ロザリオの信心


「いつかロザリオとスカプラリオによって私は世を救います。」


「貴女は毎日1440分の内の1%を天主に捧げますか?もしそうなら、毎日のロザリオを15分-24時間の1%で祈りなさい。もっと後になれば、3%を天主にお捧げし、ロザリオの15連、即ち喜び、苦しみ、栄えの玄義を祈りなさい。」(ピエタ小冊子)


「めでたしマリア、聖なるマリアよ。」聖マチルダは言います。「ああ天主の御母よ、御身の御名は天主の聖寵と祝福に満ちみてし物なり。」


「もし我らの時代の高慢が聖母のロザリオ、全ての時代と全ての状況において、いと聖なる者達の数限りなき軍団のいとも愛し、いとも敬虔に唱えるのみならず、また、彼らの生涯における潔白を保ち更に聖徳を得るに熱心ならんと、一言で言うなれば、人々の間に和睦を進めんとし、常に悪魔に打ち勝ついとも力強き武器として用いしこれを、拒絶し冷笑するのならば。」(教皇ピオ11世)


「私はロザリオの元后です。」ファティマにおいて聖母は御自身をこの様に仰いました。


「ロザリオは武器である。」(ピエトレルチナの聖ピオ神父)


「ロザリオは天主の御怒り鎮め、聖母マリアの執成しを願う手段として、天から私達に授けられた信心である。」(教皇グレゴリウス8世)


「恩寵を受けた状態にある信徒が、イエズス・キリストの御生涯と御受難の奥義を黙想しながらロザリオを唱える時はいつでも犯した罪全部の赦しを受けるでしょう。」聖マリアが聖ドミニクスに御出現になり、告げられ給うた。


「最も素晴らしい祈りの方法はロザリオを祈る事である」(聖フランシス・ド・サール)


「ロザリオは悪魔を打つ鞭である」(教皇アドリアン6世)


「ロザリオは、聖母マリアの庇護を通じ、天国が人間の為に更に容易に開かれる様にと天主が示唆された物である。」(教皇ユリウス3世)


「家族に天主の祝福を頂くには、ロザリオを毎日唱えるほど確かな方法はない」(教皇ピウス12世)


ある日聖母は福者アランに「私は、私のロザリオを信心する者達に、生きている内は私の御子の御恵みと幸せを受けて貰いたいと思います。また臨終の時と死後には、彼らが頭に冠を受け、手には錫を持つ王の様に、あらゆる隷属から解放される様に願います。」と仰せられ給うた。


「スカプラリオやロザリオなどの盾と紋章をいつも身につけていた聖人に倣え。」(アルバン・デ・チガラ)


「私達が、主には大いなる賛美となり、私達には大変な益となるロザリオという信心業に携わる事ほど私達の永遠の幸せに役立つ物を他には望み得ないからです。」「ロザリオは彼の御母をこよなく愛する我らの救い主イエズスの聖心を感動させる為の最も強力な武器である。」(聖ルイ・デ・モンフォー)


「ともあれ、福者アランが述べているように、聖なるロザリオは無数の恩恵の根本であり、宝庫であると保証するだけに留めておきましょう。」(聖ルイ・デ・モンフォー)


「ロザリオを唱え、メダイを身につけるのは、尊い有益な習慣である。」(アルバン・デ・チガラ)


「貴方がこの信心を実践し、周りに広めるのに力を貸すなら、どんな霊的読書からよりもロザリオからもっと多くを学べると御約束します。その上、聖母が、ドミニクスや福者アラン、また彼女が心から愛するこの信心を実践し、他にも勧める者皆に約束された通り、聖母から報われるという幸せに浴するのです。」(聖ルイ・デモンフォー)


「めでたしの祈りよりも美しい祈りを作る事の出来る者は誰もいません。御父なる天主が御自ら私にかけて下さった、この素晴らしく威厳に満ちた言葉ほど、私の心に大切に感じられる祝詞はありません。」聖母御自身から聖ゲルトルードへ伝えられ給うた。


聖母マリアより聖女ブリジッタへ:「私が御子の英知、謙遜、美を黙想します時、我が心は喜びに満たされます。また残酷に釘付けられたる御手と御足を考えます時、私は酷く泣き、私の心は悲しみと痛みで引き裂かれます。」




「私の回心の最も初めに、私は我が救い主の御悲しみから没薬の束を作りました。私はこの束を胸に置き、主の御受難の鞭打ち、棘、釘付けを考えました。私は毎日これらの黙想に全精神を用いました。」(聖ベルナルド)



