「ロザリオは地獄に対するとても力強い武器になるでしょう。ロザリオは悪を砕き、罪から救い、異端を追い払うでしょう。」


地獄について

 


聖書、もしくは信頼できる啓示において悪魔と地獄の存在は明確に示されていました。しかし、現在カトリック教会で「地獄」について語られる機会は大変少なくなりました。これは霊魂の救いにとって正しい事であるでしょうか。


「貴婦人は毎月の御出現と同じ様に両手を開きました。すると右の手から光が溢れて大地に入り込み、それと同時に、火の海が見えました。そこには、人間の姿をした悪魔と悪人とがカンカンの燃え立った炭火の様に、真赤に焼け、真黒に焦げて、火の海に溺れ、悶え苦しんでいました。忽ち起こったもの凄い大鳴動と共に、彼らは吹き上がった火焔の為に、空高く吹き飛ばされ、大火災の火の粉の様に四方へ散らばって、ぐるぐると回転しながら、苦悩と絶望に怒り、喚き狂って、可哀想に、再び火の海の中に落ち込んで行きました。」


「悪魔は恐ろしい、見た事もない嫌な、汚らしい動物の形をして、燃え盛る炭火の様に透き通って見えました。」(ファティマの牧童の一人、ルチア修女)


「あなた方は、哀れな罪人が陥ちて行く地獄を見たでしょう。この罪人を救う忽ちに、主は私の汚れなき御心に対する信心を世界に広める様に求めておられます。」(ファティマの聖母)


「地獄は長い長い年月の後にも終わりがないの?そして地獄に行く人は死にませんか、彼らをその所から救い出せませんか?可哀想な罪人。私達!その人達の為に祈らなければならないし、沢山の犠牲をしなければなりません。」(ファティマの牧童の1人、聖ヤシンタ・マルトー)


「私達が地獄でみた一匹の恐ろしい野獣がここに居たんだ。ここで火の炎を口から吹き出したんだ。」「私達は、あの光の中にいたけれど、神がそこにいらっしゃったので、私達は燃えなかった。私達は本当に言葉でそれを表す事が出来ないけれど、主がそんなに悲しんでおられるのは、何と可哀想な事だろう。私は、主イエズスを慰める事が出来れば、どんな犠牲も捧げたい。」(ファティマの牧童の1人、聖フランシスコ・マルトー)(羊の放牧中、岩穴の中で)



<ヨセファ・メネンデズ修女>

20世紀中の大変偉大な神秘家といわれる方で、ヨセファ・メネンデス修道女がいます。彼女は1923年に33歳で帰天しました。短い生涯でしたが、彼女はその深い宗教的な生活の中でいくつもの驚くべき啓示や体験を得されられました。貴重な多くの啓示や体験の中でも特に「地獄」についての啓示は必要な物であると思います。彼女は数回に渡って地獄を見せられた(体験させられた)のですが、非常に具体的な内容であると言えます。


「今日私は莫大な数の人々が、火の穴に落ちるのを見ました。彼らはこの世の人間の様に見えました。悪魔は奮い立ち、大声で叫びました。”世界は私の為に熟している。私は霊魂を捕らえる最良の方法が、彼らの楽しみの為に欲望を駆り立てる事である事を知っている。『私を一番に、他の人々よりも先にして下さい』『私の為に遠慮しないで下さい』『私自身を愉快に過ごさせて下さい』こういった者達の内の一部の人間は、私の勝利を保証する。そして彼らは地獄に真っ逆さまに投げ入れられる”」(1923年10月4日) 


「今夜私は全てが暗い場所へと運ばれました。私の周りには7~8人の人がいました。私は火の影によってのみ、彼らを見る事が出来ました。彼らは座り、一緒に話しをしていました。1人は言いました。”私達は容易に発見されるかもしれない。見つけ出されない様に非常に注意しなければならないだろう。”(この「人」と言いますのはお分りの様に悪魔の事です)悪魔は答えました。”彼らの中に不注意を引き起こす事によって、お前達自身はうまく入り込むだろう。しかし表面に出なければ結果として見つけ出されないだろう。それによって次第に彼らは無感覚となり、邪悪な事に心を傾けるだろう。それら以外にも野心に、利己心に、労働せずに富を得る事に、それが正当であってもそうでなくても、誘惑する。また、快楽の愛や官能を起こさせる。彼らを悪徳によって盲目にさせる。残りの者も同じく、心を通じて彼らの心の好みをお前は知っている。彼らを愛させ、熱烈な愛を、徹底的に働きかけ続ける。休みなく、憐れみなく。彼ら自身に食べ物を詰め込ませてやりなさい。それは全て私達の為に容易になるだろう。彼らの為に宴会を開け。快楽の愛はお前達が彼らに届く為のドアとなるだろう。”」(1923年2月3日)


