給え>たちまち聖母の御手は下方に広げられたかと思うと恩恵を表す光輝が発射され、優雅な御姿をとられたのだった。「お作りなさい。この姿をメダイにお作りなさい。祝福されたこのメダイを身につけ、『ああ原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼む我らの為に祈り給え』という短い祈りを唱える人には、天主の御母の特別な御保護が与えられます。特にメダイを首からさげる人には大きな恵みが与えられます。」突然メダイが裏返ったかと思うと、横木のついた十字架を乗せた”M”という文字を彼女は見た。またその聖母の御名の頭文字の下に2つの心臓があり、1つは茨の冠に囲まれ(イエズスの聖心)、1つは剣に刺し貫かれて(マリアの御心)いた。



<第三回目の御出現>


ラブレ修道女は聖母の御命令に従って聴罪司祭アラベル神父に御出現の次第を語った。神父はこれを冷淡に聞き流したばかりでなく、寧ろ反対し、これを信じる事を禁止した。謙遜なラブレ修道女はこの命に従順であろうと望んだが、いかに努力しても自分の心に銘記された御出現美しく、また喜ばしい記憶を取消す事が出来なかった。それどころか再び聖母にお会いしたいという望みにかられる念がますます強まりいく一方だった。12月に、前回の様に聖堂で静かに黙想していると、聖母が御出現になられた。御年は40歳ぐらいに思われた。「御母よ、聴罪司祭様は私の言葉を信じては下さいません。」「我が子よ、安心しなさい。神父様は私の忠実な下僕ですから、私の言葉に反対せず、きっと私の望みをはたすでしょう。」その後、聖母の御望み通り、パリのクェラン大司教の許可の下にメダイが作られ、以来メダイは全世界に驚くべき勢いで広まり、多くの恵みや改心が行われて、誰言う事なく「不思議のメダイ」と呼ばれる様になった。



<不思議のメダイ>


(表)聖母マリアの御姿は「無原罪の聖マリア」です。周囲には「ああ原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼む我らの為に祈り給え」と刻まれています。御手の宝石を散りばめた指輪からから発する光線は、御母マリアに願う人々の上に与えられる恵みを表し、光を出さない宝石は、人々が願うのを忘れている恵みを表しています。地球は全世界を表し、踏み砕かれた蛇は悪霊を意味しています。無原罪の聖母への信仰は西欧にて6世紀頃から信者間に広まり、17世紀に日本でもキリシタン達の間に無原罪の聖母のメダイが普及していたといわれます。


(裏)”M"はマリアの御名の頭文字です。”I”の横木は「Immaculata(無原罪の)」です。十字はキリストの十字架です。12の星は教会のシンボルであり、またマリアを示しています。右下の心臓は苦しみの剣で刺し貫かれたマリアの聖心であり、左下の心臓は人々の救いの為に、茨の棘で傷ついたイエズスの聖心です。



<聖コルベ神父の御言葉>

「この不思議のメダイは全てを超えた物である。」


「回心と成聖は、天主の恵みの事ですから、不思議のメダイはそれを得る為の優れた手段です。不思議のメダイはM・I(M-ミリチア<軍団>、I-インマクラタ<無原罪の聖母の頭文字>。つまり無原罪の聖母の軍団の意味)の第1級の武器です。忠実な騎士は、その武器で敵、即ち悪を撃つのです。その事によって霊魂を救います。聖カタリナ・ラブレが予見した事、即ち聖母が不思議のメダイを啓示し、同時に全世界と特に各々の霊魂の元后となられると啓示された事が実現する様に、私達は全ての力を動員しましょう。」


「様々な時代における種々の試みにおいて、至聖なる童貞マリアは御自分の子らの助けに走せ来たり給いて、更に容易なる救霊への到達の異なる方法を、また他の者達のサタンのくびきよりの解放を与え給うたのである。今この無原罪の概念の時代において、至聖なる童貞は人類に"不思議のメダイ"を与え給うたのであり、その天的起源は癒しと殊に無数の回心の奇跡によって証明されたのである。」


「このメダイにはこの呼祷が刻まれている。"ああ原罪なく宿り給いし聖マリア、御身に依り頼む我らの為に祈り給え。"これは無原罪なる御者が我々に知らしめ給い、その暗唱を勧め給う物であり、彼女御自身が我々の唇に置き給う祈りなのである…これは真の我々の天的武器である。」


「汚れなくお宿りになられた聖マリア、貴女により頼む私達の為にお祈り下さい。また、貴女により頼まない人々、特に教会に敵対する人々、そして私達が貴女により頼む全ての人々の為にお祈り下さい。」(聖コルベ神父の祈り)



<不思議のメダイにいわれのある聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会の修道女のお話>


(ふしぎのメダイ 聖母の騎士社より)


(問)「聖母マリア様は何を私達にお示しになりたかったのでしょうか。」


(答)「それは主に2つあると思います。その1つは神様の御恵みを忘れている人々が余りにも多いので、マリア様は人々の目を神様の方へと向けさせたいお気持ちでした。<マリアを通して神様へ>これはキリスト信者の標語となっておりますが、この事はパリの御出現に、よく表れています。神様の方へ目を向けさせるきっかけとして御与えになられたのがマリア様のメダイでしょう。現代の人は余りにも物質に流れ、神様の御恵みを願う人が少ない。神様は御恵みを与えようとしておられるのに、人々は無関心で、祈らない。それを、御出現のマリア様は訴えておられるのです。その証拠に御出現の時マリア様の御手から美しい光線が出ましたが、その中に輝かない宝石があったのはそれを示しております。第二の意義は、マリア様が御自分を無原罪の御宿りとして御示しになられた事です。無原罪の御宿りが教会で信仰箇条になったのはこの出現の後24年後、ピオ9世教皇様の時でありましたが、この時既にマリア様は"原罪なく宿り給いし聖マリア"と祈る事を勧めておられます。」



