【独自】「休日・深夜に“即レス”求めてくる…」斎藤知事のチャット履歴、半数近くが業務時間外に パワハラ疑惑続々 (24年9月5日 newsYahoo! MBSニュース)

 

記事

 

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兵庫県の斎藤知事と幹部職員が交わした1年分のチャットの履歴を調べたところ、やり取りの半数近くにあたる約2000件が深夜・休日などに行われていたことが、JNNの取材で分かりました。

兵庫県の斎藤元彦知事のパワハラ疑惑をめぐっては、告発文書の中に「知事からのチャットによる時間お構いなしの指示が矢のようにやってくる」などとの指摘があり、百条委員会が調査しています。

 

リンク【LIVE】兵庫・斎藤知事 何を語る?4日午後3時ごろ~

 

(2)「知事から幹部職員へのチャット 年間の半数近くが深夜・休日などの業務時間外」

(関係者)

8月、非公開で行われた証人尋問では、一人の幹部職員が「知事がチャットで深夜や休日に思い付き・不要不急の指示を出し、『即レス』を求めてくる」などと証言したということです。

 

(JNN)

 知事と幹部職員が交わしたチャットの履歴の調査結果を独自に入手。

2023年4月から2024年3月までの1年間で、知事が送信者または受信者となっている投稿は全部で4885件あり、このうち半数近くにあたる2165件の投稿が、深夜・休日などの業務時間外に送られていたことが分かりました。

 

(3)

4日朝、知事は・・・

(兵庫県・斎藤元彦知事)「幹部職員ということもあって、(私に)気持ちの甘えがあったと思っていますので、そこは負担に思われた幹部職員にはおわび申し上げたいと思います」

 

6日(金)には知事の2回目の証人尋問が行われる予定です。

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■斎藤元彦 ウィキペディア

祖父が命名した。この祖父は多くの孫の中でも特に利発だった斎藤を溺愛した。斎藤が祖父に「あれが欲しい」とねだるとすぐにもらえた。大学までの学費も祖父が捻出した。旅行の前には必ずこの祖父に小遣いをねだりに行くようになり、一度もらえず周囲に愚痴を漏らしたこともあったという。

 

2002年(平成14年)春、東京大学経済学部を卒業して総務省へ入省

同年10月、三重県に出向。2003年(平成15年)9月、同省に戻り大臣官房総務課、2005年(平成17年)4月、同自治財政局公営企業課地域企業経営企画室、2006年(平成18年)4月、内閣官房副長官補付(内政)。

2008年(平成20年)4月、新潟県佐渡市に出向し、企画財政部長を担当。

 若手キャリアとして初めて赴任した地方都市の佐渡で「殿様扱いされることを覚え、それがターニングポイントになった」と斎藤の知人が証言。

斎藤は佐渡に思い入れが深く、2023年9月、新潟県と兵庫県の間に連携会議を開き、佐渡市に凱旋を果たす。この際、佐渡市長室には「おかえりなさい、まっとっちゃった!斎藤元彦兵庫県知事!」と大書きされた特製横断幕が掲げられた。

一方で、ある市議は「斎藤氏はエリート意識が強く野心家でとっつきにくい」と証言。

この際、斎藤は「これからは、地方都市は株式会社のように頑張れ」だとか「費用対効果でモノを見ろ」などと主張した。

 

2年目の2009年12月には、共産党市議より「佐渡市の経済課題は、経済対策戦略本部で取り組むべきでは?」という質問を受け、斎藤は戦略本部を「お開きにしたという形にした」と答弁し、「緊張感がないぞ!」などとヤジられ追及を受けた。

ある市議はこの姿勢を、田舎の小さな市議会を軽んじていると受け止めた。

実務面では高い決定権を持つ部長だったこともあり、職員の間には「彼の機嫌を損ねてはいけない」という空気があり、職場には「斎藤さんの機嫌をうかがう係」がいたほどだという。

 

2011年(平成23年)4月、同省に戻り、大臣官房企画課課長補佐、同年9月、同大臣官房秘書課秘書専門官、2012年(平成24年)12月、自治財政局地域自立応援課課長補佐として、福島県相馬郡飯舘村に派遣される。

2013年(平成25年)7月宮城県に出向し、県財政課長を担当。東日本大震災の復興対応に当たった。

この時、復興関連で兵庫県から派遣さた職員と親しくなり、一緒に行動したのが、後に側近となる片山副知事以下の4人組だった。

佐渡で主張した財政感覚は、維新の思惑と一致した。

その当時の活躍と、学生時代からの野心が松井の目に留まるところとなり、後に井戸敏三の後釜を決める兵庫知事選の候補に抜擢されることになる。

 

2016年(平成28年)4月、同省に戻り、高市早苗総務大臣時代に、自治税務局都道府県税課課長補佐、2017年(平成29年)7月、同都道府県税課理事官。

 

2018年(平成30年)4月、大阪府に出向し大阪府財務部財政課長を担当。

維新府政の「身を切る改革」を財政課長として3年間にわたり支える。

 

2021年(令和3年)、兵庫県議会の自民党会派有志が斎藤に兵庫県知事選挙立候補要請を手渡し同月末付けにて総務省を退職。同日、兵庫県知事選挙への立候補会見を開いた[12]

 

「斎藤氏は、兵庫維新の会にとっては寝耳に水、維新の国会議員ですら出馬表明の数日前にようやく初顔合わせした状態であった。自民にとっても松井氏が送り込んだということで斎藤氏を応援することに難色を示す人もいた」。

企業との連携強化

井戸行政からの大きな変化の一つとして、企業との連携強化が挙げられる。

2024年7月現在、兵庫県が包括連携協定を締結している24社のうち13社は斎藤行政の3年間で締結された。

こうした企業との提携は、本来は災害時に速やかな協力要請ができるようにする意図でコンビニとの締結から始まったものである。

その後スポーツメーカーやスポーツチームが目立つようになった。声がかかるとなんでも連携協定を結んでいた印象があり、貰いものが出てくるのも、それが原因だと証言する。

2022年にはアシックスと協定を結び、斎藤は同社のロゴ入りの服を頻繁に着用した。

西脇市の玉木新雌からも貰い物をし、玉木新雌の2022年3月8日のインスタグラムには、総額で10万円程度になる、マフラーから靴まで全身tamaki niime尽くしの斎藤の姿が登場した。[8]