「私は幾人かの霊魂が地獄に落されるのを見、その中には15歳の子供がいましたが、天主を恐れる事も地獄が存在する事も教えてくれなかった両親を罵っていました。その子の生涯は短い物でありましたのに、彼女の肉欲や情欲を満たし、それに完全に屈した罪に満ちた物であったと言いました。」(1923年3月22日)


外に出る人々は、私に背いた者らの死体を見る。蛆は絶えず、彼らを焼く火は消える事がない。全ての肉なる者にとって彼らは憎悪の的となる。(イザヤ66:24)


カトリックの現在の大きな危険の1つ、つまり悪魔の勝利の1つが「地獄の存在に対する不信」ではないでしょうか。多くの人々は今や地獄が寓話、神話、及び「火と硫黄と審判の旧約聖書の神」の時代遅れの話と受けとめてはいませんでしょうか。誤っている主義によって、イエズスは愛と慈しみの神であり、重大な悪に対する永遠の罰の様な物は存在しないと促されて、地獄に対して教える、語られる機会の多くは放棄されています。しかし「主である私は変わる事がない(マラキ3:6)」という事を決して忘れる事は出来ません。地獄は突然に消滅した訳ではありません。



<聖アルフォンソ・リゴリオが伝えられた例>

1604年、フランダース地方のある町に、2人の若い学生がいた。この2人は学問に身を入れる代りにに、放蕩に身を持ち崩していた。ある夜2人は、ある不身持ちの女の家に罪深い会合を行った。その内リシャールとよぶ方は帰り、もう1人は残っていた。リシャールは家に帰り、既に寝巻きに着替えようとしていた。その時、毎日聖母マリアの誉れの為に唱えていたアヴェ・マリアを、その日に限って忘れていた事に気がついた。眠くてどうにもならなかったけれども、無理をして半分眠りながら、信心もなくいつものアヴェ・マリアを唱えた後、床についた。寝入ったかと思うと、間もなく、戸を叩く激しい音に目を覚まされた。それと同時に、戸は閉めてあるのに、例の友人が、全く面相が変わり、二目とは見られないほど恐ろしい姿となって、彼の前に現れた。リシャールは叫んだ。”お前は、誰だ” ”俺だよ、判らないのか” ”どうしてそんなに変わり果てたんだ。まるで悪魔の様ではないか” ”ああ僕は不幸だ。地獄に落とされてしまったんだ” ”それはどうした訳なんだ” ”あの家を出た途端、悪魔に絞め殺され、体は街路の真ん中に捨てられ、霊魂は地獄に落とされたんだ。お前も同じ罰を受けるはずだったんだ。けれども聖母マリアが、お前の唱えるアヴェ・マリアに免じて、お前を助けてやったんだ。神の御母は僕の口をかりて、お前に警告して下さったんだ。この警告を善用すれば、幸いなんだ” 友人はこう言って、外套を開き、彼を苦しめている炎と蛇を示したかと思うと、消えてしまった。リシャールは涙を流し、顔を地に擦り付けて、聖母マリアに感謝を捧げた。悔悛の生活に入ろうと考えていると、近くのフランシスコ修道会からの朝課の鐘が聞こえた。リシャールはほん然と悟る所があって、”神が僕を招き給うた償いの場所はあそこだ” と叫んだ。そしてすぐさま修道院に行って入会を求めた。修道士達は、リシャールの不品行を知っていたのでなかなか聞き入れようとしなかった。しかしリシャールは瀧の様な涙を流しながら、一部始終を物語った。2人の司祭が指定された町路に行って見ると、果たしてリシャールの友人の絞殺体が炭の様に黒焦げになって横たわっていた。リシャールは入会を許されて、ひたすら聖なる修道の生活をはげんだ。(聖アルフォンソ・リゴリオ 聖母マリアの栄光)


