キリスト信者の道徳と警鐘


「我々の世代の最大の罪というのは、全ての罪の感覚を失った事である。」(教皇ピオ12世)

 

<聖アントニオ・ガボットの預言>


「彼らはその時代の精神に屈するであろう。彼らがもし我々の時代に生きたならば、信仰は単純で易しいと言うであろう。しかし彼らの時代において、彼らは時代が複雑であると言うであろう。公教会と世界が一体となるそれらの時代が近づく時、公教会はその時代の困難に対する意味深長さを生み出し、その時代にもたらすに違いないであろう。」


<聖ヴィンセント・フェラーの預言>


「戦争と革命の破壊の後に来る世の終わりの前の平和の時代において、キリスト信者達は彼らの宗教にだらしのないものとなり、彼らは堅信の秘跡を拒否するであろう。"それは不要の秘跡です"と言うであろう。」


<聖コロンバンの預言>


「終わりの日の七年前に海の一つの氾濫の中で(アイルランド)エールが沈むであろう。」



<福者 アンナ・マリア・タイギの預言>


「宗教は迫害され、司祭らは虐殺され、教会が閉鎖されますが、それはつかの間でありましょう。教皇はローマを離れねばならないでしょう。」


「天主は二つの罰を下し給うでしょう。一つは戦争、革命、或いは地上で起こる災いであり、もう一つは、天より送らるる物でしょう。全地上には、三日三晩続く濃い暗闇が襲うでしょう。何も見えず、大気は疫病に満ちるでしょう。その主たる疫病は宗教の敵共の生命を奪うでしょう。この暗黒の間、人工的な光源は不可能となり、唯一祝別された蝋燭のみが光を灯し、明かりとなるでしょう。彼が好奇心から窓を開けて外を見たり、家を離れたりするならば、その場で息絶えるでしょう。この三日間の間は人々は自らの家に篭もり、ロザリオを祈り、天主に御憐れみを願い奉るべきです。」


「公教会の敵共は皆、知られたる者と知られざる者に関わらず、天主が直ちに回心させ給う僅かな例外以外は、その万民の上の暗黒の間、全地上で息絶えるでありましょう。大気は現れし一種の恐ろしき形相の悪魔共に冒されるでしょう。」



「世は反キリストの誕生の後、信仰を失い、堕落するであろう。」(聖ヨハネ・クリゾストモ)



「しかし幾度かほとぼりが冷めし後、重き不正は多く、道徳的腐敗はそれまでよりも悪くなるであろう。それは人類に最終にして一層悪しきと反キリストと、世の終わりをもたらすであろう。」(聖カエザル)



「三日間の暗黒の間、公教会の悔悛せざる迫害者の破滅があるであろう。三日間の畏怖の暗黒を生き延びる者達は、あたかも地上に己一人が生きているかの如くに思うであろう。

なぜなら、世界の至る所が死体に覆われている現実ゆえである。」(福者カスパル・デル・ブファロ)


「その彗星の相当なる圧力によって、海は大いに引き出されるを強いられ、多くの国々が氾濫するでしょう。そして多くの貧困と流行病を引き起こします。そして彼らの多くは津波によって滅ぼされます。しかして生けとし生ける者の大部分が命を落とします。逃げ惑う人々さえ恐ろしい病で死に絶えます。都市においては天主の掟に従って生きる者はおりません。」(聖ヒルデガルド)



<教皇聖ピオ10世>

「私は私の後継者の一人を見たが、彼が同胞らの遺体の上を飛び越えて避難しに行くのを見た。彼は隠れる中でいずこかに避難に行くが、短い退去の後、彼は悲惨な死を遂げるであろう。現在の世界の不道徳は、世の終わりの前に起こるに違いない、悲しみの始まりというだけなのである。」



<神秘家マリー・ジュリー・ジェニーへの”暗黒の3日間”の啓示>

「この危機は突然に炸裂するであろう。この懲罰は全ての者によって共有され、一つずつ途切れることなく続くであろう…暗黒の3日間は木曜日、金曜日、土曜日になるであろう。我らの御母と十字架の聖なる秘跡の日々である。3日間のうちある一晩は最も少ないであろう。」(1884年1月4日)


「地球は暗黒に覆われるでありましょう。

そして地獄は解き放たれるでしょう。」(聖母マリアより1882年9月20日)


「雷と稲妻は私の力に信頼しない者、信仰の無い者に恐ろしい死を引き起こすものとなるであろう。」


「これらの恐ろしい暗黒の3日間の間中は決して窓を開けてはならない。なぜなら誰一人として地上と恐ろしい色彩を見る事は出来ないからであり、その懲罰の日々を迎える中でこれによって急死しない者はないからである。」


