(2)保守主義のシナリオ ヨーロッパ大陸と米国 =============================

 

(第2章 社会保障の方法 第2節 「経済と福祉の両立」を目指す三つのシナリオ(3)保守主義のシナリオ 1)自由と公正 2)ヨーロッパ大陸と米国のシナリオ)

 

1)自由と公正

 

 「近代保守主義」は18世紀末英国でフランス革命を否定するところに始まった(第3章1節(2))。国王の威信、家族による庇護、家長への従属、そして格や序列を優先させ、また郷土の伝統や人間関係などの継承を重視した。

 19世紀には従来からの同業者団体の相互扶助や事業主による福利厚生を重視し、国家に依存しないことや反社会主義という点で自由主義と親和的だったが、やがて伝統を破って困窮する労働者の保護を国家が行うパターナリズムの政治家が生まれた。

 保守主義の伝統的な経済論は均衡財政論だが、戦後は戦中のような統制経済や産業の公有化の社会主義をきらって経済自由主義と親和的だった。ところがヨーロッパと米国の保守派では、取り入れた「新自由主義」の中身は全く対照的だった。

 ヨーロッパ大陸の保守派は「ドイツの新自由主義」に由来する自由と公正の両方を追求する「社会的市場経済」、一方、英国保守党や米国共和党は米国流リバタリアンの「新自由主義」である。

 (共和党幹部が2016年5月にトランプ候補に共和党が譲れない価値観を示した。憲法順守、小さな政府、妊娠中絶反対、自由貿易、海外紛争への積極的関与など(14))。

 

 それに対して戦後わが国では、保守政党は反社会主義を掲げる自由主義政党と合同し反統制経済の自由な市場経済を取り入れた。その結果、保守の中には、誰にでも自己責任を求めるリバタリアンと、階級協調と「和」を目指す穏健派がいるようである。しかし米国の優勝劣敗や競争促進とは違って共存共栄路線だったが、それでも中曽根政権以降は民営化や競争原理を取り入れ橋本政権の98年金融危機では銀行の破綻さえ容認するように変わった。

 

 いずれにせよ保守主義は経済運営ではともかく、福祉政策では自由や平等などの固有の理念を持っていないように見える。だから逆に温情的なパターナリズムだけでなく平等指向や自由指向の方法もイデオロギーに悩むことなく採用出来ると考えられる。

 

 (自由主義・リバタリアンはもともと米国の保守主義者と同様に「小さな政府」を理想とし税や社会保険料の負担は財産の自由な処分を妨げるという理由それらに反対し「社会保障は削るべき」となり、個々人が自己責任で保険や福祉サービスを購入すれば、もっと豊かな生活になると主張する。自由な創意工夫を至上価値とするから、まずは民間の経済活動を活発にするための政策を行うだけでいいというシナリオだ。

 社会自由主義も同じ自由主義だから才能と勤勉から生まれる格差は容認するが、図式的にはリバタリアンは「自由を守るために政府の介入を拒否する」が、社会自由主義は「自由を守るために政府の介入が必要である」といえよう。)

 19世紀のヨーロッパの保守主義者は、国が家長の差配する家族に口出しすることを嫌い、また、労働者保護の社会政策が職人や親方などの相互扶助組織や雇い主と使用人との強い関係などの伝統を壊すことを警戒した。

 ところが19世紀末ドイツでできた社会保険は、疾病金庫など従来の労働者の相互扶助活動を取り込んで労使協調を進めるものだったから保守主義者にも受け入れられたと考えられる。またフランスでは「連帯主義」が強調されるが、社会保険は今でも職域ごとに分立しているのは団体ごとの「連帯意識」の影響かも知れない。

 

 戦後のヨーロッパ大陸の最大の政治勢力になった保守的なキリスト教民主主義政党はキリスト教を基礎にして、市場優先でもなく社会主義でもない新しい政策理念の「第三の道」を模索した。そしてヨーロッパ大陸では保守も革新も「社会的市場経済の理念」に共鳴し、自由で効率的な市場経済を守ると同時に社会政策・社会保障で社会的公正の実現をはかるという効率と公正の両立という目標を共有し大陸型福祉国家を支えている。これをヨーロッパ大陸保守主義のシナリオとしておく。

 

 それに対して米国保守派は、国家が家族や郷土の秩序を破壊する性質があることを警戒し、「小さな政府」である州政府主導を主張し連邦政府を押さえ込もうとし、内政では政府による産業への介入を嫌い、リバタリアンの経済学の競争原理を重視した。

 この保守主義と自由主義が結合した米国保守主義は共和党によって投資家や富裕層や法人税の減税などを行い「新自由主義」と呼ばれる。その背景には「大砲かバターか」のように、効率と公正は両立が難しくトレードオフつまり「あちら立てればこちら立たず」の関係である、という定石がある。

 ヨーロッパでも英国のサッチャー保守政権が米国のリバタリアンのシナリオだった。

 

 わが国の保守主義も、家族は国家から自立した存在で、様々なことが国家が口を挟むことなく家族の内部で解決することが求められた。日本ではnationに「国・家」の字をあてたように、国家にとって「家族そのもの」は保護の対象ではなく福祉の焦点は家族からこぼれ落ちた個人に向けられる。米国保守主義に影響される一方、「和」を重んじヨーロッパの大陸型福祉国家路線にも共鳴する。ところが、既成勢力を守るために政権維持を最優先し政策は選挙区や業界の人気取りといわれてしまう。しかし英国保守主義の元祖バークは、国会議員は地方の伝統的支配を脱して国家的な所信を貫くべきであると主張していた(15)。

 

 一般的に、現実の「保守政治」は平衡感覚が重要で、政策の内容を問うものではないとまでいう人もいる(16)。これは社会保障政策では保守指向も平等指向も自由指向もありということであろう。

 実際に英国保守党は緊縮財政だったが福祉を重視する自由民主党と連立政権を組み、2015年には「労働者のための党」とまでいって低所得層の住宅対策を強化した。新聞は野党時代の英国保守党を次のように伝えた。

 サッチャー時代と比べると様変わりで、社会正義実現に向けた「政府の役割」を強調し、格差問題や高齢化対策や教育改革を議論し「小さな政府」論から転換した。キャメロンは「国家支配とも自由放任とも違う、責任ある社会の再生に政府が役割を果たす」と述べたが、国民も、金融危機やテロの脅威や核拡散、高齢化などの不安から政府の復権に期待しているのかもしれない(17)。

 わが国の場合、「思想は必ず実を結ぶ」と米国保守主義をまねていた安倍首相が、今度は英国保守党のように社会自由主義的な格差縮小政策を取り入れても保守主義の大枠を外れるわけではない。