聖アウグスチヌスはなぜ生活を変えたのでしょうか。それは地獄への恐れの為でした。



<ロシアの将軍と伯爵の話>

1812年のナポレオンとロシアの間における軍事攻勢の少し前に、二人の高位の軍人であるモスクワの軍政長官と伯爵、そして将軍が酒を飲み交わしながら天主と死後の生と地獄の存在について語らい嘲笑していました。彼らは嘲って"光栄の誓い"を作り、その誓いは、もし地獄が存在するならば、彼らの中で一番最初に入った者が他の者にそれを知らせに来る、という内容の物でした。それから数週間後に将軍は最前線に向って出発しました。ある朝伯爵がベッドの中で眠っていると、突然目の前に将軍が現れ、青ざめて伯爵の胸の上に右手を置き、「我々は今どうするだろうか。地獄は存在し、私はここにいるのだ。我々は今どうするだろうか。」と言い、姿を消しました。伯爵は長官の下に走り、目をつり上げ髪を逆立てて先ほど何が起ったかを叫びました。その後2週間後に彼らはモスクワで、将軍が戦闘で亡くなった知らせを受け取りました。まさにその亡くなった時に、将軍は伯爵に現れました。彼は誓いを守りました。地獄は存在します。


<聖ファウスティナの御証言>


聖ファウスティナ修女は、1936年に地獄の幻視を見せられた事を日記に書いています。


「今日私は天使によって地獄の裂け目に導かれました。そこは大変なる責め苦の場でありました。何と恐ろしく広い、大規模な物でしょうか。私が見た地獄を構成する責め苦の1つ目は、天主の喪失です。2つ目は絶え間ない良心の呵責です。3つ目はその者の状況が不変であるという事です。4つ目は天主の御怒りによる純粋な霊的な火で、それは霊魂を破壊する事なく酷い苦痛が霊魂を貫きます。5つ目は絶え間なき暗黒と酷い窒息する様な臭いです。また最も深い暗黒にも関わらず、悪魔共と呪われた霊魂達は互いと他の邪悪な物を見る事が出来ました。6つ目はサタンの不変の仲間であるという事です。7つ目は酷い絶望、天主に対する憎悪、汚らわしい言葉、不敬と冒涜です。これらは全ての共に呪われた者によって受ける責め苦です。しかしこれらは苦しみの最後ではありません。特定の霊魂の為に定められた特別の責め苦があります。それは五感による責め苦です。各霊魂が犯した罪に関連した恐ろしく言うに言われぬ苦痛を経験します。責め苦の形式が他の物と異なる1つとして、責め苦の空洞、もしくは穴があります。もし全能の天主が私をお助け下さらなければ、まさにその責め苦の光景の中で私は息絶えた事でしょう。その罪を犯す事に用いられた感覚の中で、全く永遠に渡って彼が責め苦を与えられるという事を、罪人に知らせて下さい。私はこれを天主の御命令によって書いております。そうして地獄は存在しないとか、かつて誰もそこにいた事が無いとか、誰にもそれがどの様なものかとは言えないと言う事によって霊魂に弁解を見出してはいけません。地獄の存在を証言し霊魂に伝える為に、私、ファウスティナ修道女は天主の御命令によって地獄の深淵を訪れました。私は今それについて語る事は出来ませんが、天主の御命令を受け記述の中に残しております。悪魔は私に対する憎悪で一杯でしたが、彼らは天主の御命令によって私に服従せねばなりませんでした。私は書きましたが、私が見た物はほんの薄暗い人影でありました。しかし私は1つの事に気がつきました。その霊魂達の大半は、地獄が存在する事を信じていなかった人々です。私が恐怖から立ち直ると同時に意識を取り戻しました。霊魂は何と酷くそこに苦しむのでしょう。従って、私は罪人の回心を更に熱心に祈ります。私は絶えず彼らの上に天主の御憐れみを嘆願しました。ああ、わがイエズスよ、最も小さな罪によって御身を怒らせるよりも、私は寧ろ世の終わりまで最も大きな苦痛の中で苦悶したいのです。」



