春秋(24年6月13日 日本経済新聞電子版)

 

記事

 

(1)実業家の黒澤貞次郎がいまの東京都大田区に国産タイプライターの工場を建てたのは大正期のことだ。

和文タイプライターの開発を志し、郊外の田舎にすぎなかった蒲田に2万坪の土地を購入。工場の従業員のために「吾等(われら)が村」と呼ぶ職住近接の町までつくりあげた。

 

(2)▼社宅は格安で水道光熱費は会社の負担。

幼稚園と小学校、共同浴場、子供用プールやテニスコートも整備された。やがて黒澤の熱意に共鳴するかのように大倉陶園をはじめもの作りの企業が進出。町工場がひしめく大田区の源流だ。黒澤の工場には定年制もなかった。高齢の働き手も共働き夫婦も生き生きと働いたという。

 

(3)▼先日の本紙が、米国の小売り最大手ウォルマートがアーカンソー州で建設中の新本社をリポートしていた。

東京ドーム28個分もの巨大な敷地に道路を走らせ、オフィスのほかにホテル、プールやジムのある娯楽施設も備える。コロナ禍で広がった在宅勤務から社員を呼び戻し、ストレスなく働いてもらう目的なのだそうだ。

 

(4)▼現代の「職住近接」は日本でも進む。

台湾のTSMC社が半導体工場をオープンした熊本はその一つだ。一方でリモートワークを標準とし異動や単身赴任のない勤務形態を選べるNTTグループも21世紀型の「職住近接」だろう。社員が能力を発揮できる環境とは? 経営者が最適解を見極め、工夫をこらす時代になった。