<聖母は霊魂らを煉獄より解放し給う>


聖ベルナルドは御母をして「全権代表」、または「煉獄中の全き力強き御者」と呼び奉りました。なぜなら聖母は煉獄より望む者達を解放する御力と聖寵とを全く御手の内に持ち給うからです。聖母を熱く愛し奉る者は聖母に依り頼み奉り、貧しき霊魂の解放と救霊を得させます。我々が祈願と賛同を望みそれが力強く有効な物となれば、確かにそれは優先を与えられるに違いありません。聖母御自身が福者アランに啓示なさいました。「私は煉獄の霊魂達の母でありまして、また全ての祈りは私の勘定の上にて私を愛する者達の苦しみを取り除くのです。」


聖なるロザリオは特にとりわけ強力です。聖アルフォンソは我々に教えます。「もし我々が煉獄の霊魂の助けを望むならば、彼らに大いなる救いをもたらしたいのであれば、我々はロザリオを祈るべきである。」


聖なるロザリオをもって煉獄中の多数の霊魂を慰めた聖人の1人に聖ピロッティがいます。聖人は煉獄中の霊魂の中でも一番に「天使祝詞」の答唱をする霊魂と共にロザリオを唱える賜物を受けていました。ロザリオ全体が唱えられる中にて彼らは平穏で幸福でありました。我々の手の内でさえも、ロザリオは親愛なる煉獄の霊魂達への慈しみの冠となるでしょう。


1867年11月に1人の修院長は数十年来悩んでいた自らの心をマリア童貞に打ち明けた。それは35年前に即死した父が教えを守らず、秘蹟も授からずに亡くなった為に、その霊魂は如何なる物であろうかというであった。マリア童貞はその為に祈り、その霊魂は臨終にあたりて特別なる聖寵に照らされ悔い改めたが今は煉獄におり、未だ6ヶ月の償いが残っていると言う事を知った。修院長はその言葉を信じず、もし院長の父の姓を告げるなら信じるとの事であった。修道院では名は知られていたが、姓は誰にも知られていなかった。マリア童貞は暫く祈りて後修院長に向い、「御身の御尊父の姓は"レィシュ"と言う姓であります。」と言った。今はもはや疑う余地がなく、修院長は父の霊魂を助ける為に直ちに善業組みを立て、祈り、苦業、十字架の道行、聖祭などを死者の為に捧げた。夜の12時に一同が40のロザリオを唱え終わると修院長の父は天国に昇った。マリア童貞はその霊魂が次の様に言うのを聞いた。「現世の虚しさを悟りし霊魂は幸いなるかな。」


1875年6月2日マリア童貞は恍惚より目覚めて修院長に向かい「今朝、私の前を1人の老婆が通り、"私の解放が済みました。毎日信心深く御身の為にロザリオを唱えました。私の解放が済みましたので喜んでおります"と言われました。この婦人をよく覚えていませんでしたが、3年前にモンペリエ市で私を親切に泊めて下さったアンジョル婦人であると信じます。」と言った。丁度その日の夕刻に、カルメル会に電報が来た。それは「アンジョル婦人が死んだ」という知らせであった。


「もし貴方が平和を心中に、家庭内に、国内に望むならば、毎夕共に集いロザリオを唱えるべきである。」(教皇聖ピオ10世)


司祭の保護者である聖ヴィアンネは手にロザリオを持たずに姿を見せる事は滅多にありませんでした。


教皇レオ13世はロザリオについて9通の回勅を書かれました。教皇は言われました。「公教会が分裂させられ諸悪に脅かされし時、公教会は何方に依り頼み奉るを得たであろうか?至聖なる天主の御母にして、全希望の保ち手にして、全聖寵の分配者である。」最初の回勅は1883年における告知であり、これによって10月に毎日ロザリオを唱える事を信者に勧められました。教皇は10月がロザリオの月である事を広められ、我々がこの呼祷得る事が出来ましたのは、まさに教皇のお蔭でありました。「至聖なるロザリオの元后よ、我らの為に祈り給え。」


教皇ヨハネス23世が聖母とロザリオに関して38回語られた事がピエタ小冊子に記されています。その中の一回は1959年9月26日でありました。「ロザリオは既知の如く、事実祈祷の非常に優れた手段にして神秘的冠を形作る黙想であり、主祷文と天使祝詞と栄唱のそれらを、我らの信仰の最大の神秘の黙想と共に織り合わせる物であり、多くの御絵の如くに我々の心中に聖母への受肉から贖いの劇的状況を表すのである。」


