私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること | 健康管理・増進、病気予防、抗加齢(若返り)、長寿、豊かさを探求

私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること

この本はぜひ、読みたいし、広くお知らせしたいと思いました。
私も変装して体験したくなりましたが、徹底した変装をしていますので相当な覚悟がないとできません。

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<a href="http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0001778783/ ">私は三年間老人だった 明日の自分のためにできること</a>

▼26歳の女性が老人に変装して知った高齢者冷遇の現実
ニューヨークに住む26歳の女性が、ある日、変装して85歳になってみようと思い立った。何のために?もちろん老人を経験するためである。当時、彼女は「口紅から機関車まで」で有名なレイモンド・ローウィのデザイン事務所に就職したばかり。ここは若いデザイナーの憧れの職場だったが、この世界最先端の仕事場にいて彼女にはある違和感があった。

スマートなスタイルの道具や乗り物は素晴らしいが、それらはほとんどが「ダーウィン的デザイン」、つまり適者生存の法則の勝利者である健康で頑丈な消費者を想定したものだ。これでは、例えば大好きな私のおじいちゃんには使えないのではないだろうか。


▼老人に快適なデザインを知るため85歳に変装
老人にも快適なデザインとはどんなものなのか。実際に年をとってみればわかるだろうがそれではもう遅すぎる。この本は、「それならいま老人になってみればいい」と突拍子もないことを実行した女性が、その体験を書いた本である。

一気に60歳も年をとるのは大変だったが、舞台メイクのプロの友人に手伝ってもらって顔を変え、塩でのどをつぶしてしゃがれ声をつくり、ベビーオイルで目をくもらせ、動きを遅くするため膝の裏に副木をいれ、ようやくどこでも通用する老人に化けた。そうやって3年間、100都市以上で老人の姿で地下鉄に乗り、レストランに入り、公園のベンチに座ってみた。そうすると、いやでも老人が世間からどう扱われているかがわかる。

あるとき、おばあちゃんの格好で入った文房具店に、次の日26歳の素顔で出かけてみて、その対応のあまりの違いに憤慨する。たいていの場合、人々は年をとったほうの彼女に冷たいし、同じ老人でも貧しい格好のほうに邪険だ。老人の姿でレジに並ぶと人々は平気で前に割り込もうとし、それを認めて文句をいわない自分に驚く。

老人はそこに存在しているにもかかわらず、もう世の中に用がない、いてもいなくてもいいというように無視されている。だから自分たちでも知らず知らずのうち、「自分は価値のある人間ではないのだから仕方がない」と無気力になってしまう。その結果、家に閉じこもり、自ら囚人のような生活をしている老人が何十万人もいる。

それなのに、そんな老人の暮らしを忙しい若い人たちは知ろうとしない。彼らは悪意があるというより、やがて自分たちがなる老人のことを知らなさすぎるのだ。かつては違った。老人は身近にいて、子供たちに昔話を聞かせ、自分たちの経験から得た生きる知恵を伝えたし、子供たちも年寄りの体調や習慣を肌で知る機会があった。


▼自分達もなる“老人”を知らなさすぎる若者達
気がつくと、彼女は工業デザイナーから社会学者に変わっていた。老人にも快適に暮らせる環境は単にデザインだけの問題ではない、ということをいやというほど思い知らされたからだ。彼女は言う。アメリカの老人問題の多くは若い人たちが態度や見方を変えてくれればかなり解決できる。

例えば、「年寄りは役に立たない」といったイメージを強調しすぎるマスコミなどがその典型だ。テレビでは、“若さ”が力や美であるとするアメリカの伝統的な考えが相変わらずのさばっているが、その若い人たちもやがては老いていくことについてはだれも目を向けたがらない。

だが、「いま老人に暖かい社会をつくっておけば、やがてその恩恵を受けるのはあなたたちなのに」という彼女のメッセージに同調する人たちも徐々に増えている。老人の権利を求める運動の中心が若い女性であるというのは皮肉だが、「おばあちゃんであったこともある」彼女だからこそ、幅広い共感が得られるのである。

これは16年前に日本でも翻訳出版され、絶版になったものを復刊した本である。「なぜ今?」という疑問に対し、訳者の木村治美さんがあとがきで答えているが、高齢化社会が現実になった日本でだからこそ、当時以上に多くの人に読まれていい本であることは間違いない。

(出典:nikkeibp.jp健康)