明日への話題 ケハレ(料理研究家) 土井善晴(24年3月22日 日本経済新聞電子版)

 

記事

 

(1)ケ(日常)とハレ(非日常)にけじめをつければいいと思う。

現代のケは仕事や学業に励む日、ハレは休日(楽しむ日)と考える。

前者は心身を健やかにたもつ古来の食事。後者は一週間がんばった後のご褒美で楽しみを享受する食事。何をハレとするかは、それぞれの考えでよい。

 

(2)ケにも小さなハレと言うべき喜びが数々潜んでいる。

淡々と時すぎるとき、自然の移ろいや親切に、気づき、心栄えする。これを関西では「もの喜び」と言い、それがよくできる人を「もの喜びする人」だと褒める。気づきは知らせ、芝居で狂言方が打つ拍子木だ。その人は、意図せず、周囲を明るく照らし、人を幸せにしている。

 

(3)「もののあはれ」

美、喜び、哀れ、悲しみを、受け止めた心を、日本では「もののあはれ」と言う。時計時間の横軸に、もののあはれという縦軸の楔(くさび)を打っていく。「ああ」と心にとらえとどめる術は、詩人の専有ではない。もののあはれは、マインドを守る生きる実感だから、だれもが利用すればよい。

 

(4)ケとは大自然の営みで、ハレとは人間が意図した人工的行為。

ハレ化した料理は、食材を混ぜ、味付けて美味を作る「それ以上」の努力による。それ以上は、喜びにもなり、苦しみにもなる。

ケの一汁一菜とは汁飯香。有るものを、気ままにいただくところに喜びが生まれる。

ケの人は、案外、積極的に食べている。

ハレの食事は食べるだけでは受け身になりがち、より積極的な努力が要求されている。

 

(5)ケハレは日本の専有ではない。西洋の一汁一菜は、スープ、パン、チーズ。ケの慎(つつ)ましい食事はあたりまえの普通のこと。

 

■現代は毎日がハレ 「欲望」で決めている   TUWAERU

「日本の伝統“ハレとケ”の食生活でカラダと心のバランスを整えよう!」

“ハレ”とは「晴れ/霽れ」、“ケ”とは「褻」と書きます。ハレ(晴れ)は冠婚葬祭や年中行事などの特別な日をさし、ケ(褻)はそれ以外の普通の日常的な生活をさしています。

「ハレの日」は特別な日なので、普段そんなに口にすることができない肉やお酒、豪華な料理がならび、着るものや化粧まで特別にするのが習わしでした。今でも「晴れ着」や「晴れ舞台」、「晴れの門出」など、お祝い事や記念日などに用いますよね。

「ケの日」はいつもの日常なので、朝起きて仕事をし、ご飯とみそ汁、ちょっとのおかずと漬物程度の食事をして寝る、というほとんど同じ毎日の繰り返しです。

もちろん「ハレの日」はそうそうないため、ほとんど毎日「ケの日」です。しかし、さすがに「ケの日」ばかりでは気分も滅入ってしまいます。そこで定期的に飲めや歌えやの宴をおこない、「ハレの日」を通じて気晴らしをし、疲れたカラダと心を回復させていたのです。

この「ハレとケ生活」が、日常は質素な食生活で健康を保ち、たまの呑み食いでストレスを溜めないという、絶妙な生活バランスだったのです。この極めて合理的で持続可能なライフスタイルを、ぜひ見習いたいですね。

現代はそれすらなくなってしまい、高級な食事が格安で毎日のように食べられるようになりました。「ハレとケ」という区別もなくなってしまい、食べ物も着るものも、両方が中途半端な状態です。

また、本来は貴重で高級であるべきものを、毎日安く食べたいという人間の欲求によって大量生産技術も進化していきました。その結果、さまざまな矛盾や歪みが生まれ、肥満や不健康はもちろん、日本の大切な伝統産業や農業漁業の衰退にも影響が及んでいます。

つまり、毎日が「ハレの日」では人間も環境も持たない、ということが段々わかってきたのです。「美味しいか美味しくないか、食べたいか食べたくないか」という基準だけで自分の食べる物を判断していては、未来はないということです。