<聖フランシス・イエロニモの話>

聖フランシス・イエロニモは説教によって数多くの罪人達、犯罪者、身を持ち崩した女性達を回心させました。ある日、聖人は一人の不身持ちの女性の家の前で説教を始めました。しかしながら彼女は聖人の説教を遮ろうと様々な妨害を試み、大声で叫ぶ事さえしましたが、聖人は最後まで説教を続けられ、彼女は聖人の注意を逸す事が出来ませんでした。数日後、聖人は同じ家の前を通り、その家が閉められているのを見ました。聖人は近くの人々に「何がカタリナ(その女性)の身に降りかかりましたか?」と尋ねました。「彼女は昨日急死しました。」彼らは答えました。「死んでしまった!」聖人は大きな声で言いました。「彼女を見に行きましょう。」聖人は家に入り階段を上り、彼女の遺体が安置されているのを見ました。多数の訪問者があるにも関わらず静まり返った部屋の中で聖人は叫びました。「カタリナ、私に教えて欲しい。貴女の霊魂に何があったのだろうか?」一度だけでは返答を得られず、3度目に威厳をもって問われた時、突如その女性の目が開き、人々の目前で唇が動き出しました。そして深淵から来るかの様なか弱い声で答えました。「地獄に、私は地獄にいます!」人々は皆恐れてそこを立ち去りました。聖人は繰り返し言いました。「地獄に!地獄に!全く力強きかな天主!恐るべきかな天主!」



<ロンドンのある未亡人の話>


1848年のロンドンに、29歳の大変裕福でとても世俗的な生活をしている未亡人がいました。そして未亡人の家の招待客の中に、1人のいかがわしい行いを続けている若い主人がいました。ある夜遅く、この未亡人がベットの中で読書をしていると、突然戸口から部屋中に眩しい光が増大し寝室を満たし始めました。驚愕し、大変心配した未亡人は、ドアをゆっくりと開きました。すると前には酒盛り中の情夫であった、その若い主人が完全な炎の中で立っていました。彼女が言葉を発するよりも先に、若い主人は未亡人の手首を掴み、「人々が燃える地獄は本当にあります。これを確かに知って下さい」と叫びました。未亡人は手首を焼き焦がす苦しみによってそこを去りました。それから約30分後、未亡人は自分の使用人を呼び、その部屋に行かせました。部屋に入ると使用人は強い肉の焼けた匂いを嗅ぎました。また未亡人の手首の骨にまで達した大火傷を見ました。その火傷は別の人間の手形でありました。更にドアからベットまでの絨毯には人間の足型があり、その足跡が絨毯を燃やした事に気がつきました。翌日未亡人は、まさにその夜、若い主人が死んだ事を知りました。



<聖人方の御言葉>


「悪魔は鎖で繋がれた犬に似ています。鎖の長さを越えて彼は誰も、そして貴方も捕える事が出来ません。距離を保ちなさい。もし貴方が彼に更に近づくのであれば、貴方自身を捕えさせるでしょう。悪魔が霊魂に入りこむのには、ただ1枚のドアのみによってである事を憶えて下さい。これは意思です。秘密も隠れたドアもありません。」(聖ピオ神父)


「貴方はこの虚しい考えに注意を払うべきではありませんが、サタンが貴方の行動のいずれかの内において貴方にそれを示唆する時、サタンに言わなければなりません。”サタンよ、去れ。私はお前を放棄するだけでなく、お前の邪悪な提案も放棄する。私はお前の為に始めたのではなく、またお前の為に終わりもしないであろう。”」(聖マルガリタ・マリア・アラコック)



広き道

<福者アンナ・マリア・タイギの幻視>


福者アンナ・マリア・タイギ(1769-1837)はある日、特にその日にこの世を去った霊魂の行き先を幻視の中で知らされました。天国、煉獄、もしくは地獄です。幻視は丁度降雪の日の象徴によって示されました。各霊魂は雪の一ひらとして表されました。貴方御自身が冬の日に窓辺に腰掛けて外を見ていると御想像なさって下さい。最初に少しの雪が天から地面へと優しく降り始めます。天国に真っ直ぐに行った霊魂は空から降る少ない雪片によって示されました。時間が過ぎ、今雪はより激しく降っています。これは煉獄に入った霊魂を象徴しています。最後にその日に地獄に行った霊魂は、視界ゼロの猛吹雪と同じでした。


