保守政権下の自立と連帯 =======================

 

(岸・増田『社会保障の保守主義 増補改訂版』第8章第2節(3))

 

(3)社会連帯

 

 中国伝来の博愛には2通りあった。

『孝経』三才に「博愛を以てすれば、民、其の親を遺(わす)るることなし」とあり、この「博愛」は自分に最も近い親、血縁者、遠縁のもの、血のつながらぬ近隣の者、と広がる有限な愛だったと解説される。だからその助け合いは親族や共同体の伝統的なしきたりで決まり、それが「連帯意識」による助け合いになった。

 もう一つの「博愛」は、墨子が唱えた、兼(ひろ)く愛する兼愛で、「自他、親疎の差別なく平等に人を愛すること」に近かったといわれる。

 大正時代にはフランスから「連帯主義」を輸入したが、官僚は孝経の博愛につながる「事実としての連帯」つまり伝統的な連帯意識を温存し、それを基礎にした救済を社会連帯とみなしていた。

 

 もっとも吉田久一によれば、当時、慈善・慈恵・博愛の背後にある人間の上下関係を拒絶し人間の同質性において「社会事業」が成立すると主張した人もいた。また、社会連帯責任の観念のもとで社会的強者が弱者を保護するのは当然だが、弱者も最善の義務を尽くすことが必要で社会連帯責任は相互努力であるという主張や、社会事業を従来の人道博愛の慈善事業や救済事業から区別するのは社会連帯観念だという主張もあったという(34)。

 

 いずれにせよ、当時の日本において一般的には、生活支援にむけた国家の役割よりも国民の役割が重視されたのでその精神的なインフラとしてハイカラな「社会連帯」が利用されたといえる。

 国家による保護は国民が社会連帯による責任を果たした後の恩賜だった(35)。それは今日、「自助・共助・公助」と並べているが、これは公助を後回しにする政策だと批判されることもあるが、いわば「社会連帯」への原点回帰といえる。だから「日本型福祉社会」と呼ばれても違和感がない。

 

 また、明治以降の慈善事業施設にはキリスト教系よりも仏教系施設が圧倒的に多かったが、お経に次のように書かれていた。

 『法華経』を信じない者は輪廻転生で例え人間に生まれ変わっても不具・廃疾になるとか、神々は悪事を働いた者を記録しているので貧窮者や賤しい者や乞食や孤独な者や聾唖者や盲人や白痴などに生まれ変わるのであると。(そのせいか障がい児が生まれると母親がひとりで一生苦しんだ。キリスト教の場合は聖書ヨハネの福音書では両親のせいではなく神の業とされたが、親の悩みに変わりはなかった)。

 しかし「ほとけの方便」であるとか、如来の智慧の光は過不足なく全ての者は福徳と智慧を得る、一切のものは全て等しく常に平等にひとしい。名号を念じれば阿弥陀仏が現れ人の命が終わるときに阿弥陀仏の極楽国土に往生出来る(36)。こうして救われたのである。

 

 こうした社会保障前史は、保守主義者からは家や親族扶養の美風と矛盾すると見られたが、その一方で社会保障論では、わが国では親族扶養や企業や団体などの相互扶助が続いたので社会保障が発達しなかったとも解説される。

(勤め人の「連帯意識」の基礎は人間関係だった。残業で遅くなったら飲み会はやめてさっさと帰宅して休めばよさそうなものであるが、篭山京の「国民生活の構造」(37)には次のように書かれている。1941年の某工場の18日間の調査の結果、残業時間が長くても同僚との付き合いや娯楽などの余暇時間はしっかり確保し、睡眠時間を短くしていることが判った。これはエネルギーの合理的な消費や再生産から見れば不合理に見えるが、個人の生活行動に制約を与える「生活構造」の視点で見れば労働者に合理性が欠如しているからとはいえなかった)。

 

(岸・増田『社会保障の保守主義 増補改訂版』第1章第1節(3)4))

4)自立と社会連帯

 

