春秋(24年5月20日 日本経済新聞電子版)

 

記事

 

(1)ロシア語は罵詈雑言(ばりぞうごん)の宝庫らしい。

米原万里さんの「オリガ・モリソヴナの反語法」は褒め殺しで罵りながら熱血指導する舞踊教師の物語だ。生徒が言い訳しようものなら「七面鳥もね、考えはあったらしいんだ。でもね、結局スープの出汁(だし)になっちまった」と封じる。

 

(2)▼「そこの驚くべき天才」とにらまれたら悲劇だ。

教え子たちは文法で反語を習う前から「天才」が「うすのろ」を意味すると知っていた。受け手に反語が通じる共通の土壌があるのを、少々うらやましく思う。この反語や皮肉は伝わるか。誤解を招く表現でないか。小欄も真意と逆のお叱りを受けることがあり、悩ましい。

 

(3)▼上川陽子外相が演説の発言を「真意と違う形で受け止められる可能性がある」と撤回した。

前後の文脈をみれば、女性パワーで知事を誕生させようと呼びかけたと思えるが、子のない女性を傷つけたと感じる方もいたようだ。政治家は言葉を武器に権力闘争する。武器は時に人を傷つける。発言は常に覚悟が求められよう。

 

(4)▼米原さんによれば、賛辞を罵倒に換える反語は社会主義下で惨(むご)たらしい悲劇を乗り切る手段だった。

抑圧の叫びが豊かな反語になり、悲劇を共有する者に生を与えた。価値観や生き方が多様な今、言葉の受け取り方は人それぞれだ。そこで誤解を恐れて言葉を慎めば表現は平板になる。覚悟を持って生きた言葉を残したい。