この事は私達に何かを黙想させ、考えさせます。


<ローマの娼婦の話>

1873年のローマで、ある夜遅くに地元の病院で1人の娼婦が息を引き取りました。その時彼女の同僚の1人は売春宿で大声で叫び、近隣の人々全員を起し、そして警察が呼ばれました。なぜなら病院にいるはずの彼女の友人が突然炎の中に現われ、「私は地獄に落とされています」と述べた為でした。夜明けを迎えこの貧しい女性は去りましたが、友人の昨夜病院にて息を引き取った後の言葉はその後ローマの至る所に広まり、常の如く、賢人は聴き、愚かな者は笑いました。



<ドイツのある霊魂の話>


これは1930年代のドイツでの話です。クララとアネットという二人の20代の独身のカトリック信者の女性がいました。2人はドイツのある商社の従業員として勤務し、2人は親友という程ではありませんでしたが互いに信頼をよせる様になりました。クララの方は自身の宗教を公然と宣言し、またアネットに対して表面的なちょっとした事を見た時、宗教上の問題について忠告する義務を感じました。その後1937年にアネットの方は結婚し退社しました。クララが秋の休日をガルダ湖で過ごしていると、アネットの母から手紙が送られてきました。「アネットは亡くなりました。彼女は交通事故の犠牲となり、昨日ウォールド・フリードフォフに埋葬されました。」クララは彼女が余り宗教熱心ではなかった事を知っていたので、ぎょっとしてしまいました。彼女は天主の御前に行く準備が出来ていたのでしょうか。突然地上から去ってしまい、彼女に何が起ったでしょうか。翌日クララはミサ聖祭に熱心に与り、聖体を拝領してアネットの霊魂の為に熱心に祈りを捧げました。その日の真夜中、深夜12時を過ぎた時に突然アネットの霊魂の姿が見えました。「クララ、私の為に祈らないで下さい。私は地獄にいるのです。もし私がこれを貴女に伝え、語るならば、それが私達の友情からであるとは考えないで下さい。ここで我々は誰をも愛しません。強制によって私はこれをしているのです。私の本当の願いは、私が永遠に留まらなければならないここに貴女が来てくれて、貴女に会う事です。恐らくこれは貴女を怒らせるでしょうが、ここでは我々は皆そのやり方を考えます。我々の意思は邪悪な者、貴女が邪悪と呼ぶ者の中で頑なになるのです。私が今している様に貴女の目を地獄に関して開き、何らかの善行を行う時でさえ、それは善意の為ではありません。4年前、私達が初めて出会った時の事を憶えていますか?貴女は当時23歳で、私よりも半年ほど年上であり、私が初心者であったので貴女は私にいくつかの助言をくれました。そして私は貴女の隣人愛を称えました。滑稽な事です。貴女に助言して貰ったのは単なる媚にしかすぎませんでした。ここで我々は誰かの中に如何なる善をも知り得ません。私が若い頃に貴女に何を伝えたかを憶えていますか?私はいくつもの隔たりの中で目いっぱいにされる事に苦しみながらこれを強いられています。私の両親の計画では、私は生存すべきではありませんでした。不運は私の妊娠を引き起こしました。私が生まれた時、私の2人の姉達は15歳と14歳でした。」「私が存在していなければ、私は今自分を絶滅させる事でしょう。これらの責め苦を回避するでしょう。無の中で失われる灰の服として実存を放棄するのは福楽が無い事に等しいでしょうが、私自身が1人の零落した人間である事を選んだので、私は存在し続けなければなりません。」「私の父母は若い頃に都市に向かって地方を離れ、彼らは教会との関係を失い、無宗教の人達と付合いました。2人はダンス場で交際しました。交際が始まって一年半後に2人は"結婚せねばなりませんでした"。」「結婚の式の結果として彼らの元に大量の聖水が残りました。私の母は年に数度ほど日曜日のミサ聖祭に与りましたが、私に祈る事を教えませんでした。代りに日々の生活の心配りに完全に従事し、私達の状態は悪い物ではありませんでした。」「私は祈祷、ミサ聖祭、宗教的指導、聖水、非常に強い嫌悪を持つ教会について、また一般の人々や他の事柄について言いましょう。」「私達は多くの事物より責め苦を受けるのです。全ての受け取った知識、私達に知られていた、もしくは生きていた時の全ての事態の記憶は、臨終における刺し貫くか如き炎です。良き悪き全ての記憶において、私達は知らないふりをしたか、もしくは軽蔑した聖寵の存在の様子を見出すのです。これは何たる責め苦でしょうか。私達は食べる事も、眠る事も、歩く事もしません。喚き声と歯ぎしりに繋がれて私達の荒廃した生命は嫌悪と苦しみにぞっとして見えるのです。聞こえますか?私達はここで水の如き憎悪を飲むのです。とりわけ天主を忌み嫌います。抵抗と共に私は貴女に理解させる事を強いられています。」「天において祝せられた者は天主を愛し奉るに違いありません。彼らは全ての眩き美の内に覆いなく天主を見奉るからです。それは彼らの至福を言うに言われぬ物となすでしょう。それを知る事が私達を怒り狂わせます。地上の人々は実存からの天主と黙示からの天主を知り、彼を愛する事が出来ますが、彼らはそれを強いられません。私はこれを歯ぎしりをもって言いますが、十字架上のキリストを黙想する信仰者は、結局広げた腕をもって彼を愛する事になるでしょう。」