「空は燃え、地球は裂けるであろう。この暗黒の3日間において祝別された蝋燭はどこにおいても光り、それ以外のものは光がともらないであろう。」


「避難所の外に誰も出てはならない。それは残るであろう。地球は天罰と恐れに震え、それは大きな物となるであろう。そう、我々はお前の友たちの祈りを聴き入れる。その者は滅びないであろう。我々は十字架の栄光を公表する為に彼らを必要としている。」(1882年12月8日)


「祝別された蜜蝋の蝋燭だけがこの恐ろしい暗黒の中で光を与えます。一本の蝋燭は地獄のこの闇夜の間に充分です。不道徳な者、また冒涜者の家では蝋燭は灯らないでしょう。」


「この祝別された蝋燭が灯ってある以外の家具は全て揺れるでしょう。これは揺れません。貴方は私の祝別された御絵や十字架を周囲に集めるでしょう。これらはその恐怖を近づけないでしょう。」


「この闇の間中、悪魔共と不正な者共は最も恐ろしい姿を帯びるでしょう。血の様に赤い雲は空を横切って移動するでしょう。凄まじい雷鳴は地を揺るがし、時を失した不吉な稲妻は天を走るでしょう。地球はその根底より揺るがされ、海面は上昇し、その轟く波は大陸を越えて広がるでありましょう。」


「地球は巨大な墓地の様になるでしょう。正しき者と不正な者の身体は地上を覆うでしょう。」


「地球の人口の4分の3は消えるでしょう。

フランスの人口の半分は滅ぼされるでしょう。」(祝せられた童貞マリアより)



(戦争や革命に対して)

「全ての恐れと非常な恐怖を追い払う為に、あなたは聖なる御絵、もしくはマリアの汚れなき御心のメダイを額に触れさせるであろう。貴方の精神は静けさを保つであろう。貴方の心は人々の恐怖の接近を恐れないであろう。貴方の精神はわが偉大な正義が及ぼす影響を経験しないであろう。」(我らの主より恍惚のうちにされた啓示)



(その他)

「聖職者は彼らの職務と両立しない彼らの大なる臆病と信じ難き程の気まぐれさの為に厳しく罰せられるであろう。」


「恐ろしき懲罰は毎朝聖なる犠牲の階段を昇る者達に与えられた。私は貴方の苦悶する祭壇に進んではいない。私は他の者達よりも彼らの心によって更に100倍苦しむ。私は貴方の大きな罪より貴方を放免する。しかし我が子よ、これらの司祭に対する赦しを私は与える事が出来ない。」(1881年7月 我らの主より)


「私は我が男女のしもべ達、また幼な子達さえも十字架を着用出来る事を望んでいる。この十字架は小さな物で、その中心には小さな白い炎が描かれたものである。この炎は彼らが光の子、娘である事を示すであろう。」(1882年7月20日 我らの主より)



<我らの主とルチフェルとの対話の幻視>

(ルチフェルが我らの主に対し)

「私は公教会を攻撃するであろう。私は十字架を倒すであろう。私は世人の10分の1を殺し、人々の心のうちに信仰の大きな弱点を置く。彼らはまた宗教の大きな否定となるであろう。私が万物の主である時には、いかなるものも我が支配下にあり、貴方の聖殿、貴方の者達でさえもである。」


「聖ミカエルはサタンが暫くの間全てを所有し、彼が完全に全ての者に及ぶであろうと言われました。全ての徳、信仰、宗教は埋葬されるでしょう。サタンと彼の者は喜びと共に勝利しますが、しかしこの勝利の後に主は彼の番となり、御自身の者達を御集めになり、かつ倒された十字架、埋められた教会より統治され、悪を超えて勝利され、蘇られます。」


「彼らは少しも聖なる犠牲が残らず、信仰の明白な跡もないでしょう。騒動が至る所にありましょう。」


「確かなる公教会によって承認された全ての働きは、今日一時の如くに存在する事をやめるでしょう。この悲しみを極める絶滅の中で、輝く印が地上に明示されるでしょう。もし人々の不正の為に聖なる公教会が暗黒のうちにありましたなら、主は彼らの不正を探される中で、その不正を止める為に暗黒を送られるでしょう。」



