【京都市長選】京都市長に松井孝治氏が当選 共産党支援の福山和人氏ら破る(24年2月5日 newsYahoo! 京都新聞)

 

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(1)任期満了に伴う京都市長選

4日投開票され、無所属新人で自民党、立憲民主党、公明党、国民民主党が推薦する元内閣官房副長官の松井孝治氏(63)が、共産党が支援する弁護士の福山和人氏(62)ら新人4人を破り、当選した。

 

写真 当選を決め笑顔を見せる松井さん(4日夜、京都市中京区)

 政党や団体の分厚い支援を受け、現職の門川大作氏(73)の退任に伴う16年ぶりの新人対決を制した。

 

(2)日本維新の会などが告示直前に政治資金パーティーを巡る問題を理由に元市議村山祥栄氏(45)の推薦を取り消し、主要政党レベルでは1993年選挙から9回連続の「非共産対共産」の構図となった。

 

(3)松井氏は第2子以降の保育料無償化や市バス・地下鉄の「市民優先価格」創設などの公約を掲げ、通商産業省(現・経済産業省)官僚などを務めた経験から「実現には国や府とのパイプが必要」と訴えた。

 松井氏は京都市出身で東京大卒。2001年から民主党参院議員を2期12年務め、現在は慶応大教授。

 

(4)市長選には元自民京都府議の二之湯真士氏(44)、諸派新人で事業家の高家悠氏(35)も立候補した。

各候補の得票(敬称略)

 

 松井 孝治 177454

 福山 和人 161203

 村山 祥栄  72613

 二之湯真士  54430

 高家  悠   2316

 

■松井孝治  ウィキペディア

京都市生まれ[1]。洛星高等学校、東京大学教養学部教養学科(国際関係論専攻)卒業。東大在学中、国家公務員上級職試験に1位の成績で合格し、大学卒業後の1983年、通商産業省(現:経済産業省)に入省。

1994年から内閣官房へ出向して内閣副参事官を務め、羽田・村山・橋本の各内閣を支える。

村山談話の起草や、橋本龍太郎首相が推進した「橋本行革」の発案にも携わった。

その後通商産業省大臣官房総務課課長補佐を務め、アジア太平洋経済協力(APEC)や日米半導体問題の実務責任者を務める。

その後行政改革会議に通商産業省から出向。2000年12月、通商産業省を退官。

2001年、第19回参議院議員通常選挙

 民主党公認で京都府選挙区から出馬。落選。

2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙

 民主党は議席激減で、代表の岡田克也は引責辞任。代表選挙では前原誠司の推薦人となり、前原は菅直人を2票差で破り、代表に就任する。

前原執行部では総合政策企画会議の事務局長を務め、政権構想の作成を担当した。

同年、政策シンクタンク「公共政策プラットフォーム(プラトン)」の立ち上げに尽力した。

2007年の第21回参議院議員通常選挙

 民主党への追い風に乗り、自由民主党の西田昌司(西田吉宏の息子)を上回る得票数で、京都府選挙区でトップ当選を果たした。同年9月、民主党「次の内閣」のネクスト内閣府担当大臣に就任し、松本剛明民主党行政改革調査会長の下、事務局長も務める。2008年の国家公務員制度改革基本法案の審議に際しては、民主党による対案の作成及び同法案与野党修正協議の実務を担当し、修正合意の作成に尽力する(自由民主党側の実務担当者は林芳正参議院議員、宮澤洋一衆議院議員)。同法案は同年6月に成立した。

 

2009年、鳩山由紀夫内閣で内閣官房副長官に就任。

 鳩山由紀夫首相の所信表明演説、施政方針演説の執筆をはじめ、新しい公共円卓会議の設立、寄附所得控除制度の創設、各種閣僚委員会の設置や副大臣会議の運営に尽力した [6]

2010年6月、鳩山内閣総辞職により官房副長官を退任。

2011年9月、野田佳彦執行部で民主党総括副幹事長に就任。翌年1月から民主党筆頭副幹事長を務める。

2012年7月、政界を引退する意向を表明。引退後は、慶応大教授を務めている[8]