教皇ピオ5世は言われました。「これ(ロザリオ)は我々が必要とする精神的平安及び慰めを与える物である。」


教皇グレゴリオ13世は言われました。「ロザリオは天主の御怒りを和らげ、聖母の執成しに嘆願し奉る手段である。」



1830年、聖母は聖カタリナ・ラブレに対し、「彼らはロザリオを相応しく唱えておりません。」と仰いました。聖女はそれを残りの生涯に対する心の棘の如くに覚えたと語りました。


聖フランシス・デ・サレジオは我々に模範を示されます。訪問客達との時間に費やされたその日の真夜中、聖人はロザリオの残りの祈りを忘れていたのを思い出しました。聖人は膝の上で祈り終えるまで眠ろうとはしませんでした。これは堅忍、そして愛です。


聖ヨハネ・デ・ラサーレは常にロザリオを祈っていたので「ロザリオの司祭」と呼ばれました。


ある日教皇聖ピオ10世にロザリオを首にかけて運んでいた少年が近づきました。教皇は少年に言われました。「若者よ、私は貴方が求める物をロザリオによって求める事を勧めます。」


聖ジャンヌ・ダルクの御生涯において、王の傍に乗っていた聖女が非常に何かを回想している様に見えた事が記録されています。王が何を思っているのかを尋ねると、聖女は答えました。「愛しい陛下、私はロザリオを祈っております!」


「ロザリオは聖寵の宝である」(教皇パウロ5世)


「もし100万世帯が毎日ロザリオを祈るならば、世は救われるであろう。」(教皇聖ピオ10世)


教皇ヨハネス23世は言われました。「私の1日は長い祈りの1日でなければなりません。祈りは生命の呼吸です。私は毎日可能な限り、礼拝堂の御聖体の御前にてロザリオの15の玄義を祈るつもりです。」教皇は毎日15連を祈られました。


曾て聖ピオ神父は言われました。「祝せられた御母を愛し、他の者達に愛させなさい。彼女自身が我々に教え給うた祈りは更に美しく喜ばせる物であり、またロザリオ以上に美しい祈りがあるであろうか?常にロザリオを祈りなさい。」


教皇ヨハネ・パウロ2世は言われました。「毎晩ロザリオを唱える家族は何と素晴らしいでしょうか。」


ファティマの聖母、ロザリオの元后は伝えられました。「毎日いつもロザリオを続けて唱えなさい。」


教皇ピオ12世は言われました。「我々の時代の諸悪に対する癒しの為に、我々が聖なるロザリオに対し大きな確信を置く事を再び公然と断言するに躊躇しないのである。」


「ロザリオは全福音の大要である。」(教皇パウロ6世)


「公教会によって承認された全ての信心業において、曾ていずれも至聖なるロザリオと同じ様に多くの奇跡によって好まれた物はなかったのである。」(教皇ピオ9世)


「ロザリオは公教会、国家、そして全世界の必要を求める壮大かつ普遍的な祈りである。」(教皇ヨハネス23世)


「誰もロザリオを続けながら不義の生活を続ける事は出来ないのである。彼らは罪を捨て去るか、もしくはロザリオを捨て去るのである。」(ボイル司教)


「ロザリオは私が好む祈りです。驚嘆すべき祈りです。単純さと深遠さにおいて驚嘆すべき物です。私は真心から皆がこれを唱えるように勧めます。」(教皇聖ヨハネ・パウロ2世)


「ロザリオを信仰と、謙遜と、確信と、忍耐をもって祈りなさい。」(聖ルイ・デ・モンフォール)


「貴方が天使祝詞を祈る時、貴方はこの事を知らねばならない。彼女は直ちに挨拶され給うのである。彼女を多くの無作法な女性達の中の1人であるなどと考えはならない。彼らに反して彼女は非常に丁重で人好きな御方である。貴方が挨拶申し上げるならば、彼女は直ちに貴方に答え、語り給うであろう!」(シエナの聖ベルナルディノ)


「私の印象ではロザリオの最大の価値はファティマの聖母御自身による御言葉によるのみならず、歴史を通じて一見出来るロザリオの影響もまた然りであるという事です。私の印象では、聖母は祈りの方法を知らないであろう一般の人々に、この天主により近づき奉る単純な方法を御与えになりたかったのである、という事です。」(ファティマのルチア童貞)


「聖母がロザリオをこの上なく重んじられ、他のあらゆる信心業よりも遥かに好まれ給う事実を言葉によって言い表す事は出来ない。またロザリオを説き、或いは信心会を設立し、或いは普及する仕事に携わる者達に聖母がいかに高く報い給うか、それに反しこの信心業に背を向けようとする者共に如何に断固として罰せられ給うかを言い表す事は出来ないのである。」(聖ルイ・デ・モンフォール)