<アビラの聖テレジアの御体験>


「私がある日祈っておりました時、ある瞬間どの様に行ったかわかりませんが、私は一見して地獄にいますのを自覚しました。これは悪魔が私に対し準備を整えて維持し、かつ私の罪により値する場所を見るべきであるという主の御旨であると私は理解しました。この後少しの間、私が長年の人生の中でしなければならなかったとしても常に忘れているべきで、これは私に望みがないと思えました。その入り口は狭い小道によって、竈の様にとても低く、暗く、密集して見えました。地面の水は過剰であり全くの泥で、非常に不潔で上に向かって有害な臭いを放ち、また嫌な害虫で覆われて見えました。その果てにはクローゼットの様な壁の中に空洞の箇所があり、そこで私自身が閉じ込められたのを見ました。私がそこで感じた物と比較するのであれば、私が曾て見た全ての物は快い物です。私の申します事に誇張はありません。しかしその後に何を感じたかに関しまして、私が記述するのであるならば、どこから始めるべきであるかは知りません。これは全く不可解です。私は霊魂の中の火を、しかしそれに関してはまた記述する事の出来ない様な物を感じました。私の肉体の苦痛は耐えがたいも゙でした。」  



<聖カタリナ・デ・リッチの兄弟の話>

聖カタリナ・デ・リッチの1人のある兄弟、アンドレアは堕落した生活に導かれ、フランスにおいて死を迎える事になりましたが、彼は秘跡を拒否して死にました。聖女が彼の訃報を聞きつけた時、すぐに主の御慈悲をこい願うべきであると思いました。主はいつも聖女の願いを拒まれる事はまずありませんでしたが、秘跡を拒絶して死に、地獄に行く事を望んだアンドレアに対するこの願いだけは主はハッキリと拒まれました。アンドレアは己を愛したので、主は彼が地獄に行く事を認められました。天主は彼を愛し自由を御与えになり、彼は自ら地獄に行く事を選びました。



<霊魂の罪の汚れ>


我らの主はジェノアの聖カタリナに、天主の下僕の小罪の忌々しきを御示しになられた。その非常な恐ろしさは即座に聖女を死に至らしむる程であり、聖女は自らの霊魂の、これらの汚れを見た。


「その幻視は、僅かな過ちに関する物のみであり、僅かな時間だけ続きましたが、この僅かに続いた物で、私に死を引き起こす事、もしくは石の本体を塵に変えてしまう事さえ充分でした。」


「もし我々に地獄の門を開く事が出来て、その中に閉じ込められている全ての霊魂を解放する事、そして煉獄から全ての霊魂を解き放つ事が出来ましても、一つの小さな嘘(小罪)によってこの全ての者に、我々はその様な許しを与える事は出来ないでしょう。」


出典元・信心の園

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