2014年10月2日に投稿した記事です
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今日は
アロマ×フラワーエッセンス×心理学の講座dayでした。
この講座は、私がここ10年ほどの間に学んできたこと、すべてのエッセンスをまとめたものなので、気合い十分
![上げ上げ](https://emoji.ameba.jp/img/user/sh/shumatti766/661.gif)
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![かお](https://emoji.ameba.jp/img/user/py/pyony/115.gif)
講座レポは、落ち着いてアップさせていただくとして。。。
今朝、テレビを観ていたら、御嶽山噴火のニュースをやっていました。
災害に遭われた方、そのご家族の方のお気持ちを思うと、言葉がありません。
救助が難航しているようですが、一日も早く日々を取り戻されますよう、祈るばかりです。
今回の噴火でお嬢様を亡くされたお父様が、
「父親として、娘に何もしてやれなった」
と、声を震わせて言葉を寄せられていたこと。。。
胸がいっぱいになりました。
突然の出来事で、最愛のご家族を亡くされた悲しみは、はかり知れません。
ただただ、御霊のご冥福をお祈り申し上げます。
亡くなった方に対して、
「もっと、優しくすればよかった」
「もっと、大切にすればよかった」
「もっと、愛を伝えればよかった」
そんな感情を抱くこと、あると思います。
以前もちらっと書きましたが、私の両親は、私の父の両親(おじいちゃん・おばあちゃんですね(^-^))と同居していました。
母にしてみたら、夫の両親、義父母です。
同居は私が18歳のときからなので、母にしてみたら30年近く、のんびり4人家族で過ごしていたのに、祖母の病気をきっかけに、突然の同居。
しかも、祖父は認知症を発症してる。。。
振り返れば、大変だったと思います。
はじめは、
6人分のご飯を作るのも、勝手がちがうし、
和食を好む祖母のリクエストもあったり、
それぞれ生活の時間が違うから、ずっとキッチンに立ちっぱなしだったり、
生活が落ち着くまで、家族全体がなんだか不協和音の毎日でした。
祖父母にしてみても、ずっと自由に二人で生活してきたので、言いたいこと、感じたこと、たくさんあったと思います。
認知症が進む祖父に、娘の私から見ても、母は嫁としてとてもがんばったと思います。
トイレが上手に済ませられるようサポートしたり、
失敗してしまったときは、もちろん片付けから洗濯まで行います。
年の割に背の高かった祖父、お風呂の介助も大仕事。
ヘルパーさんの助けを借りながら、ほとんど自宅で介護する祖母と母。。
私も働いていたので、たいした手伝いもせず、しかもなんとなくそれでいいような・・・
見て見ぬ振りをしていた自分がいました。
今思うと、恥ずかしい限りです(>_<)
祖父は、膵臓がんを患い病院でなくなりました。
認知症になると、本来持っていた性格が強く出ると聞きますが、
祖父は最期まで穏やかで、優しくて、いつもニコニコしていて、
我が家は介護で何かと大変だったけど、祖父の存在に癒され、助けられたように思います。
母は、祖父を見送ってから何年も経っても、こころに小さな後悔があると言うのです。
「もっと、おじいちゃんに優しくしてあげればよかった」
「もっと、おじいちゃんのペースに合わせて、待ってあげられなかったのか・・・」
「トイレの失敗や、食事のときにこぼしてしまうおじいちゃんのいすの下に、ビニールのマットを敷いたけれど、あれはおじいちゃんのプライドを傷つけたんじゃないかしら・・」
挙げたらキリがありません。
そして、そんな風に後悔している母を見て、切なくなりました。
あんなに一生懸命お世話をして、
それでもなお、まだ「もっと◯◯してあげてたら・・・」と思いを馳せる。
おじいちゃんだったら?
そんな風に思ってないよ。
きっと
「ありがとう」
って言うんじゃないかな。。。
私はそう、母に伝えました。それが私が言える、精一杯でした。
そばでお世話ができて、見送ることができた家族でさえ、こんな風に
「もっと、もっと、何かできたんじゃないか・・・」
と振り返ってしまうことがあります。
突然、家族や親しい人を亡くしたなら、なおのこと。
別れはどんな形でも、辛く切ない。
魂は風になってそばにいると思っても。
出会えたからこその、別れの辛さ。
見送れたからこその、残された人の胸の痛み。
悲しいけれど、きっとそこにはたくさんのありがとうが、あるのかもしれない。。
そんなことを思いながら、久しぶりに本棚から引っ張りだしてきました。
大好きな本です。
「最後だとわかっていたなら」
ノーマ コーネット マレック 作
佐川 睦 訳
詩もすばらしいのですが、「おわりに」と訳者の佐川睦さんの文章が、忘れられません。
秋の夜、またページをめくろうかな。
詩もすばらしいのですが、「おわりに」と訳者の佐川睦さんの文章が、忘れられません。
秋の夜、またページをめくろうかな。
涙なくして読めないけどT^T
今度は、家族にも勧めてみようと思います。
今度は、家族にも勧めてみようと思います。
そして、大切な日々を過ごしていることを、再認したいなぁ。。
追記
こちらで「最後だとわかっていたなら」の訳が読めるようです(*^^*)