こんにちは!

アメリカ中西部で生活を豊かにするお手伝い、

ピラティスインストラクターのHisakoです。

 

 

これから少しずつ、

なぜ私が40歳を過ぎてから

ピラティスインストラクターになったのか

自分史を振り返っていきたいなと思っています。

 

興味のある方はお付き合い頂けると嬉しいです。

 

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私には夢をあきらめた過去があります。

挫折と思っていたことがあります。

 

夫と出会い結婚してすぐにアメリカ駐在が決まるまで

私は社内通訳として働いていました。

通訳しているHisakoは

生き生きしている!と言われたり、

瞬発力が求められるライブの緊張感

そしてピタッといい表現が出来た時の快感

遅れることなくウィスパリングしている時のあの感覚

 

ジェットコースターが落ちる瞬間はドキドキなんだけど

走り出したら楽しくて気持ちよくて

終わった後も気分爽快

(実際には脳みそが筋肉痛状態だったけど)

何よりも、ビジネスの場ではペーペーの私が

誰かの役に立っていると思えること

業界の最前線の人・空気に触れられること

 

私にはこれしかない!!とまで思っていました。

 

 

でも。

忙しい毎日の中なんとなく感じる違和感。

原因不明のモヤモヤ。

 

『通訳なんてすごいね。かっこいいね』

と言われても素直に喜べない。

お金かけて訓練学校にも行っているんだし

(時給はいいし)

(通訳してますって響きかっこいいし)

と、自分を納得させてなんとか働いていましたが

 

そのうち、通訳を頼まれること自体が

苦痛になってきました。

 

・・・続きます。