(問)「この出現が、ルルドやファティマなどと違う所はどこでしょうか。」


(答)「ルルドやファティマにおいては群集が被出現者について行き、脱魂や奇跡などを見る事が出来ました。しかし、パリの御出現について人々は何も知らなかったのです。つまり公ではなかった…この点が違います。カタリナ・ラブレには何の特異性も奇跡もなく、メダイは普及していましたが、同じ修道院のシスター達でさえカタリナ・ラブレ修女が聖母の御出現を受けたなどとは全く知らなかったのです。ただ信仰の深い、非常に熱心なシスターである事だけが知らされていました。カタリナ修女は出現後も四十数年間隠れた生活をし、養老院で老人の世話や家畜を飼い、普通の仕事を信心と沈黙の内に過ごし、七十歳で亡くなられました。」


(問)「メダイと"お守り"はどう違うのでしょうか。"お守り"といえば必ずご利益に繫っています。マリアのメダイもご利益的なお守りの役を果たしているのでしょうか。」


(答)「先ほど申しました通り、この御出現の大きな目的は人々の心を神様の方へ向ける事であって、ただ単にマリア様が一修道女に現われて、メダイを作りなさい、ご利益がありますよ、と言われたのではないと思います。神様の方に目を向けさせるきっかけとしてマリア様はメダイを御与えになられたのでしょう。メダイにはマリア様の御姿が刻まれております。人は誰かを記憶したり思い出す場合、写真や形見を身近に持つでしょう。マリアのメダイを身につける事によってマリアが身近におられ、私達を守っていられる事を感じるのです。それによって神への愛とか信仰心が増すならメダイの効果はあったと言っていいのではないでしょうか。確かに、このメダイには「大きな恵みを受ける」という約束や、信頼する人には御恵みが与えられるという聖母の言葉があります。実際、その通りです。しかし、私達は全ての恵みを、それが精神的な物、物質的な物にしても、心から神様にもっとお願いすべきでしょう。それが神の御旨にかなう物ならば、御与え下さいと。私はメダイを病人に勧める時、こう申します。"これをつけて病気の全快を熱心に祈りなさい。でも神様の御旨が一番大切ですから、もし病気が治らないなら、それに耐えていく恵みを与えてくれますし、病気中、苦しみや悲しみに耐えられない寂しい時も、神様はマリア様を通して、それに負けない力を与えてくれるでしょう。このメダイはきっと、その様な時、聖母マリア様が貴方の側にいて下さる印となり、力を与えてくれるでしょう。"」



<聖者コルベ神父の"聖母の弾丸">

(ふしぎのメダイ 聖母の騎士社より)


「私は長崎の聖母の騎士のよおらん時代、聖者コルベ神父と一緒に生活をしましたが、今でも師のあの柔和な容貌、意味深い講和、アクセントまでが耳に残っております。師は御自分の全てをかけて聖母マリア様を愛され、ただ聖母によって生きておられました。そして御自分ばかりでなく私達にも何時も自己を捨てて聖母に全身を捧げる事を勧めておられ、また自分の祖国のポーランドばかりでなく、全世界にまで行って聖母に対する愛を誰にも広めたい御望みで一杯でした。この様な聖者が生前、聖母を広める手段として使ったのが、"不思議のメダイ"でした。(聖者はこれを聖母の弾丸と呼びました。)弾丸は当たれば(持てば)必ず傷をつけます(心を揺り動かす)。聖者は不思議のメダイで悪魔を撃退し、人々をキリスト様へ導く為に霊的武器として用いたのです。聖者はこの武器を頻繁に、どこでも気安く用いました。例えば人から初めて紹介された時、挨拶が済むと名刺の代わりにメダイを渡すのです。町を歩いていて、話し掛けてくる人にも、お店の店員にも、誰彼なしにポケットの聖母の弾丸を配るのです。そして祈るのです。その人の幸せの為に。すると効果はいつもてきめんに現れました。聖者コルベ神父が、この様に不思議のメダイを重宝視したのは神学生の頃からでした。ローマ留学時代、聖者はよく、不思議のメダイの奇跡があったサン・アンドレア教会に行って祈りました。1842年、熱烈な反教会派の若い法律家ラチスボーヌはここで聖母の出現を受けて改心しました。その時、どうした事かラチスボーヌ青年のポケットに不思議のメダイが入っていたのです。当時青年の改心はイタリアに大きな話題を呼びました。コルベ神学生は、不思議のメダイの効果をこの教会で肝に銘じ、不思議のメダイを身につける信心会"聖母の騎士会"を作りました。聖者がもたらした不思議のメダイの恵みの1つに、昭和8年、ポーランド駐在公使河合博之氏の、臨終における改宗があります。氏は信仰に導かれ、聖母被昇天祭の前日に亡くなりました。私達は聖者コルベ神父から沢山の不思議のメダイのお恵みを知らされました。そして私もそれを体験しております。もしも誰かがメダイをつける事を嫌がるなら、その人に分らない様に服に縫い込んだり、ベッドの下に置いたりしてもよいでしょう。本人は何も知らなくても、聖母はきっとお恵みを与えて下さいます。私達も聖者コルベ神父に倣って、不思議のメダイを利用して多くの人を聖母に導く様に努力致しましょう。」


出典元・信心の園






サムネイル

おはようございます。昨日は、以前に製作した「不思議のメダイのチャプレット」専用ロザリオを、リメイクしました。初期の頃に作ったので、編み方も酷く、気になってたので。写真左側がリメイク前、写真右側がリメイク後の「不思議のメダイのチャプレット」専用ロザリオです。


 

 


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