聖カロロ・ボロメオは言いました。「聖なるロザリオを尊ぶ信心会をミラノ大教区における全ての教区において建設を命じ、称賛せよ。」


教皇イノケンティウス13世は1491年2月26日にロザリオの信心会を「最も信心深き会」と呼ばれました。


聖アルフォンソ・リゴリオ教会博士は言われました。「数多の宣教において私は説教し結論に至ったのである。マリアの信心会に加わらざる1人の者は会員二十人分の罪をもつのである!」


聖ルイ・デ・モンフォールは書かれました。「聖なるロザリオの信心会の進歩を妨げるのは、他の者達に対して大きな不正と不公平を働く事である。全能の天主は、信心会を嘲笑しそれを潰そうとする数多の愚者共を厳しく罰せられ給うたのである。」


「ロザリオは聖祭の聖なる犠牲に次ぐ最も神的な祈りである。」(聖カロロ・ボロメオ)


「ロザリオは真のキリスト教的完徳を学ぶ為の学び舎である。」(教皇ヨハネス23世)


「日々ロザリオを唱え茶色のスカプラリオを着用し、そして更に小さな行いをする者は、天国に直ちに入る者である。」(聖アルフォンソ・リゴリオ)


「もし家族が聖母に一日に15分間をロザリオによって捧げるならば、私は彼らの家庭が天主の聖寵によって平和な場所となるであろう事を保証するのである。」(パトリック・ペイトン神父)


「聖祭に次いで聖なるロザリオの祈祷よりも効力のある物はないのである。」(聖教皇ピオ10世)


教皇ピオ9世の御臨終において、1人の司教が尋ねた。「聖なる父よ、この大事の際に御身は何を御考えになりますか?」「わが子よ、何を考えよう。」と、微笑みながら教皇は答えた。「私は今この部屋の壁にかけてあるロザリオの十五玄義の額を眺めて楽しく黙想しているのです。わが子よ、私はこれでどんな慰めを受ける事でしょう。喜びの玄義を見る時は、私は全ての苦しみを忘れます。十字架の玄義を見る時は、自分の上に超然として勇気が湧きます。というのは、苦しむ者は私1人でなく、私の傍にいと甘美なるイエズスが在しますのを見るからです。また、勝利の玄義を見る時は、もはや苦しみはなく、万事心を満足さす物ばかりで、私の苦しみは栄光の輝きに変化する様な気がします。聖マリアのロザリオはどれほどの幸福をこの臨終の床にもたらすでしょう。わが子らよ、貴方らの心、貴方らの家族、貴方らの国家、社会に平和を欲するなら毎日ロザリオを唱えなさい。家族と一緒に静かに聖母マリアのロザリオを唱えなさい。ロザリオは確かに福音書の大要であり、これを祈る者に天から聖書に記されてある平和が与えられます。最も美しく、聖マリアの御心に最もかなう信心業です。この祈りを愛し絶えず熱愛して唱えるべきです。わが子らよ、これがあなた方に残す私の遺言です。」




ある時一度聖アルフォンソ・リゴリオ教会博士が老人に出会いし時、この老人は未だロザリオを祈っていなかった事を思い出しました。聖人は老人を世話していた修道士に彼がロザリオを唱えたかを尋ねました。修道士は「そうであると思います。」と答えました。聖人はその主張に対しこの様に示されました。「そうであると思うか?そう思うのだろうか?しかし、宜しいだろうか。貴方はこの信心業に我が救霊がかかっているのを知らないのだろうか?」



<ある宝石商の宝>


ニューヨーク市の退職したある宝石商はいくつかの宝石のついた指輪や高価な腕時計を保管しました。友人の司祭にそれらを見せた時、彼は言いました。「しかしこれらが私の最も貴重な宝ではありません。」彼はポケットより真珠貝より取れる真珠層から作られたロザリオを取りだしました。「私の最も貴重な宝はこれです。」彼は結婚の日に贈り物として妻にこれを与え、彼女は彼に黒玉のロザリオを与え、その時その場で毎晩ロザリオを唱える約束を交わした事を説明しました。彼女が亡くなった時に、宝石商は彼女の手に黒玉のロザリオを置きました。「そして私は毎晩彼女の珠を用いてロザリオを唱えます。」


