11月の月忌参りの際に拝読させていただく御文は次のとおりです。

 意味をある程度思い浮かべながらお聴きいただくと、趣きもより深く味わえると思います。

 

 11月 拝読  「聖人一流」の御文 (第五帖 第十通)

 【原 文】

  聖人一流の御勧化(ごかんけ)のおもむきは、信心をもって本(ほん)とせられ候(そうろう)。そのゆえは、もろもろの雑行(ぞうぎょう)をなげすてて、一心に弥陀に帰命(きみょう)すれば、不可思議の願力として、仏(ぶつ)のかたより往生は治定(じじょう)せしめたまう。そのくらいを「一念発起(いちねんほっき) 入正定之聚(にゅうしょうじょうしじゅ)」とも釈(しゃく)し、そのうえの称名念仏(しょうみょうねんぶつ)は、如来わが往生をさだめたまいし、御恩報尽(ごおんほうじん)の念仏と、こころうべきなり。あなかしこ、あなかしこ。

 

 【現代語訳】

  聖人一流の御勧化(ごかんけ)の趣意は、信心を根本とされております。そのわけは、様々な雑行(ぞうぎょう)を投げ捨てて、一心に阿弥陀如来に帰命(きみょう)すれば、不可思議の願力のおはたらきによって、仏の方より衆生の往生を定めてくださるからです。その位(くらい)を「一念発起(いちねんほっき) 入正定之聚(にゅうしょうじょうしじゅ)」(『浄土論註』意)とも釈します。そのうえの称名念仏は、如来が我が身の往生を定めてくださった御恩に報ずるための念仏であると心得るべきでありましょう。あなかしこ、あなかしこ(= 敬って申し上げます)。

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10月の月忌参りの際に拝読させていただく御文は次のとおりです。

 意味をある程度思い浮かべながらお聴きいただくと、趣きもより深く味わえると思います。

 

10月 拝読  「経釈明文」の御文 (第五帖 第二十一通)

 【原 文】

 当流の安心(あんじん)というは、なにのようもなく、もろもろの雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)のこころをすてて、わが身はいかなる罪業(ざいごう)ふかくとも、それをば仏(ぶつ)にまかせまいらせて、ただ一心に、阿弥陀如来を一念にふかくたのみまいらせて、御(おん)たすけそうらえともうさん衆生をば、十人は十人、百人は百人ながら、ことごとくたすけたもうべし。これさらにうたがうこころつゆほどもあるべからず。かように信ずる機を、安心をよく決定(けつじょう)せしめたる人とはいうなり。このこころをこそ、経尺(きょうしゃく)の明文(めいもん)には、「一念発起(いちねんほっき) 住正定聚(じゅしょうじょうじゅ)」とも、「平生業成(へいぜいごうじょう)の行人(ぎょうにん)」ともいうなり。さればただ弥陀仏を一念にふかくたのみたてまつること肝要(かんよう)なりとこころうべし。このほかには、弥陀如来のわれらをやすくたすけまします御恩のふかきことをおもいて、行住座臥(ぎょうじゅざが)につねに念仏をもうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

 

 【現代語訳】

 当流の安心(あんじん)というのは、何のはからいもなく、さまざまな雑行雑修(ぞうぎょうざっしゅ)をたのみとするこころを捨て、我が身はどれほど罪業の深い身であっても、それをすべて仏におまかせし、ただ一心に阿弥陀如来を一念に深くおたのみ申し上げて、おたすけくださいとおたのみするならば、そのような衆生を十人は十人ながら、百人は百人ながら、ことごとくおたすけくださるというものです。このことをほんの少しでも疑ってはなりません。このように信じる衆生を、安心をよく決定(けつじょう)した人というのです。このこころを経釈(きょうしゃく)の文(もん)には、はっきりと「一念発起(いちねんほっき) 住正定聚(じゅしょうじょうじゅ)」 (『浄土論註』意) とも、「平生業成(へいぜいごうじょう)の行人」とも言っております。それゆえ、ただ弥陀仏を一念に深くおたのみ申し上げることこそが肝要なのだと心得てください。このほかには、弥陀如来がわたくしたちをたやすくおたすけくださるその御恩の深いことを思って、日常いかなるときであれ常に念仏申すべきであります。なかしこ、あなかしこ(= 敬って申し上げます)。

 願栄寺広報紙 「福峯だより」 9月号の発行準備を進めています。

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