近道でなく寄り道ナビ、絶景・名所巡りで運転楽しく…最短距離をあえて案内せず(24年2月14日 読売新聞オンライン無料版)
[余白のチカラ]<3>
写真 最短距離を案内しないアプリ「スバロード」を開発したスバルの小川秀樹さん(昨年12月19日、東京都渋谷区で)=古厩正樹撮影
記事
(1)「この先で道を一本外れましょう」。スマートフォンからルート案内が流れると、千葉県君津市の山岳道路「房総スカイライン」を走っていた岩下宗伯さん(48)はハンドルを左に切り、林道に入った。
昨冬、妻をドライブに誘い、千葉・房総半島に向かった。
川崎市の自宅を出て、木更津市内の道の駅に着くと、道案内アプリ「SUBAROAD(スバロード)」を起動。半島最南端の野島崎を目指した。
写真 伊豆半島のルート。ゴール地点まで様々な絶景や名所に寄り道する=スバル提供
(2)道案内アプリ「SUBAROAD(スバロード)」
1)このアプリは、カーナビのように目的地までの最短ルートを案内するわけではない。時には脇道にそれ、知る人ぞ知る絶景や名所へとドライバーをいざなう。
2)「奥米 隧道(ずいどう)が近づいてきました。長さは300メートル、素掘りトンネルでこの長さは珍しいです。しかも……あ、これ以上はやめておきましょう。通ってみてのお楽しみ」。
姿を現したトンネルは狭く曲がりくねり、洞窟のように壁はでこぼこしてほの暗い。秘境に来たみたいでワクワクした。
3)カーナビなら約70キロ、1時間10分の道のりが、約100キロ、3時間のドライブとなった。「ナビでは案内されない場所に行けて、走りがいがあった」と岩下さんは満足そうに話す。
(3)
「スバロード」を開発したのは、SUBARU(スバル)IT戦略本部の小川秀樹さん(41)を中心とするプロジェクトチームだ。
1)小川さん
スバルの工場がある群馬県太田市出身で、父、和雄さんは主力車種・インプレッサの開発責任者だった。車好きは親譲り。
幼い頃からエンジン音で車種がわかり、工場に並ぶ新車を飽きずに眺めた。中学卒業後は板金工場に1年間勤め、トラック部品の取り付けに励んだこともある。
2)18歳で車の免許を取得すると、暇さえあればドライブにでかけた。カーナビが普及する前のこと。分厚い道路地図をめくり、自らルートを決めるのが楽しかった。
3)ある日、東京からの帰り道、関越道のサービスエリアで地図を確認すると、「埼玉県小川町」という地名が目に留まった。
自分の名字と同じ地名に興味をそそられ、降りるはずだったインターチェンジを通過して車を走らせた。
到着すると小さな商店に立ち寄り、「この町に小川さんっていますか」と声を掛けた。
店主のおじさんは親切にも電話帳を調べ、「小川はいないけど、大川ならいるよ。大きい方がいいんじゃねえか」と笑って相手をしてくれた。近くで見つけた滝では、手を合わせて打たれてみた。道中で出くわす思いがけない出来事の連続に心が躍った。
(4)「従来の経営モデルから脱却し、顧客をつなぎとめる秘策はないか」
2006年に大学を卒業した後、職を転々としたが、26歳の時、和雄さんの死去を機に故郷に戻り、システムエンジニアとしてスバルの子会社に就職した。
転機
親会社に移って迎えた18年夏に訪れる。自動車業界は「100年に1度の大変革期」を迎えたと言われ、各社は電気自動車や自動運転の技術開発でしのぎを削っていた。
「車の製造・販売という従来の経営モデルから脱却し、顧客をつなぎとめる秘策はないか――。」プロジェクトチームが組まれ、顧客のニーズ分析で経験豊富な小川さんがリーダーを任された。
(5)「カーナビ任せの運転でドライブの楽しさを忘れてるんじゃないんか」
顧客に話を聞くと、「車を走らせるのが楽しいから、遠回りすることがある」「わざとナビから外れると、その土地ならではの風景が広がっている」といった声が聞かれた。
小川町に寄り道した思い出がよみがえった。人々はいつしかカーナビの案内通りにしか運転しなくなり、ドライブする楽しさを忘れたのではないか。最短距離をあえて案内しないアプリの開発を思いついた。
(6)「「近道より面白い道」のスバロードは静岡・伊豆など16ルート」
各地のディーラーの協力を得て、隠れた魅力を持つコースをピックアップした。実際に足を運び、その土地ならではの情報を収集。
走る場所に合わせて流れる音声ガイドは、景色の案内にとどまらず、地形の成り立ちや伝承など広範囲に及ぶ。
「近道より面白い道」をテーマにしたスバロードは21年12月に無料公開された。静岡・伊豆半島や兵庫・淡路島など12都道県の16ルートを紹介している。
(7)
今後もルートを増やす予定だが、小川さんはこうくぎを刺すことも忘れない。「誰かに用意された道ではなく、自分が楽しそうだなと思う道を走ってほしい」。ドライバーには、自分が思い描く地図を信じ、冒険心を持ってハンドルを握ってほしいから。
(波多江一郎)
(8)私にとって余白とは―小川秀樹さん―
ハンドルやギアの「遊び」のようなもの。遊びがなければ、部品は早く摩耗するし、走行する路面の形状によってはハンドルを取られる恐れもある。物事を円滑に進めるには、意図的に余白を作ることが大切だ。