スペインで生まれたヨハネ・アラレグレン修道士は聖フランシスコ・ザベリオ学園に勤務していました。彼はイエズス会士であり、授洗しながらも天主の事を知らず信心のない子供達に、彼らが信仰の要理に関心を抱いた際に教義を教えていました。ある日修道士は舌が膨れている事に気がつきました。それは全く話す事が出来なくなるまで膨れ続けました。舌癌でありました。1948年の年の暮れに最初に発見され、翌年の8月に手術を受けましたが再発し、9月に再手術をする予定となりました。しかし9月18日夜から19日かけて奇蹟が起りました。手術にて修道士の舌は完全に切除される予定でありました。話す事は不可能になりますが、舌か生命かのいずれかである事を理解し、修道士は決定に従いました。手術の前夜、修道士は目覚め、側らに昔亡くなった母が立っている事に気がつきました。彼女は白いドレスを着た、首の周りに金色の丸玉をかけられ、愛と光と驚くべき喜びを放つ美しい婦人に付き添っていました。母はこの御方がファティマの聖母であり、貴方を癒し、伝達を与えられる為に来られたのであると説明しました。聖母は身をかがめられ、修道士の舌に触れられると、癌は直ちに消えました。聖母は言われました。「子供達に教義を教えるのみならず、ロザリオを祈る方法を教えて下さい。医師に言うまで、この事を誰にも言わないで下さい。」御出現が終わると、舌を動かし、話す事が出来ました。修道士は飛び上がって喜び、すぐに誰かに伝えたくなりましたが、聖母の御言葉を守り、沈黙の内に祈り続けました。翌朝麻酔の担当者が来ると、修道士は聖母の御言葉を守る為に何も言わず、ただ首を横に振り続けました。医師が来ると担当者は、「彼は手術を非常に恐れている様です。」と言いました。医師は修道士を説得しようとしました。修道士は初めて語りました。「お医者様、ファティマの聖母が昨夜御出現になり、私を癒されました。癌は消えました!」医師は信じず検査を行いましたが、治癒は事実でした。その後修道士は80代になっても公教会の教義と共に熱意を持って子供達に聖母のロザリオを祈る方法を教えました。


アルスの主任司祭聖ヴィアンネは言いました。「もし誰かが聖なるロザリオの信心会にある幸福を持つならば、彼らは地上の隅々まで、彼らの為に祈る同士を持つのである。」「聖なるロザリオの会員の霊魂を失わせるのに成功する為には、信心深き者達の自らの救霊の為の行いの如くに、彼らは自ら多くの暴力を受けねばならず、この信心会の聖寵は非常に富んだ物である。」


教皇レオ13世は言われました。「我々は聖なるロザリオの信心会に誉れを置く事を躊躇わぬのである。」「聖なるロザリオのこれらの信心会を裏付け、発展させ、指導する事に自らの最大の熱意を持って信心を行うべきである。この訴えは彼らの立場の重要なる義務である聖ドミニコの子らのみならず、霊魂を世話する全ての司祭に対する呼びかけである。宣教師達、異教の国々へ聖福音を持ち運ぶ者達、キリスト教の国々の中で説教する者達が、等しき熱意を持ってこの活動に自らを与える事、これはまた我らの最も熱き望みである。」



(1920年 アイルランド/アースラインズ 教会認可)


それほど遠からぬ以前に、世間の目の中で非常に尊ばれ、しかしながら不幸にも宗教の行いから完全に遠ざかった1人の紳士が、壮大な祝祭の際に幾人かの司祭達と同席しました。彼は会話の中でうっかりこの公言を漏らしてしまいました。「私は真の信仰の内に喜んで信じますが、私がそれに到る事は全く不可能です。」近くに座していた1人の司祭は彼に囁きました。「貴方は信仰を御持ちでないのですか?それならロザリオを唱えなさい!」その会話はその主題についてそれ以上言及される事なく続きました。約3年後、この同じ司祭は以下の手紙を受け取りました。「恐らく貴方はまだ約3年前に私が幾人かの司祭方、貴方もその数の中におられましたが、そこで同席していた事を憶えていらっしゃると思います。その時、私は信じる事が出来ないと遺憾の意を表明しました。そこで貴方は私にロザリオを唱える様に助言されました。初めは奇妙に見えた言葉は並外れた魅力と共に私の耳に常に響き、私の記憶に残りました。次第にそれは私の心に触れ、遂には甘美にして愛らしき物となりました。私はロザリオを唱え始め、そして今日、私は信じます。私は今幸福であり、喜んで聖務を果たします。」