 今日の日本型福祉社会論ではいつも「自立と連帯」が二つ並べて強調されるが、ここでその意味を考えておきたい。

 その前に、1950年の社会保障制度審議会勧告が新しい社会保障を説明する中で、国家扶助受給者や身体障害者や児童などには「自立してその能力を発揮できるように」生活指導すると述べたが、この「自立」は福祉サービスを受けなくとも生活できるようになる脱社会福祉と考えられた。また、同年の生活保護法の中に書いてある「自立の助長」を小山進次郎が解説して、俗に言う怠け者の救済をやめる脱社会福祉ではなく、人が持っている可能性と能力に相応しい社会生活ができるように支援することとした。

 それに対し、1978年に大平正芳総理が日本型福祉社会(6)にふれて「日本人の持つ自立自助の精神、思いやりのある人間関係、相互扶助の仕組み」と述べたが、これは昔、ムラのなかで道路や水路が壊れたり井戸水の出が悪くなったり災害や病気など生活に何か問題が起きてもクニ(藩)に頼らないでムラの共同体の中で解決してきたという伝統のことと考えられる。

 1979年の「新経済社会7カ年計画」では「個人の自助努力と家庭及び社会の連帯の基礎のうえに適正な公的福祉を形成する」とした。この「連帯」は大平の脱福祉国家の文脈で考えれば親族・企業・地域社会などの相互扶助を活性化することである。

近年では社会福祉法で、福祉サービスは利用者が「能力に応じ自立した日常生活」ができるように支援するものというように「自立」を強調したがその定義はなかった。(これらは主に本書第8、9、10章を参照)。

 

 そこでさまざまな使用例から帰納的に「自立」を三通り考えて見た。

 

(ア)「自助的自立」 公的福祉サービスへの依存や家族・共同体への依存をやめること。市場や非営利団体やボランティアなどのサービスを利用する。

(イ)「依存的自立」 障害者や高齢者などが福祉やボランティアのサービスを利用して自分にできることをやりながら暮らす自立(おかしな用語で英訳が困難である。その意図は、わが国では福祉サービスを利用すると世間からは「依存的な人間」と見られがちだが、そうは考えず、障害や高齢が要介護になってもその人が自分のやるべきことをやり遂げるための補助としてサービスを提供するのであればこれも「自立」の支援だ、という発想であろう)。

(ウ)「脱福祉国家」 特に福祉国家のサービスを減らす日本型福祉社会の自立である。例は二宮尊徳の実践のように地域住民の協力で相互扶助・共助・互助を活性化し、お上に依存しなかった事例が挙げられる(戦前は家長の権限が強く、家庭内暴力や妻や子へ理不尽な仕打ちがあっても官憲は介入せず、また、家族・親族の扶養はどこまでも家長の義務だった。地域社会といっても農村では農道や川や橋の修理などは農業に欠かせず村民総出でやることもあったから「家族と地域社会が国に依存せず自立していた」といえる)。

 

 一方、「連帯」も帰納的に二つ考えることができる。

 

(ア)ヨーロッパの場合 個人の自助努力では立ちゆかない場合に、フランスのレオン・ブルジョワやスウェーデンの福祉国家のように、顔も知らない人たちの「全国規模の社会連帯」の仕組みによる公的な助け合いを目指す。ただし職域別や全国一元的なものがあり得る。●(ただし、米国の基本は自由とフロンティア時代の自助の精神だから、チャレンジしてその結果がうまくいかなくてもそれは自己責任で政府に何か支援を求めるべきではないという。しかし、再チャレンジの機会があるところが日本とは違う)。

(イ)日本型福祉社会の場合 社会連帯の内実は職場や近隣など顔見知りの仲間内の「連帯意識」を強化し相互扶助を活性化するのが基礎で、公的支援には依存しない脱福祉国家を目指す。

従って、日本型福祉社会論の「自立と社会連帯」の自立は(ウ)脱福祉国家路線で、連帯は(イ)連帯意識強化であるから、言葉は欧米と同じだが日本的に換骨奪胎して使っているので紛らわしいのではないだろうか。