国際政治学者・高坂正堯の講演録 「思考の免疫」高める知恵(24年3月2日 日本経済新聞電子版)

 

記事(郷原信之)

 

(1)要点 高坂正堯(こうさかまさたか)(1934~96年)の講演録

リアリズムを軸に、政治から歴史や文化まで幅広く研究と評論活動を繰り広げた国際政治学者・高坂正堯(こうさかまさたか)(1934~96年)の講演録『歴史としての二十世紀』(新潮社)が話題を呼んでいる。

新潮選書の一冊として2023年11月に刊行され、約3カ月で4刷1万3000部。ロシアのウクライナ侵攻を筆頭に混迷を深める世界情勢の行方を、歴史の知恵を借りつつ見極めたい。そんな向きが同書を手に取る動機になっている。

写真 関連書籍を集めた「高坂正堯」コーナーもできた(東京都千代田区の紀伊国屋書店大手町ビル店)

 

(2)読者が多いのはビジネス街。紀伊国屋書店大手町ビル店(東京・千代田)の桐生稔也店長によると、「シニア層だけでなく20~30代のビジネスパーソンも目立つ」のだそうだ。

もとになった講演は東西冷戦が終結した直後の90年、計6回開かれた。

(編集担当の三辺直太氏)

単行本化の経緯を述べる。

2度の世界戦争を招いた20世紀の歴史の流れを大づかみにする内容は、新たな「戦争の世紀」が訪れるのではないかとの不安が漂う「今こそ活字にすべき時かもしれないと感じた」。

 

(3)ページを繰りつつ高坂のソフトな語り口を再現した文章を追うと、歴史に法則性を見いだしたり歴史をモデル化したりすることの安易さに警鐘を鳴らす言葉の数々が目に飛び込んでくる。歴史を形作る要因として、人間の恣意的な欲望や偶然の積み重ねが果たす役割にもっと注目しようと高坂は促す。

 

(4)真骨頂は講演当時、東欧で体制転換が続いていた共産主義についての観察に表れる。

(高坂)

 民主主義や資本主義

  「くだらない目論見(もくろみ)とくだらない動機から案外いいことが起こ」る仕組み、つまり偶然が時によい方向に作用しうる仕組みだと説いた。

 共産主義体制

  少数のエリートが「人間は進歩すべきで、必ずその方法はある」という信念のもと強引に政治を進めてしまい、引っ込みがつかなくなったと指摘する。

 

(5)「資本主義と大衆民主主義の組み合わせは共産主義と同じくらい問題が多い」

「理念は社会を方向づけるために大事なものですが、それにより恐ろしいことも起こる」。理想主義と適切な距離を取る「思考の免疫」力を高めようと高坂は呼びかける。

この免疫力は例えば「市場経済が無批判にいい仕組みなのだという甘い考えは捨てたほうがいい」という主張にも表れている。偶然は、悪い方向に作用する場合もあるからだ。

「資本主義と大衆民主主義の組み合わせは共産主義と同じくらい問題が多い」。

こうした「逆説的な視点の大切さを忘れさせない話芸」(三辺氏)が、30年の時を超えて魅力を放っている。

(郷原信之)