GP通算3勝の天才ライダー、阿部典史選手が交通事故死
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ツイてる抗加齢(アンチエイジング)実践家てるです。
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非常に辛く悲しいニュースです。
阿部典史選手とは16年も前からのご縁でした。
私がヤマハ発動機株式会社のレース部門で働いていた91年11月のことです。
筑波サーキットのロードレース最終戦に16歳でレースデューした阿部選手の
荒削りながら常識外れの非常にアグレッシブな走りに天性を見出し、
元同僚で親友の石井さんに頼み、<A href="http://www.oxgroup.co.jp/
" target="_blank">オーエックスレーシング</A>に入門して
92年からのジュニアクラスレースをヤマハTZ250で走ることになりました。
92年のジュニアクラスでも大活躍しました。
ライバルだった小倉直人選手と2人だけは別のレースをしているほど他の選手に
大差をつけたレースは見ていて気持ちよく楽しかったです。
お父さんの阿部光男さんとも当時からのお付き合いで、川口オートレースの
看板選手として今なお活躍されています。
小倉直人選手は2000年3月に鈴鹿サーキットをテスト走行中に転倒して
亡くなっています。
親しい選手が亡くなるケースはもう何回もありますが、実に辛く悲しく、
今回の阿部選手の訃報は一番辛いです。
ヤマハファクトリー部門で阿部選手のアグレッシブな走りを評価できる人が
いなくて一時ヤマハを離れましたが、来日していた往年の天才ライダー・
ケニー・ロバーツ選手が阿部選手の素質を見抜き、ヤマハファクトリーライダー
として迎えられ、世界で大活躍しました。
ご縁のあった神田名倉 渡辺接骨院はアメリカ製の競技力などが向上する
靴のオーダーインソールを作る日本の名人でしたので、
2003年春、帰国していた阿部選手に来院してもらってロードレース用ブーツ
のインソールを作りましたが、この時が最後となってしまったわけです。
このインソールは私も愛用していますが非常に優れもので、アスリートには
特におすすめです。
今年から日本でレースをしているので再会しようとずっと思っていましたが、
叶いませんでした。
思ったことを後回しにした結果なので、後回しにするなという厳しい警告だと
心に強く刻みます。
相手に過失のある交通事故だけに無念だったろうと思います。
阿部典史選手のご冥福を心から祈念いたします。
<a href="http://plaza.rakuten.co.jp/wellness21jp/15000
">コラボレーション先の統合医療ライフ・クリラック</a>
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オートバイのロードレース世界選手権で3回優勝している有名レーサー、阿部典史(あべ・のりふみ)さんが7日夜、川崎市内でオートバイを運転中にトラックと衝突、病院に搬送されたが、死亡した。32歳だった。
川崎署によると、7日午後6時20分ごろ、川崎市川崎区大島の市道で阿部さん運転のオートバイと男性会社員(51)運転の4トントラックが衝突した。トラックがUターン中に、右後方から阿部さんのオートバイが突っ込んだとみられる。阿部さんは午後8時50分過ぎに病院で死亡した。
現場は片側2車線の直線道路で、Uターン禁止場所だった。同署は自動車運転過失致死容疑で男性会社員から任意で事情を聴いている。
阿部さんは「ノリック」の愛称で人気のレーサー。1993(平成5)年に全日本ロードレース選手権500ccクラスで史上最年少チャンピオンに輝き、翌年から世界選手権に参戦。96年の日本グランプリで初優勝、00年の日本GPも優勝するなど世界選手権で計3回優勝した。表彰台には計17回立つなど日本の第一人者だった。
今年5月からは13年ぶりに国内のレースに復帰。7月の鈴鹿8時間耐久ロードレース(8耐)にも初出場したが、9位だった。9月の全日本ロードレース第6戦(岡山)に出場したのが最後の公式レースだった。
■阿部典史(あべ・のりふみ)
1975年9月7日、東京都生まれ。父親はオートレーサーの阿部光雄。5歳からバイクに乗り、91年の中学卒業後に渡米しレース修業。94年から世界選手権に参戦し、96年の日本GPなど3回優勝した。
(出典:サンスポ)</font></span>