「すまん、おかん死んでくれ…」 老老介護の末、認知症91歳母を手にかけた69歳男の孤立(24年2月2日 産経新聞オンライン無料版)

 

記事(弓場 珠希 喜田 あゆみ)

写真 自殺を図った男が取り押さえられた海岸=兵庫県明石市

 

(1)「すまん、おかん死んでくれ」。

昨年5月、同居する認知症の母親=当時(91)=の首を絞めつけて殺害した男(69)が兵庫県明石市の海岸で自殺を図った。

兵庫県警の警察官に発見され一命を取り留めたが、妻に先立たれ、金銭的にも困窮した末の無理心中だった。孤立感を深め、周囲に助けを求めることなく人生を悲観し、無理心中を選択した男。老老介護の果てに起きてしまった悲劇は防げなかったのだろうか。

 

(2)昨年5月31日未明、雨が降りしきる明石市内の大蔵海岸。

「雨の日なら釣り人はいないはず」。あえて雨予報の日を選んだ男は浜辺に座って、あらかじめ用意した刃物で自らの左手首や首を数回ずつ切りつけた。

親族から連絡を受けて男の行方を捜索中だった警察官が近づいてくるのに気付き、海に飛び込もうとしたところを取り押さえられた。

 

(3)男は、神戸市垂水区で同居する認知症の母親を殺害したとして殺人罪に問われた。

昨年11月28日、神戸地裁で裁判員裁判の判決公判が開かれ、松田道別裁判長は法定刑の下限を2年下回る懲役3年の実刑判決(求刑懲役5年)を言い渡した。

 

(4)松田裁判長は判決理由で、落ち度のない母親の命を一方的に奪ったことは、人の生命を軽視した犯行と断じつつ、「被告人なりに周囲のことを思って決意したもので、犯行に至る経緯や動機には同情の余地が大きく、非難の程度を軽減すべき」と結論付けた。

 

妻の死「そばに行きたい」

 

(5)男は自分を育ててくれた愛すべき実の母親を、なぜ自らの手であやめねばならなかったのか。

その理由を探ると、妻の死後、孤立感を深めていった男の当時の状況に行き当たる。

判決によると、男は昨年5月30日夜~31日未明の間、自宅で、両手で母親の首を絞めつけ、頸部(けいぶ)圧迫によって窒息死させた。

(以下有料記事)

 

■2006年2月1日、京都の桂川で54歳の息子が86歳の母を殺害

「第1節 家族主義

わが国伝統の「孝」や家族主義は進歩に取り残された遺物という見方もあるが、福祉国家や日本型福祉社会は「孝」とは両立不可能なのであろうか。

2006年2月1日、京都の桂川で54歳の息子が86歳の母を殺害し自分も死のうとしたが未遂に終わった。3人家族だったが父親の病死後、母親が認知症となり頻繁に夜間徘徊するようになった。長男は介護のために仕事を休職し収入が無くなり、生活保護を申請したが休職を理由に認められなかった。母親の症状がさらに進み、止むなく退職。再度の生活保護申請も失業保険を理由に拒否された。母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたがやがて家賃などが払えなくなった。その日、パンとジュースで最後の食事を済ませ、思い出のある河原町界隈を母親の車椅子を押しながら歩きまわり、やがて死に場所を探して河川敷へ行った。息子が「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」というと、母親は「そうか、あかんのか」「一緒やで。お前と一緒や。」そして、すすり泣く息子に「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」といった。それを聞いて長男は母親の首を絞めて殺害し、自分も近くの木で首を吊ろうとしたが落下して意識を失った。法廷では息子は「もう一度母の子に生まれたい」と供述した。

ところが2015年に新聞記者が執行猶予のついた息子を探したが行方不明、そして琵琶湖大橋から投身自殺していたことが判明した。所持金は数百円で「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が小さなポーチから見つかった。(「地裁が泣いた介護殺人」デイリー新潮、2017年1月27日 http://www.dailyshincho.jp/article/2016/11161130/?all=1。

こうして親から「自立」できずに親の介護をやろうとした「孝」がひとつ消えた。(岸・増田『社会保障の保守主義 増補改訂版』)

<私見:どうしてこうなるのか。

これは最近、「京都市はこのままでは財政破綻だ」といっていた京都だからなんだろうか。国が冷たいからか、福祉事務所が冷たいからか、市役所が冷たいからか、たまたま担当者が冷たかったからか、地域社会が冷たいからか、隣人が冷たいからか。

それとも、「孝」を捨てられず、母親から離れられなかった「子」がやさし過ぎたからか、「子」を親不孝にしたくなかった「親」がやさしすぎたからか。こういうとき社会福祉では「母子関係」という言葉を使い、「親離れ、子離れ」ができなかった家族といって、一刀両断することもある。

いまは、親も子もとっとと「家族から自立」することを支援し、「親孝行」は支援しない社会なのかも知れない。それが「進歩」で「リベラル」の社会だから?>」