「天才歌人・西行」が出家した理由をめぐり物議百出 小林秀雄が出した「ちゃぶ台返し」の答えとは?(24年2月12日 newsYahoo! デイリー新潮DAILY SHINCHO)
記事
写真 若く、お金持ちで、前途有望だったのに23歳の若さで突然出家した西行
(1)序
西行(1118~1190)といえば、『新古今和歌集』に最多の94首が選入された天才歌人。若く、お金持ちで、前途有望だった西行が、23歳の若さで突然出家したことをめぐり、作家や学者など多くの人々が、その理由について議論してきた。
リンク【画像を見る】西行の“道ならぬ恋の相手”
(2)(西行歌集研究の第一人者・寺澤行忠さん)
新刊『西行 歌と旅と人生』(新潮選書)では、
出家の理由として
「潔癖説」
「恋愛説」
「数寄説」
の三つを挙げた上で、批評家・小林秀雄(1902~1983)の意見に賛同している。同書から一部を再編集してお届けしよう。
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出家の原因は「数奇」なのか
(3)「近年、西行出家原因の「数奇(すき)」説」
近年、西行の出家の原因を「数奇(すき)」(風流の道に深く心を寄せること)を希求してのものだとする見方もなされている。
たしかにそのような一面もあったかもしれないが、ようやく和歌に親しみ始めた西行に、それを生涯の目的として出家という行動をとらせる動機となったとは考えにくい。
(4)西行における出家の複数原因説がある
西行の人生の節目となる出来事
例えば
出家、
奥州への二度にわたる旅、
大峰(おおみね)修行、
西国・四国への旅
など、それぞれ人生の大きな転機となっている。
中でも出家は、生涯の生き方を決定した最大の転機と言ってよい。
(5)「出家は自己をより十全に生かすための決断であった」
「惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは 身を捨ててこそ身をも助けめ」(いくら惜しんだからといって、惜しみきれるこの世でしょうか。そうではございません。身を捨てて、すなわち出家してこそ、我が身を助けることになるのです)
「身を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人こそ捨つるなりけれ」(出家して身を捨てる人は、ほんとうに捨てているのでしょうか。そうではありません。捨てない人こそ、捨てているのです)
「惜しむとて」は『玉葉和歌集』に西行法師の名で、「身を捨つる」は『詞花和歌集』に「読人しらず」として採録された。
前者は詞書によれば、出家に際し鳥羽院に挨拶した歌、後者は具体的な詞書が付されていないが、同様の心境を詠じた歌と推定されるものである。
これらの歌によって、出家は西行にとって、自己をより十全に生かすための決断であったことが知られる。
西行の「剛毅な一面」
写真 「願はくは花の下にて春死なむ」――どうすれば西行のように清々しく生きられるのか。出家の背景、秀歌の創作秘話、漂泊の旅の意味、桜への熱愛、無常を乗り越えた「道」の思想、定家との意外な関係、芭蕉への影響……偉才の知られざる素顔に迫る。西行一筋60年、西行歌集研究の第一人者がその魅力を語り尽くす決定版 『西行 歌と旅と人生』
(6)「自分の行動が理解されなくとも、信じる道を行くゾ」
「世の中をそむき果てぬと言ひ置かむ 思ひ知るべき人はなくとも」(世の中に背を向け、出家したと言い置こう。たとえ自分の心を充分に理解してくれる人がなくとも)
これも出家した折に、ゆかりのあった人に、言い送った歌だという詞書が付されている。「思ひ知るべき人」は、ゆかりのあった人よりももう少し広く、一般性をもった人と解してよいであろう。ここにはたとえ自分の行動を理解してくれる人が無くとも、敢然として信じる道を行くという強い決意が表明されている。
(7)「西行の意志的な剛毅な一面が本質的な部分を形成している」
西行は、月に向って一晩中涙を流すような、いわば女房文学の系譜に連なる性格をもつ歌も詠じているが、他方、こうしたきわめて意志的な、剛毅な一面も持っていたのである。
というより、西行の生涯を俯瞰(ふかん)すれば、後者がむしろ本質的な部分を形成していることが知られる。
小林秀雄の「ちゃぶ台返し」
(8)「西行が忘れようとしたことを彼とともに忘れよう 小林秀雄」
出家の理由について、西行自身は明確に語ることをしていない。その事実をもう一度確認する必要があろう。
西行は、出家の事情の核心についても、精神の最深部に属するがゆえに、他に漏らすことをむしろ意識的に避けたのではなかろうか。
そうであるとすれば、もともと他人による詮索は不可能であって、上述した出家の理由も、あくまで一つの推測にしかすぎないことになるのである。
これからも西行の出家の理由を追求する論文は出されるが、それを突き止めることなど不可能であると思われる。
出家の理由などは、それこそ西行自身に聞いてみるしかあるまい。
(小林秀雄が『無常といふ事』)
「彼(西行)が忘れようとしたところを彼とともに素直に忘れよう」という評言が、この問題に対する態度としては、もっとも的を射ているようである。
※本記事は、寺澤行忠『西行 歌と旅と人生』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。
デイリー新潮編集部
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