「極右」という表現はグローバリズムを擁護するから説

 

ユーチューブのテレ東がフランスの選挙について報道していたけど、極右の定義が分かりませんでした。ところがコメント欄で、日経はグローバリズムやグローバル企業を擁護するから、反EU派や反グローバリズムの政党を否定的に報道するのだ、という意見があった。

そこで多国籍企業をネットで調べてみた。

 

■グローバル企業とはどんな企業? 2023.03.15  Leverages Career

1)グローバル企業の定義

 「グローバル企業」とは、設立国つまりベースとなる国以外の複数の国に拠点を持ち、各国でビジネスを展開する企業を指します。

 基本的には、各国の拠点でも本拠となる本国と同じ商品やサービスを提供しています。また、企業としてのビジネス方針や機能においても本国が行い、国が異なっても統一されています。

2)多国籍企業とどう違う?

 多国籍企業では各国の支社や子会社がマーケティングし、その国のニーズに合わせて製品やサービス、販売方法、管理の仕方などを変えて展開している企業です。つまり、多国籍企業は各国で現地法人化し、人事や財務、営業から、企業によっては製造や商品開発にいたる機能まで持っています。

3)世の中の流れは多国籍企業よりグローバル企業

  多国籍企業が推進する現地法人は、本社と一本化するより経営の自由度が高く、進出した国によっては本社とは別の戦略を推進する場合もあります。各国で各種機能を持つことで、低コストかつ各国のニーズへの対応レベルも大きく向上します。

 しかし、現在では、比重が大きかった距離的コストがかつてより安くなったことやITの発展により、海外に向けて多くの製品やサービスを価格と品質が最適な地域から提供できるようになりました。つまり本社で一本化する場合のマイナス要素が解消されてきたといえます。それにより、世の中の潮流は、「多国籍企業よりグローバル企業」になってきているのです。

 

■多国籍企業とは  恵泉女学園大 国際社会科

国連の定義によれば、「本国を含めた2カ国以上で事業活動を行う企業」。事業活動とは輸出・輸入、海外への直接投資、証券投資、技術移転など。これらの事業活動をグローバルな視野に立って行う企業が、多国籍企業である。

2011年12月08日 筆者: 坂井 誠 

 

■多国籍企業  nikkei4946.com

 

2013.12.1(日) 掲載

 複数の国を舞台に生産、流通などの拠点をもつ世界企業のことをいいます。国連では「2ないしそれ以上の国で資産を支配する企業」と定義づけています。

 多国籍企業は、諸国経済の相互依存関係の強化や、技術の発展、向上が望めるうえ、合併、買収、連携などによる世界経済のボーダレス化を牽引しているともいえます。

 一方、多国籍企業の台頭は、輸出市場の限定や、為替レートの変動を利用した投機やタックスヘイブン(税率の低い国に子会社を作り、企業内取引をして脱税を図ること)などを引き起こし、国家主権との矛盾も生じています。

 

■多国籍企業   世界大百科事典

multi-national corporation trans-national corporation

 

(1)背景

1)すでに第2次大戦以前からアメリカやヨーロッパの企業は中南米やアフリカ,中近東でプランテーション農業,金属鉱山,原油等の資源開発と世界規模でマーケティングを行ってきた。

2)1950年代以降,製造業分野でのアメリカ企業の多国籍企業活動が活発化したが,これはプロダクト・サイクル・モデルで説明される。

 第2次大戦後,新商品・新技術の開発や企業化の多くはアメリカで行われた。それは,アメリカが最も所得水準が高く,新商品の需要が見込まれたし,高賃金で省力化技術の導入に積極的だったからである。

3)しかし技術的にも完成して標準化し,アメリカ国内需要が満たされ,国内利潤率が低下してくると,つぎの所得水準にあるヨーロッパや日本等への販売を求めて輸出に転ずる。

4)これら輸出先国で輸入代替生産が起こってきたり,関税等による輸入制限がとられると,市場防衛のため輸出先国に子会社や合弁企業を設立して,現地で生産・販売を行うようになった。海外直接投資である。

 この場合,工場機械設備や生産技術のみならず,新商品・新技術に適した経営管理・販売のノウ・ハウをもった技術者,経営管理・販売専門家も派遣して,一般労働だけは現地でより安い賃金で雇用した。

 このようにして現地の競争企業に対しては新技術や経営販売ノウ・ハウで対抗し,同時に製造コストを引き下げて高い利潤率を維持しようとしたわけである。

5)生産技術が確立して量産になじむようになると,もっと賃金の低い発展途上国に生産拠点を移して,アメリカ本国も含めてこれまでの販売先に輸出するようになった。このようにして生産・販売の多国籍化が達成されてきた。

6)多国籍化に伴って企業の経営組織も変えられていく。

初めは国内販売部門に加えて輸出部門を設けるが,海外生産・販売を統轄する海外事業部に発展させる。海外事業活動がいっそう拡大すると本社のみでは統轄できなくなるので,地域別あるいは製品別に組織を分け,それぞれに権限を部分的に委譲するようになる。