<善き成功の聖母の尊者マリアナ院長への預言>

聖母は19世紀末に、殊に20世紀においてサタンはフリーメーソンの学派の手段によってほぼ完全に支配するであろう事を預言されました。天の元后は尊者に、彼女の御旨に養われし者達に向かい、悪しき精神の熱意と種々の不貞をもって働く聖職者ゆえ、この戦いが最も深刻なものに達するであろう事を伝えられました。聖母は続けられます。「この時代の間に、それ故貧しき国ではキリスト教的精神を欠き、終油の秘蹟は殆ど尊まるる事なく、彼らの家族の怠慢や感傷的な間違いの為に、多くの人がそれを受くる事なく死ぬでしょう。彼らの状況の重さを見るならば、病者の保護を試みるか、もしくは悪魔の奇跡に推進されて、公教会の精神に反対するでしょう。数多の霊魂は人間の一生から永遠への大きな飛躍を為す必要とする多くの聖寵と慰めを奪われます。」


「婚姻の秘蹟も同様に、公教会との一致の象徴は攻撃され、御言葉への最大の誤りし感覚によって冒涜されます。政権を掌握せし"石屋"はこの秘蹟を取り除かんと不正な法を制定し、皆誰もが男女の同棲をする事が容易となるでしょう。そして公教会の祝福なしに生まるる隠し子らの出産が助長されるでありましょう。キリスト教の精神は速やかに腐敗し、一般慣習の堕落のほぼ大部分の点に到るまで、信仰の尊き光が姿を消すでしょう。非宗教的な教育の影響は増加し、それは聖職者らの宗教的特性の欠如の理由の一つとなります。」


「王なる者の予言の言葉を思い出しなさい。

『主の御働きは何と驚くべきものか!』この真理を確信させなさい。貴方の娘達に、生涯と来世の双方にて、彼らの天主の召命を愛し奉るべき事を教え、印象付けなさい。栄光に満てしこの場所において、我々の相続人に属する者達のために天主と私が蓄えし事を明らかになさい。」



「不幸にも、世に男子修道院と女子修道院が不足するでありましょう。男達は彼らの重要さを理解せず、彼らがもしそれを理解するならば、彼らを増やす力のうちに、全くそれを行うでありましょう。なぜなら彼らのうちに、全ての肉身的、道徳的悪に対する救済策が見出し得るからです。地上の誰もが救霊、大いなる罪人の回心、大災の終焉、国土の豊かさ、疫病と戦争の終結、そして国家間の調和がいかに来りしかに気づいておりません。

これらの事全ては、男子修道院と女子修道院より立ち昇ります祈りによるものです。」



「聖なる秘蹟は嘲笑され、圧迫され、軽蔑されるでありましょう。悪魔は全ての可能なる方法で主の聖職者を虐げんと試み、彼らの職務の精神より堕落させる為に容赦なく、巧みにして機敏であり、そして彼らの多くの者を堕落させるでしょう。そしてこれらのキリスト信者を憎悪させる堕落せし司祭らは悪しきキリスト信者と、ローマの、公にして使徒の教会の敵共に、全ての司祭を堕落させる様に扇動するでありましょう。サタンのこの見せかけの勝利は公教会の良き牧者達の上に巨大なる苦しみをもたらす事でしょう。」



「司祭らは聖なる義務において注意を欠き、在俗の聖職者らは多くの望まれし在り方より離れるでありましょう。天主の羅針盤を欠き、彼らは司祭の職務が為に天主によりて見取り図を描かれし道より逸れるでありましょう。また彼らは富や豊かさに愛着するようになり、彼らはそれらを得んと不当に努力するでしょう。公教会はこの暗黒の間、どれほど苦しむ事でしょう。彼らを絶え間なく父性的愛、優しさ、強さ、知恵そして思慮分別をもって導く為の高位聖職者と師父を欠き、数多の司祭はその霊魂を大きな危険のうちに置きながら、彼らの精神を失うでしょう。」


「従って、疲弊する事なく苦々しき涙と共に強く泣き叫び続け、貴方の心中の隠所のうちにて我らの天の御父に、わが至聖なる御子の聖体的聖心の御愛ゆえに、いと尊き御血が寛大さと、残酷なる御受難の御死去の御苦難と、深遠なる御苦しみもて覆い給い、彼の聖職者らを哀れみ給いてこの不吉なる時代を終焉に至らしむるために、公教会に司祭の精神を回復させるための高位聖職者を嘆願しなさい。」



<いくつかの預言より導き出されし推論>

(警告と奇跡)


