こころの玉手箱 講談師 神田伯山(1) 釈台と張り扇(24年5月20日 日本経済新聞電子版)

 

記事

 

(1)講談に欠かせない道具が「釈台」だ。これがないと落ち着かない。

昔の人は単に「机」と呼び、実際に本を置いて読んだ。「無本(むほん)」での口演が定着した現代でも名残として使っている。

 

 

寄席には備え付けの釈台がある。

戦前の演芸評論家、野村無名庵によると、かつて伝説の釈台があった。

幾多の名人上手がその釈台を前にした。湿度のせいだろうか、講釈師がピシリピシリと打つ音で、その後の天気がわかったらしい。そんな逸話が残るほど、釈台は講談師とともに呼吸し、生きている。

 

(2)

一般のホールでは各自持ち込む。

前座時代の私にはどこでこしらえるのかわからない。板を4枚買ってきて釘打ちした。張り扇でパンパンとすれば、カチャカチャと揺れる。DIYとすら呼べない粗悪品だった。

講談師の成長に合わせて、釈台も変わる。

二ツ目に昇進した2012年ごろ、神田紅先生の紹介で職人さんに作ってもらった。

素材や寸法がうまくできている。講談師の中では大柄な私が手を広げても収まりがいい。

折り畳み式で、軽くて持ち運びやすいのに、2千席以上の大ホールでもたえられるだけの重厚感がある。

 

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うちの師匠の神田松鯉と、20年に亡くなった一龍斎貞水先生。

尊敬する2人の人間国宝にもお使いいただいた。汗や脂が染み込み、歴史が積み重なっていくようでうれしい。

 

道具とともに成長する

 

(4)張り扇

もう一つの相棒、張り扇は講談師が工夫して自作する。

竹を芯に、茨城の伝統和紙「西ノ内紙」を巻く。長さ60センチくらいが普通だが、私のは2~3割は長い。遠い客席からでもよく見えるし、バンバンと響く。

松鯉師匠は鉛で重くして、ポンポンとやさしくまろやかな音を好んでいるようだ。

10本作っても、本当にしっくりくるのは1本くらい。張り扇がいいと、読みながらも漫才の相方のようにポーンッと跳ね返って気持ちいい。自分の調子がイマイチでも、張り扇の音一つで客席の空気が一変する。貞水先生は「張り扇もしゃべる」と仰(おっしゃ)っていた。

 

(5)

そんな大事な相方との別れは、ある日突然訪れる。短ければ1日、長くても1年。ここはという見せ場では強く打ってもぴしゃりと鳴り、もう必要がない終盤になってポキリと折れることがある。

講談では「切れ場よければ全てよし」と言うが、なんて相方思いな張り扇だろうか。

 

かんだ・はくざん 1983年東京都生まれ。講談師。2007年に神田松鯉に入門し「松之丞」を名乗る。12年二ツ目、20年真打昇進と同時に六代目伯山を襲名。「寛永宮本武蔵伝」などの連続物や端物などの読み物を若くして継承する。