イラン、最高指導者の後継不在に 中東情勢に新たな懸念(24年5月20日 日本経済新聞電子版)

 

記事(編集委員 久門武史)

 

写真 死亡したイランのライシ大統領は保守強硬派として知られる=ロイター

 

(1)イランのライシ大統領とアブドラヒアン外相がヘリコプター事故で死亡したと国営メディアが伝えたことで、中東情勢に新たな不安要素が加わった。

最高指導者ハメネイ師(84)の後継者候補にライシ師が有力視されていたが、選び直しを余儀なくされる。イスラエルとの対立やパレスチナ自治区ガザ情勢で緊張が続く外交のかじ取りにも影を落としかねない。

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(2)「国政に混乱はない」。ハメネイ師はライシ師が乗ったヘリの不時着が伝えられた19日、こう強調してみせた。

イランは行政府の長である大統領の上に国政全般の決定権を握る最高指導者がいる。ハメネイ師が指揮を続ける限り、政策が急変することはないと訴えたものだ。

 

(3)「影響が大きいのは、ハメネイ師の後継者レース」

検事総長や司法長官を経て2021年に大統領に初当選した保守強硬派のライシ師はハメネイ師に忠誠を尽くし、ハメネイ師はライシ政権を擁護してきた。

ロウハニ前大統領やアハマディネジャド元大統領との緊張関係とは、明らかに異なる。

 

(4)「後継候補の不在」

(日本エネルギー経済研究所の坂梨祥研究理事)

「ハメネイ師は名実ともに最高指導者となるよう何年もかけてライシ大統領という人物をつくってきたが、振り出しに戻った」とみる。

他の候補としてハメネイ師の次男の名もかねて取り沙汰されるが、王制を倒してできたイスラム共和国が世襲を認めるかは疑問があるという。

最高指導者を選出する専門家会議の中から選ぶ可能性もあるが、メンバーはいずれも知名度が低い。代わりの後継者としてすぐに名が挙がる人物の不在が浮き彫りになっている。

 

 

 

(5)「イランは中東の勢力争いの主役」

高齢のハメネイ師が世代交代のレールをどう敷き直すか。地域大国イランは中東の勢力争いの主役であり、国際政治ではロシアや中国への接近を強めている。

新体制の行方はイラン内政のみならず国際情勢に影響する。

(シンクタンクの国際危機グループのアリ・バエズ氏)

「2カ月以内にライシ師と同じくらい保守的で体制に忠実な後継者が現れるだろう」と指摘した。イラン憲法は、大統領が死亡した場合は50日以内に新たな大統領を選出する手続きをとるよう定める。

本来、次の大統領選は25年で、ライシ師が再選を目指すと目されていた。跡目争いの暗闘が思いがけないタイミングで始まる。

(6)「選挙で穏健派市民の「声なき抵抗」が露わになることが指導部の不安」

イラン大統領選は最高指導者が影響力をもつ「護憲評議会」が候補者を事前審査する。体制の意に沿わない人物はまず出馬が認められない。

このように完全に公正とはいえない選挙制度の下で、イラン市民は閉塞感を強めている。

22年、女性が髪を覆うスカーフ「ヒジャブ」着用に抗議するデモが政権批判に発展すると、政府は暴力的に弾圧した。

米国による制裁で経済の苦境は続き、インフレ率は4割に迫る高さだ。

ライシ師への信任投票となった今年3月の国会議員選は、投票率が41%と過去最低を更新した。無効票も多く、体制への深い不信感を映した。

選挙となれば、穏健派市民の「声なき抵抗」がまたあらわになる。イスラム指導体制のきしみは隠しようもない。これこそが、指導部が本当に恐れるヘリ墜落事故の帰結だろう。

 

(7)「死亡した外相は、サウジアラビアなど近隣諸国との関係改善を目指していた」

イラン外交も打撃を受ける可能性がある。墜落機に同乗していたアブドラヒアン氏はサウジアラビアなど近隣諸国との関係改善を目指し、イスラエルと交戦するイスラム組織ハマスの最高指導者ハニヤ氏との窓口役でもあった。

中東情勢が緊迫するなか、外交実務のかじ取り役が一時的であれ不在になる。

 

(8)「米国とは水面下で意思疎通していたが、継続できるのか」

(米ニュースサイトのアクシオス)

イランと米国の高官が先週、オマーンで間接協議を開いた。中東のこれ以上の緊張を避けるためという。

国交のない米国とも水面下で真意を確かめ合うのがイラン外交だ。担い手の交代で意思疎通が滞る恐れもある。

(編集委員 久門武史)