ワイブス・デゥポント 著


それらはその直前直後の、即時の印の間に起こるでしょう。そのどちらも超自然的な発生であり、奇跡とその警告は緊密に続きます。

それらは太陽の驚異であり、その警告は「A」という文字に関わり、またそれは聖母の御祝日には当たらず、その月の18日にも当たりません。その奇跡は御聖体の若き殉教者の祝日にあたり、木曜の夕刻に起こり、それは公教会の重要な催しと同時であるでしょう。それはスペイン北部とローマで起こり、またいずこにおいても空に十字架が見える時、警告はその奇跡的発生の後に起こるでしょう。

しかしながら、その奇跡も空の十字架を有するかもしれません。その警告の間、誰もが自らの罪深さに気づかされ、また多くの者が死を望むでしょうが、警告そのものは全く何かを害するものではありません。警告と奇跡の両方は天主の御慈悲よりの暗黒の三日間を前にして人類が償いを行う為に、そして人類の四分の三の滅びへの最終の御働きと見なされるべきです。その時代には堕胎の殺人とソドムとレスポスの罪が諸所で立派に合法となり、我々はなぜ天主が人類を罰し給うかについて疑問を持つべきではありません。その時代までに戦争と革命は多いに死者を出し、共産主義が勝っている事でしょう。しかし、これらの事は暗黒の三日間に起因する死者数とは比較になりません。


<即時のしるし>


ひどく寒い冬の夜の如くとなり、前例のない雷と稲妻が地上を直撃するでしょう。全世界は震え、空が覆われるでしょう(これは暗黒の三日間の始まりです)。あらゆる悪魔が地獄より解き放たれ、地上を徘徊します。恐ろしい出現が起こり、多くの世人が恐怖によって息絶えるでしょう。火の雨が天より降り、全ての大都市が破壊されるでしょう。毒気が大気を満たし、叫び声と哀悼に満ちるでしょう。無神論者共は枯草の如くに切り裂かれて焼かれるでしょう。全地上は苦悶し、巨大な墓場の如くに見えるでしょう。もし暗黒の三日間の兆候に気がついたならば、直ちに屋内に入り、全ての戸口と窓を閉めて、それらの周りに粘着性のテープなどを貼り付けるべきです。またもし戸口の外から呼び出しがあっても、決して応答しないで下さい。また(カーテンなどを使用して)決して窓の外を見ようとしないで下さい。さもなければ直ちに命を落とします。

この間は祝別された蜜蝋の蝋燭以外に火は灯りませんが、この蝋燭は一度点火されると消えません。また信心深き者の家以外では蝋燭に火は灯りません。特に戸口や窓の近くに聖水を散布して下さい。悪魔は非常に聖水を恐れます。また聖水をあなたの目や耳、鼻や口、手足や額に塗布して下さい。手元に食料があれば良いですが、この間は食料がなくても生き続ける事が出来ます。跪き、もしくは床にふせて、絶え間なく祈って下さい。痛悔、信頼、慈悲の行いなどを、またとりわけロザリオを祈り、殊に「苦しみの玄義」を黙想して下さい。幾人かの者、殊に子供達はこれらの恐怖を味わう事のない様に、前もって天に受け取られます。また屋外で捕らえられる者は直ちに息絶えるでしょう。その後一瞬のうちにこの試練は終わり、太陽が再び昇ります。いくつかの国は完全に消え、地上は変化しているでしょう。もし貴方が暗黒の三日間の後に再び昇る太陽を見たならば、跪いて天主に感謝を捧げて下さい。



<神秘家クレフトロックのヨハネ修道士の預言>

「世の終わりの頃は暴君共と敵対する暴徒共に、教会とその属する全ての聖職者達が迫害され殉教するであろう。最も酷く虐待された者は高い尊敬の中に保たれるであろう。その時に教皇は彼の枢機卿達と共に悲惨な状態の中でローマから未知の場所へと逃げなければならないであろう。教皇は追放の中で残酷な死を遂げるであろう。教会の苦しみは彼女の歴史におけるいかなる時よりも遥かに大きな物であろう。しかし天主は聖なる教皇を蘇らせ、天使達は喜ぶであろう。この者は天主によって啓蒙され、神聖さによって全世界の大部分を再建するであろう。彼は人々を真の信仰に導くであろう。いずこにおいても天主への畏れ、徳、正しい道徳が普及するであろう。彼は誤った羊達をその群れに連れ戻すであろう。そして一つの信仰、一つの法、一つの生命の規則、地上の一つの洗礼があるであろう。全ての人々は互いに愛し合い、善を行い、また全ての口論と戦争は終結するであろう。」



<キリスト者、諸聖人の服装に関する言葉>


「不道徳の罪によって、闇の力は霊魂を征服するであろう。」(教皇ピオ12世 1948年5月23日)


