歌手・タレント 堀ちえみさん(4) 40周年記念ライブで歌披露(24年3月2日 日本経済新聞電子版)

 

記事

 

(1)2019年2月に舌の6割以上を切除して太ももの組織で再建した舌は最初は口の中にはまっている肉の塊だった。発声・発語のリハビリで日に日に小さく、薄くなってきた。

 

 

舌が薄くなると口の中の空洞が大きくなり、舌の動かし方を変える必要がある。3歩進んで2歩下がる。心が折れそうになるが1歩は確実に進んでいる。変化は伸びしろがある証拠だ。とにかくリハビリを続けた。

リハビリを始めて2カ月半ほど過ぎたころ、しゃべりにくいとはいえ、日常生活の会話はほとんど問題がなくなった。言語聴覚士の先生から「そろそろ仕事の予定を考えては」という提案があった。

 

(2)私の仕事は歌うこと、お話をすることだ。

手術前の状態に100%戻ることは絶対にない。ファンに痛々しい状態を見せたくない思いもある。でも「最終目標はみなさまの前で歌うこと」と伝えた。

 

(3)「奇跡を起こしたい。いえ、起こせる」。そう信じるきっかけは一度目の退院後、後ろ向きな気持ちを克服するため次女を誘ってカラオケルームに行った経験だ。誘ってみたものの歌う勇気がない私を気遣って次女が一人で歌い続けた。思い切って18歳直前にリリースした「リ・ボ・ン」を歌った。イントロが流れ自分のスイッチが入った。仕事で歌える状態ではない。でも次女は「すごい、歌えるじゃん」と大きな声で喜んだ。

 

(4)約3年後の22年はデビュー40周年。記念ライブに向けたボイストレーニングを再開した。再建した舌は中央部が厚く、歌に必要な空洞をつくりにくい。歌詞を一語ずつ工夫して自分なりの音を作り上げた。

 

(5)コロナ禍で1年ずれ込んだ「40周年+1」記念ライブでは25曲を各地で披露した。絶望しかない「ステージ(病期)4」から希望に満ちた「ステージ(舞台)へ」。

舞台では「生きててよかった」という言葉が自然に出た。4月20日には東京・日本橋でライブを開催する。ポジティブに生きる私を見に来てほしい。生きている限り、不可能はない。

(この項おわり)

 

■堀ちえみ ウィキペディア

 

「教官!、私はドジで間抜けでノロマな亀です」

1983年にTBS系列で放送されたドラマ『スチュワーデス物語』(原作:深田祐介)で大映ドラマ初主演し、本作のヒットにより一躍人気アイドルの仲間入りをした[2]。劇中での「教官!、私はドジで間抜けでノロマな亀です。 だけど、スチュワーデスに絶対なるという気持ち、教官が大好きだという気持ちは、誰にも負けません!」の台詞(太字部分)は流行語になり、翌1984年に新語・流行語大賞(第1回)候補に推され、大衆賞を受賞した。

この『スチュワーデス物語』以外にも、『スタア誕生』や『花嫁衣裳は誰が着る』でも主演し、「少女がいじめや冷酷な仕打ちに耐えながら、終いに幸運を手に入れる」という、1980年代の大映ドラマを象徴するキャラクターを演じた[3]

 

「子ども7人の母」

1989年、松竹芸能に所属し芸能活動を再開する。大阪の外科医の男性と結婚[4]、1990年に長男、1992年に次男、1993年に三男と3児をもうけたが、1999年に離婚。

2000年5月、雑誌社勤務の男性と再婚、2000年に四男、2002年に長女と2児をもうけた。

2010年6月、2度目の離婚[5]

2011年12月11日、SANKYO執行役員(2022年からはビスティ社長)の尼子勝紀[6]と結婚[7][8]。尼子はファンの一人だったという。堀は3度目の結婚であり、東京・明治神宮にて挙式。相手の連れ子が2人(当時中学生の長女と小学6年生の長男、自分の子は、21歳、19歳、18歳、11歳、9歳)[9]いるので、7人の母となった[10]

 

「舌ガンと食道ガンで闘病

2018年6月頃、舌の裏側の小さな口内炎に気付き通院治療を続けていたが、当初は「2016年から患っているリウマチ治療薬の副作用ではないか」と診断され、別の医者からも「ビタミンB不足ではないか」[2]と判断されていた。7月にいったん症状は治まったが、10月に入ると大きな口内炎が再発。それ以降は痛みが酷くなる一方で、年明けからは更にしこりが増加して会話や食事も辛くなり、激痛による不眠にも悩まされていたという。

2019年2月19日、自身のオフィシャルブログにて、口腔癌(舌癌)に罹りステージ4と診断され、左首のリンパ節にも転移していることを公表し、同日に入院、当面は芸能活動を休業して療養に専念するとした[12][13]

2019年2月22日に受けた11時間に及ぶ手術では、頸部リンパ節や舌の6割を切除し、太ももの組織を移植する舌の再建手術が行われた[14]。同日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に入院前の収録でゲスト出演しており、病気の経緯を詳細に語った[14]。25日、ICU(集中治療室)から一般病棟へ戻り[15][16]、26日には術後初めて本人が自身のブログを更新した[17][18]。3月16日、外泊許可を得て一時帰宅[19]。3月26日に退院[20]

4月15日、検査によって新たにステージ1の食道がんが発見されたことを公表[21][22]。16日、内視鏡による切除手術を行った[23][24]。24日、退院[25][26]。病理検査の結果、食道がんはステージ0の初期がんと判明[27][28]