春秋(24年2月27日 日本経済新聞電子版)

 

記事

 

(1)時代のイメージというのは不思議なものである。

たとえば、1945年8月15日の終戦の日。すぐ頭に浮かぶのは、正午の玉音放送を聞いて皇居前でこうべを垂れ、土下座をする人々の姿だ。写真は新聞紙面を飾り、戦後80年を控えた現在まで「記憶」が保たれている。

 

(2)▼近年の研究では、そうした資料の一部は8.15以前の撮影だったり、被写体にポーズをつけたりしていた疑いがあるという。

それに、日本人の誰もが玉音放送を聞いて地にぬかずいたわけでもない。永井荷風は「断腸亭日乗」に終戦を「あたかも好(よ)し」などと書きとめ、その夜は鶏肉とぶどう酒で「休戦の祝宴」を張った。

 

(3)▼このところ、しばしば目にする「バブル期の風景」もステレオタイプかもしれない。

日経平均株価が史上最高値を更新し、回想はあの時代に及ぶ。盛り場のにぎわいやディスコの熱狂がよく登場するが、世の中すべてがキンキラキンではなかった。安くてうまいものを求める「B級グルメ」が定着するのはこの時代なのだ。

 

(4)▼バブルの象徴のように伝えられる「ジュリアナ東京」のオープンは91年の5月である。

すでに流れは変わり、しきりにバブル崩壊が報じられていた。それでもなぜか、記憶には誤って刷り込まれていく。玉音と土下座。バブルとお立ち台。人は、わかりやすい図式を求めてやまぬらしい。真実は、その陰に隠れがちである。