<ある老人とロザリオ>


前世紀において、希望は科学に置かれ、物質的発展の内に大いなる信頼がありました。かの時代においてある日フランスの列車の客室で1人の老人がロザリオを唱えていました。1つの停車で若い知識人が客室に入り座りました。暫くしてこの近代科学の学生は更に耐える事が出来ずに老人に何故ロザリオを祈るのかと言いました。「貴方は何故祈りますか?天主は存在しません。科学のみです。そう、科学が答えなのです。」老人は黙したままでした。若者は彼を傷つける事を望まず、言いました。「さて、私の友よ、貴方に危害を与えるつもりではないのです。貴方は教育を欠いています。貴方の住所を教えて下さい。私は貴方の啓蒙の為に何冊かの本をお送りしましょう。そうです、それらが貴方に科学を教えるでしょう。科学であり、祈りは答えではありません。」丁度その時、老人の降りる駅となりました。客室から離れる前に老人はコートのポケットに手を入れて名刺を取り、自分に語る知識人に与えました。「良い一日を。」列車が再び発車した時、若者は名刺を見ました。「ルイス・パスツール パリ科学調査研究所」



<ロザリオの八大功徳>


一.ロザリオは我々に徐々にイエズス・キリストに関する完全なる知識を与え、

二.ロザリオは罪を洗い清めて我々の霊魂を浄め、

三.ロザリオは全ての敵共に対する勝利を与え、

四.ロザリオは我々が聖徳の修練を行う事を容易にさせ、

五.ロザリオは我らの主への愛に我々を奮い立たせ、

六.ロザリオは聖寵と功徳もて我々を富ませ、

七.ロザリオは天主と我々の同胞に支払うべき負債を払う為に要するものを供給し、

八.ロザリオは我々に全能の天主よりあらゆる聖寵を得させます。



<ロザリオの十大祝福>


一.罪人には赦しを得させ、

二.渇く者には憩いを得させ、

三.捕われ人の枷を砕かさせ、

四.泣く者には幸いを見出させ、

五.試みにあえる者には平和を見出させ、

六.貧しき者には助けを見出させ、

七.聖職者には改心を得させ、

八.無知なる者に教え、

九.生くる者には高慢を克服する事を学ばさせ、

十.死せる者の霊魂は、それによる執成しによりて苦痛が和らげられます。



「新たな勇気を取り戻す力強い手段は、聖なるロザリオを唱える事で見出される事に疑いの余地はないのである。」(教皇レオ13世)


「ロザリオの数ある有利な点の中でも、少なからず信心深き公教会信徒の注目を引くのは、ロザリオを手にして祈るという、他の方法では経験出来ぬ仕方にて信仰を育み、信仰に関わる無知と誤りに陥る危険より救われる速効である。」(教皇レオ14世)


「それ故深い黙想の精神もて、キリストと至高なるマリアの御生涯より輝き出ずる教えを観想し奉りつつ、世界中の子らや兄弟達がまことの完徳を学ぶ流派(なるロザリオ)に改めて目を向ける事を確信するのである。」(教皇ヨハネス23世)




