異形の企業集団SBI(1) 「ネットは勝者総取りや」(24年4月8日 日本経済新聞電子版)


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(1)「1996年橋本龍太郎首相の日本版金融ビッグバンから始まった」

「どんどん巨大化する」。SBIホールディングス会長兼社長の北尾吉孝(73)は2024年1月の年頭所感で社員にこう語りかけた。

 

写真 SBIは口座数で競合を引き離し「1強」の地位を確立しつつある

 

祖業のネット証券では23年9月に日本株の売買手数料を撤廃。新しい少額投資非課税制度(NISA)も追い風に、口座数で「1強」の地位を固めつつある。

「3カ年計画で手数料の完全無料化を目指す」。北尾は19年10月の決算説明会で、証券分野の新たなビジネスモデルづくりが総仕上げに入ると宣言した。

一連の戦略は1996年に当時の首相、橋本龍太郎が打ち出した日本版金融ビッグバンに遡る。99年10月にそれまで横並びだった証券手数料が完全自由化された。

 

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(2)「北尾さんは野村證券⇒ソフトバンク⇒eトレード証券」

北尾は99年10月にネット証券のイー・トレード証券(現SBI証券)を開業。

ネットを活用したビジネスで手数料競争を仕掛けると、口座数で02年に松井証券を抜いてネット証券首位に立った。20年3月には最大手の野村証券も抜いた。

戦略を貫く背骨は「ネットの世界は勝者総取り」(北尾)の論理だ。

北尾は野村証券の事業法人部門を経て、95年に孫正義が率いるソフトバンクの最高財務責任者(CFO)に転じた。

金融とインターネットの親和性を見抜き、圧倒的多数の顧客を獲得すれば顧客あたりの商品開発コストが下がると学んだ。

 

(3)「米国で始まった手数料無料化で競合の駆逐」

「米国でできて日本でできないはずがない」。

米国で13年創業のロビンフッド・マーケッツが無料化を打ち出し、若年層の支持を得た。19年にはネット証券大手チャールズ・シュワブが無料化を宣言、他社も追随を余儀なくされ業界再編が起きた。

「(ネット証券2番手の)楽天(証券)にとどめの一撃や」「他社は進むも地獄、退くも地獄」――。

北尾は手数料ゼロ構想を表明してから時折、周囲にこう話した。無料化に追随すれば収益を失い、追随しなければ顧客が流出する。楽天証券だけ追随したが、株式上場の延期を迫られた。

 

(4)「信用取引における売買代金のシェアが現物取引を超えた」

新規顧客が増えて信用取引関連の収益が無料化の不利益を打ち消した。

SBI証券内部でも23年9月の無料化直前まで慎重な意見があった。

競合からも

 「日本の事業環境は金利がある米国と違う」

 「不当廉売では」

との声があがった。

業界では「一時的な減収は避けられない」とささやかれた。

ところが、SBI証券は23年4~12月期決算で増収増益を確保した。

新規顧客の流入が増えて信用取引関連の収益が無料化の影響を補った。

現物株取引と信用取引における売買代金のシェアでは50%を超え、北尾は「無料化で事業全体にポジティブな波及効果が生まれる」と自信をみせた。

 

(5)23年10~12月期の新規口座開設は四半期ベースで過去最高となり、グループ全体の証券総合口座は2月に国内で初めて1200万を超えた。

対面証券や無料化に追随しなかったネット証券各社からの口座移管も増えた。

 

(6)「通常の金融コングロマリットにとどまらず医薬品や不動産、半導体まで扱う」

祖業のネット証券の収益は全体の約16%にとどまる。

 

(7)「無料化の影響を抑えるため新規株式公開(IPO)引受業務など法人取引を強化」

急速な事業拡大の裏で不祥事も起きた。

上場主幹事を務める株式の公開価格を巡り、初値を公開価格以上にするため提携する仲介業者に頼んで個人投資家から買い注文を出させていたとして、SBI証券は金融庁から1月に行政処分を受けた。

死角を生んだ遠因も手数料の無料化にあった。SBIは無料化の影響を抑えるため従来の個人取引にとどまらず、新規株式公開(IPO)引受業務など法人取引を強化してきた。だが内部管理体制の整備が事業の拡大に追いつかなかった。

大手証券幹部は「あり得ない事態だ」と話す。

金融庁幹部も「これを機に大手金融機関としての自覚を持ってほしい」と苦言を呈する。

折しも政府は資産運用立国構想を掲げ、直接金融の役割は拡大する。

SBIが2000兆円の個人金融資産を預かる社会インフラとして存在感を高めるなら、事業運営の責任も一段と重くなる。

 

SBIはネット証券の顧客基盤を基に銀行や保険、さらには半導体にまたがる企業集団をつくり上げてきた。異形の企業集団の実相を追う。

 

(敬称略)