 

(2)多国籍企業に対する見方

1)企業の多国籍化は相つぐ新製品・新技術の開発や運輸通信の発展に対応した企業の合理的行動であることは間違いないが,それは果たして各国経済の発展に役立つのであろうか。

 多国籍企業は進出先国の富を本国その他へ移すように仕組まれたポンプであるとする懐疑的な見方がある。

 たしかに多国籍企業の本社と子会社間で原材料や製品の取引をする場合に取引価格を操作して関税支払を低くする移転価格の慣行や,本国の高率の法人税を支払うことをきらってタックス・ヘイブン(税金避難地)といわれる小国に本社の名目的所在地を移してしまうという企業戦略が伝えられている。

 また景気が後退すると一部の国の生産だけを続行して,他国の工場を閉鎖し大量の失業やレイオフ(一時解雇)を出すといった実例もある。しかしこれらは多分に古典的批判であって,一国内の複数地域にまたがって活動する企業にもあてはまるものが多い。

 

2)アメリカに本社をもつ多国籍企業についての調査

 彼らの現実の経営行動はそれとは違っているようである。海外活動が成熟化するにつれて,海外子会社に権限を委譲して現地の状況に即応した戦略をとらせ,利潤の現地での再投資比率も高い。本社に最大限の利潤を集中するという一般的傾向は見いだされない。

 

3)さらに国連の多国籍企業の行動指針code of conductsや各国政府の規制策も整備されて,前述のような反公共的な企業戦略がとりにくくなっている面もある。

 

4)基本的には,多国籍企業は現代の世界経済において希少資源である生産・管理・販売技術を開発して,世界規模で最適配分する役割を果たしている。国際金融市場で資本を調達し,生産的用途に振り向ける役割も果たす。第2次大戦後の世界経済の高度成長の主要な担い手のひとつであったことは否定できない。

 

(3)日本の多国籍企業

1)1960年代末から日本企業による海外直接投資が活発化してきた。対外投資自由化に刺激されたこともあるが,基本的には輸出市場の確保と国内賃金高騰をさけて,東南アジアに製造業分野で進出したものが多い。もっとも日本企業の場合,欧米企業に比べて,海外現地法人の株式所有比率の少ない合弁企業が多く,また合弁に日本の総合商社が参加しているケースが多い。これは当時日本の製造企業が国際経営ノウ・ハウの不足を補うためと説明されている。

この総合商社こそ,世界各地に販売・情報網をもち,合弁を通じて生産面にも関与して,販売・生産の世界戦略をもっていた,日本での多国籍企業の先駆であったとみなすこともできる。

 

2)もっとも最近は対欧米経済摩擦が高まるなかで,本田技研工業がアメリカに工場をつくるなど自動車・電気機器等の製造企業が独自で欧米諸国に進出する例が増加した。

 日本製造業の多国籍展開は1980年代後半に急増した。85年から進行した円高化で日本の国内生産の競争力が弱まった結果であり,進出先では特にASEAN(東南アジア諸国連合)諸国と中国に,分野別では電気・電子機器と自動車,その他機械部品製造に集中した。
執筆者:山沢 逸平

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

 

■ワシントン合意とグローバリゼーション

(岸・増田『社会保障の保守主義 増補改訂版』)

 

1989年(パパ・ブッシュ政権期)にJ.ウィリアムソンは、ワシントンに拠点があるIMFや世界銀行や米国財務省などが合意するはずだと考えた政策メニューを「ワシントン・コンセンサス」と呼んだ。

それは、財政赤字削減、補助金カット、税制改革、金利自由化、貿易自由化、直接投資の受け入れ促進、国営企業の民営化、規制緩和、所有権法の確立などで、IMFや世界銀行が債務危機に直面した新興国や発展途上国に融資する条件でもあった。(韓国も97年の金融危機ではこれらの条件をのんで支援を受け国家破綻を免れたが、大量の非正規社員を生み出し、今では国内の経済格差はIMFのせいで「死に神」だったとさえいわれている)。

「資本とヒトとモノとサービスが国境を越えて自由に行き来する」といわれたが、それはもっぱら1986年に欧州で関税が撤廃されて単一市場が生まれEC域内で国境を越えた自由な競争が持ち込まれ93年にEUが発足し94年に北米自由貿易協定(NAFTA)が発効したことの表現だった。

しかし、その一方で1980年代からの金融と投機の国際化やグローバリゼーションや市場化を推進し「国家の枠」を超えて利益を追求していた米国の実業家や投資家には、「国民の家」や「連帯主義」のような社会連帯に基づく再分配政策で格差を解消しようとする関心がなかった。だからこそ民主党系「ネオ・リベラル」は国内での再分配に目を向けさせるように「公共の利益」を訴えたといえよう。