「モラルにとって特に危険であります事は、海岸での海水浴、またはプールや河岸において表れます。男女の混浴は常に密接な形で直接罪を誘引します。そして恥辱は避けるべきに違いありません。」(尊者カタリナ・エンメリックよりスペインのトレド大司教、ダニエル枢機卿へ)


「戦争は罪に対する義罰であります。我らの主を激怒させるファッションが導入されるでありましょう。更に多くの霊魂が他の理由によるよりも、肉の罪の為に地獄行くでありましょう…。」(ファティマの聖母 1917年)


「汝の罠を何処においても運び、汝の網を全ての場所に広げよ。汝は他の者らを罪に招かなかったと主張するであろうが、汝の言葉のみならず汝の服装、態度によって確かにそれを行ったのである。汝もし彼の心中にて罪を行わせたならば、汝はいかにして潔白でありえようか。この世が誰を非難するか、私に教えて欲しいのである。裁判官は誰を罰するであろうか。その毒を飲む、もしくはそれを用意し致命的な一服を与えるのは誰であろうか。汝は既にこの忌まわしい一つの杯を用意したのであり、死を与えるに相当の量の飲料を得たのであり、汝の罪は身体を毒する者よりも罪を犯したのである。汝は身体の殺害者ではないが、霊魂の殺害者である。また汝がこれを行うに敵はなく、空想上の必要によって駆り立てられた、または感情を傷つけられる事によって刺激される愚かな虚栄と誇りからこれを行うのである。」(聖ヨハネ・クリゾストモ)


「聖ピオ神父は女性の首もとの大きく開いた服や短いスカートの着用を認められませんでした。また御自身の霊的娘達に対しては透明のストッキングを禁止されました。聖人の厳格さは年々増していき、告解の席についてからでさえ、もし聖人が不適切な服装と判断したならば断固として退出させました。聖人が明確に希望されましたのは、女性が告白をする時には膝より20センチ以上長いスカートの着用でありました。」(ドロシー・ガウディオス)



<教皇ヨハネス23世の日記>

教皇ヨハネス23世(在位1958-1963)は主キリストと童貞マリアより幻視を受けられ、日記にそれを残されていた。それを一人の掃除婦が収納部屋で発見し、ディアンジェロ神父が1959年2月から1963年4月までの間のうちのいくつかの記述を発表した。



「親愛なる天主よ、私よりも先に祝福された者はおりません、救い主はここ私の部屋において特別なる謁見を御与え下さいました。彼は私にそれがいかに恐ろしい事であっても、真実を聞かせる為に私が選ばれたのであると伝えました。その様に託される事は私を怯えさせますが、それに関わらず私は光栄を帰し奉ります。イエズスは童貞マリアが第一の知らせを伝えられんと、間もなく来られるであろう事を伝えられました。」(1959年2月12日)


「彼女は私がこれまで想像していた以上に美しく、御母を見奉る事は喜びです。私はただ彼女からの御伝達がより肯定的である事を願っていました。彼女はこの4年間の間に世界は偉大なリーダーを失い、強力な国家は勝ち得ない衝突の中に巻き込まれるのを、それ自身が見出すであろう事を仰いました。その戦いでは戦場で犠牲者を出し、その国家の内部で人々は若者の損失を軽んじます。聖母は心が砕ける見通しについて述べられると共に御涙を流されました。」(1959年4月17日)



「御母の第二の御訪問は第一回と非常に似ています。彼女は彼女の母国における不安、勢力均衡の変化、また砂漠で多くの血が流される事を悲しまれながら話されます。彼女は数人の狂人が神の御名の下に戦う為に人々を送るであろう、と言われます。しかし、創造主はこれらの兄弟間の無感覚な努力とは無関係でしょう。」(1959年8月17日)



「キリストは再び私のもとに来られます。

私はこれらの奇跡的な御出現をわが同士なるキリスト信者達に伝えられる事を切望しますが、しかし適切な時まで静粛を保つ様に助言します。私は我々全てに迫る苦難のうちの幾つかを恐らく遮る事が出来るであろうと思わざるを得ませんでしたが、キリストはその主の計画の成功の為に苦難が起こるに違いないと私に伝えられます。」(1960年1月30日)



「童貞マリアは鎮圧の鎖が東ヨーロッパの至る所にて粉砕される現在から30年間、世界は誤った望みの感覚を得るであろうと仰いました。喜び、しかしながら、彼らの国々を統治する方法上で、解放された彼ら自身の中で戦う人々は短命でしょう。貧しく罪のない何千もの子供達は、彼らの父親達の愚行によって命を落とすでしょう。」(1960年6月13日)


出典元「信心の園」

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