我らの主よりファティマのルチア童貞へ


"主よ、祈りを教え給え。"と貴女は弟子として願っているであろう。私は貴女に、貴女の思い、唱える全ての内に祈る方法を教える。その方法について案じてはならない。貴女の祈りをわが御手の内に留めよ。私は貴女に最良の祈りの方法を、貴女の進歩としての私とのいとも堅固なる一致の方法を教える。貴女が祈る時、全注意力、全記憶、全愛をもって全自己を私に与えよ。何ものをも取り置かぬ意思である。貴女が私に全てを与える事を成すにせよ、貴女の注意力や記憶が重要であるのではない。自発的なる物が、全ての真の祈りの中心である。今如何にして、貴女が殊に愛する我が御心にいくつかの祈りを唱えるかを私に語らせよ。貴女はロザリオや他の定められし祈りを唱える時、急いてはならない。わが友人の数多の者が、ロザリオの祈りを外国語や奇妙な言い回しの如くにして急くのである。"御胎内イエズス"かくの如き言葉は私と他自身にはないのである。貴女が"天使祝詞"において、"罪人なる我らの為に祈り給え。"と唱える。貴女はわが御母に、恩寵のみならず代祷をもこい願うのである。貴女は彼女に、貴女の祈りを彼女の祈りとなされる事を願うのである。わが御母は貴女の為に共に祈り、貴女の祈りの足らざるを補い給い、一致させ給うを悟れ。貴女がロザリオを祈る時、その玄義と共に貴女自身を一致させよ。貴女があたかもそれを為したかの如くに、何事であれわが為せし物を共有する事を憶えよ。わが苦悶の内に貴女自身を加えて貴女の苦悶とせよ。わが鞭打ちを貴女の鞭打ちとなし、わが棘の冠を貴女の冠となし、わが十字架の担いを貴女の十字架の担いとなし、わが磔刑を貴女の磔刑とせよ。これら全ての玄義の内に貴女自身を加え、貴女の苦しみ、屈辱、苦難と悲しみをわが物に添えよ。然してわが犠牲は1つの犠牲となり、1つの愛の行いが三位を全く喜ばせるのである。然してまた私がそれらによりて三位に栄光を与えしが如くして、わが復活と昇天において貴女自身を私に一致させよ。かくの如くして、貴女はまたそれらの共有によりて、三位なる天主に栄光を与えるのであり、貴女が自らそれらを為したかの如くにしてそれを得るのである。貴女自身を聖霊を受けし使徒らに一致させよ。わが御母の永遠なる御旨と計画の承諾の内に貴女自身を加えよ。彼女に"主の御召使を顧み給いたればなり。御旨の行われん事を。"と語りて、彼女の認可を貴女の認可となせ。慈悲の内にエリザベトの下を訪れし彼女に貴女自身を一致させ、彼女の御訪問を貴女の訪問となせ。被昇天、元后として立てられしマリアに貴女自身を一致させよ。彼女がそれらによりて三位に栄光を与えしが如く、貴女もまた、貴女自身がそれらを体験せしが如くにそれらに与るによりて、天主に光栄を与え奉るのである。落ち着いてこれを為せ。何も"感ずる"様に試みる事はなく、あらゆる時に私が貴女に与えしこの祈りをしたいという単純にして平穏なる望みを保ちて、単純に静かに祈れ。貴女は不注意にして気が散らされるであろうが、焦ってはならない。貴女が望むのであれば、更にゆっくりと祈れ。1つの主祷文を断念を持ってゆっくりと祈る方が、早口で注意を払わず唱えるよりも遥かに良いのである。私は貴女の祈りを勘定するのではないのである。言葉や言い回しに意を注げ。例えば主祷文を取るならば、貴女は"父"という語、また"我らの"という語、また"御国"という語、また"御旨の天に行わるる"、かくの如き言い回しの意味を全て引き出す事が出来、周知とみなしてその意味の隠れた深みまでを見抜くであろう。


「オーストラリアでは第二次世界大戦の後に、完全なる召命の崩壊がありました。ある一年は誰1人として神学校に入学する者がありませんでした。司教はどうしてこの様な事態が起こり得たかを見出す為に教会会議を持ちました。彼らの達した結論は、戦争が家庭生活を分裂させてしまい、古き時代の家族ロザリオの修練が止められてしまい、現在再開されていないという物でした。これは私の経験ですが、ロザリオが去る時、信仰はすぐに崩壊します。私は教区の柱である、公教会信徒の友人の誰かの伝えてくれた話を憶えています。子供達が相次いで完全に堕落し、聖祭を拝聴し奉る事と秘蹟より完全に落ちていました。そして私は『貴方の友人の、彼の少年時代にもたらされた家族ロザリオが、彼らの子供達が得られていない事を断言出来るでしょう。』と言いました。次回彼に出会うと、彼は確かにそれが真実であったと言いました。彼の友人は彼の少年時代において家族でロザリオを祈っており、彼が結婚して自身の家庭を始めた時も家族でロザリオを祈りました。しかしその後、ある晩にロザリオを祈り始めた時、1人の子供がテレビのスイッチを入れ、それで決まりとなってしまいました。家族ロザリオの習慣は落とされ、そしてやがて彼らは信仰の行いを投げ出しました。我々に毎日ロザリオを唱えなければならない事を教えられる為に、天主はファティマに御自身の御母を遣わされた様に、彼女が我々に求め給うた祈祷は他ならぬ物でした。以前私が出会った1人の平信徒は、毎日聖務日課書を読み上げていると私に伝えました。それは素晴らしい事です。それは司祭の行うべき事であり、公教会の祈祷です。従って、それはある意味ではロザリオより優れた物でありますが、それは聖母の求められ給いし物ではありません。彼女はロザリオを求められました。もし1人の母親が一瓶の牛乳を求めて子供を店に遣いに出し、彼が(牛乳の)代わりにアイスクリームをもって戻ったとすれば、彼女は喜ぶでしょうか。ある意味ではアイスクリームは牛乳よりも上等なものではありますが、しかしそれは彼女の求めた物ではありません。(シュワイツ神父の御話)



<ロザリオの祈り>


モンシニョール ロマノ グアルディーニ(1885-1968)


