春秋(24年5月28日 日本経済新聞電子版)

 

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(1)立命館大学教授のグレーヴェ・グドウルンさんは日本の「声」の文化を研究している。

ちまたにあふれる独特の声色に興味を持ったのがきっかけだ。デパートや野球場、選挙カーのアナウンス。家電を操作すれば、機械を通した音声がいちいち確認や指示をしてくれる。

 

(2)▼必要なものはあるし、便利には違いない。

しかし人間、機械を問わず大量の「作られた声」を日々聞いているのだ。日本語の「聲(こえ)」は楽器の音が耳に届く様を表す。対して英語やフランス語の語源は呼びかけだ。ドイツ語には票の意も。欧米では声自体より声の主に重きを置くとドイツから来日したグドウルンさんは見る。

 

(3)▼「親しい友人でもわからないほど、不気味なくらい似ている」。

生成AI(人工知能)サービス「チャットGPT」の音声機能の声が自分の声に酷似していると、米国の俳優、スカーレット・ヨハンソンさんが訴えている。スカイという名の合成音声に「衝撃、怒りを感じた」。体の一部を奪われたように思えたのだろう。

 

(4)▼開発した米オープンAIは別の俳優の声であると明言。

しかしヨハンソンさんが声の協力を依頼され、断っていたことがわかり疑惑が深まった。声は人を楽しませ、安心させ、励ます力も持つ。一人ひとりに備わる個性でもある。AI時代の開発者はどうか「声の主」を尊重し、声を作るということに慎重であってほしい。