我々はロザリオの祈りの異なった方法について、いくつかの言葉を語らねばならぬのである。なぜならば、単純なる形式ながらも、これは広く深き物であるからである。この組み合わせは同時にそれを祈る事を容易にして、難しくするのである。鮮明な想像力と開かれた心を持つ者に対しては容易であり、言葉の流れで御絵を捕え、聖なる御姿の内に彼自身の実存を確かめる事が出来るのである。内側の静観的能力と現代生活の多様性を引き換えたる者にとりては難しいであろう。そしてもし、第二に属する者がロザリオを祈りたいと願うのであれば、彼は多少の困難に取り組む用意があるに違いないのである。彼は修練せねばならず、また徐々に他に如何なる物が自然的に生ずるかを学ばねばならぬのである。とりわけ、ロザリオの重要な部分である繰り返しに対する嫌悪を抑えねばならぬ。同じ語の静かなる繰り返しの調子がその形式である。彼はまた現代人に大変ひどく確立された落ち着きのなさも抑えねばならぬ。こうする事が出来ぬ者は、ロザリオの事を考えぬ方が良いのである。彼は失望するのみならず、美はしき物に小さい価値をつける危険を冒すからである。ロザリオは長い祈りである。外面的のみならず、内面的にも必要な時間を空ける様にして、その者の時間をとらねばならぬのである。1人の者がこれを正しく祈る事を求めるならば、暫く静かで目的を持たぬ時間の為に自らを急き立てる様に考えねばならない。彼の自由で30分、もしくは10分を持つかどうかに関係なく、これが必要であるのである。そして彼は余りに多くを試みるべきではない。それは全ロザリオの祈りを散策するのに必要ではないのである。ただの一連、もしくは二連でも、それらを適切に唱える方が良いのである。



<ロザリオの祈りによりて臨終に回心を得た話>


クレメントという名の聖なる司祭は、丁度真夜中に脳卒中に罹ったある若い貴族の聴罪の為に呼ばれました。彼は屋敷に急行し、完全に混乱している事が判りました。医師は虚しくも治療を行い、患者は完全に意識不明でありました。夜はかくの如き苦悩の内に過ぎました。夜明けに教会が開かれ、司祭は聖なる童貞マリアの礼拝堂でこの病者の為の聖祭を唱える為に行きました。閉祭の丁度その時下僕が主人の意識の回復した事を知らせに来ました。この聖職者にとって嬉しく思いがけぬ事であり、貴族のベッドの傍らに着くと、放蕩によりて不幸にも名高き彼が嘆息と涙混じりの言葉によって、天主の慈悲を求め、最も強き良心の呵責の思いを差し挟んで、罪の償いにおけし雄々しき寛大さで自らの生を委ねているのを見出しました。これらの意向の内にこの病者は告白を為し、最終の秘蹟を求めました。この聴罪司祭は感銘を受けて突き動かされ、我らの主の慈悲のこの大いなる恩寵の御業に勝ち得るであろうかと、この改悛者に尋ねました。「ああ、神父様。」とすすり泣き、枯れた声で病人は答えました。「ああ、彼に勝ち得ましたが、恩寵において、この慈悲そのものは貴方様の祈祷と、そして恐らくは私の亡き母より得ました。」


その街と宮廷において、その敬虔さ故に敬意を抱かれしその善き婦人が息を引き取る時、彼女の1人息子であったこの若き公爵が呼ばれ、彼に次の様に語りました。「わが息子よ、私は貴方に大いなる名と財産を遺しますが、キリスト者の真の称号に真正たる為に、これらを維持する事を勧めません。わが息子よ、貴方に対し危険を予期するのです。過剰の中で、恐らくこれらの偉大ならざる富の所有は、貴方を堕落させるでありましょう。私は間もなく死にます。ああ、貴方の為に、しかし天主の御旨は為されました。祝せられた童貞マリアの御保護の下に私は貴方を置きます。私は彼女に貴方の母に代わり給う事をこい願います。わが息子よ、貴方の残りの人生に対し私の追憶を保つならば、貴方の為だけの惜しむ生涯の、貴方を最も優しく愛した貴方の母に従跡を与えたいのであれば、貴方に頼むただ1つの事を行う事を約束なさい。貴方の犠牲は僅かな物です。それは毎日ロザリオの祈りを唱える事です。」「私は大変心からこれを約束致しました。」と病者は聴罪司祭に語りました。「そして私は定期的に母が非常に案じて私に行う事を願った事を行いました。10年を過ぎてそれが私の唯一の宗教行為であった事を認めます。」聴罪司祭はこれがこの改悛者の為に、我らの主よりこの驚くべき慈悲を得られし、至高なる天主の御母の特別なる御保護でありし事を疑いませんでした。彼はより彼のこの保護者におけし確信を増す様に勧め、同じ償いの精神の内に最後の吐息を為すまで彼の下を去りませんでした。


出典元・信心の園


にほんブログ村 哲学・思想ブログ カトリックへ
にほんブログ村