能登地震で派遣された自衛隊が向かう先は…幹部「助けを求める声すら上げられない、そこにこそ行く」(24年1月27日 読売新聞オンライン無料版)

 

記事(社会部デスク 高沢剛史)

 

(1)「穏やかに新年をお迎えのことと思います」。元日の夕方、自衛隊関係者に年賀のメールを送った直後、テレビから緊急地震速報が流れた。

午後4時10分、石川県能登地方で最大震度7を観測する地震が起きた。「一寸先は闇」。多くの人がそんなことを感じた年の始まりだったに違いない。

 

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被災地はいくつも山を越えた先、対応は手探りだった

 

写真 輸送艦「おおすみ」から大型ヘリ「CH47」に積み込まれた物資(1月9日、能登半島沖で割田謙一郎撮影)

 

(2)能登地震に対応している自衛隊幹部から以前、こんなことを聞いた。

「助けを求める声が寄せられる地域はまだいい。我々が本当に注意しなくてはならないのは、悲鳴すら上げられない、完全に孤立した地域だ。自衛隊は、そういう場所にこそ向かわなくてはならない」

 

(3)「空自40人だけ 東日本大震災や熊本地震(16年)と比べて際立って足場が悪かった」

今回の地震は、三方を海に囲まれた能登半島の北端にある輪島市や珠洲市が甚大な被害を受けた。

半島の付け根から見た場合、被災地はいくつも山を越えた先にある。そこに向かう道路は土砂崩れなどで潰されている。

スマートフォンは満足につながらず、肝心の自治体も被害を把握できない。

半島にある自衛隊の拠点は、40人の隊員がいる空自の分屯基地だけだ。

被災地のすぐそばに、陸自の大部隊が駐留していた東日本大震災(2011年)や熊本地震(16年)と比べて足場の悪さは際立っていた。

 

(4)真冬の太陽は沈み、能登半島は酷寒の闇に包まれた。

どこで住民が下敷きになっているか、水や食料を求める人は何人いるのか――。自衛官トップの吉田圭秀・統合幕僚長は1月11日の記者会見で、「孤立地域が非常に多く、それを自分たちで見つけて掌握しながら、人命救助と生活支援を並行して実施した」と語り、手探りの対応だったことをにじませた。

 

歴戦の輸送艦「おおすみ」が能力を発揮

 

(5)「海自の輸送艦「おおすみ」海上からアクセス」

地上からのアクセスが困難な場所で、最大限の能力を発揮したのは海空の部隊だったと思う。その象徴が海自の輸送艦「おおすみ」だ。

東日本大震災など国内の災害に加え、フィリピンの台風被害支援(13年)やトンガの火山災害(22年)などの国際緊急援助活動に参加した「歴戦」の艦だ。

 

(6)母港の呉基地(広島)から能登半島の北端までは、海路でざっと1000キロも離れている。

おおすみは

 1)呉を緊急出港し、

 2)舞鶴基地(京都)に立ち寄り、道路を切り開く重機を載せた。

 3)全長178メートルの巨体が輪島沖に姿を現したのは、発生から3日後の朝だ。

 4)おおすみは艦尾からエアクッション艇「LCAC」を発進させ、油圧式ショベルやダンプ、ブルドーザーを砂浜に揚げていった。

 5)金沢港まで戻って水や食料を積み込み、再び輪島沖に進出。

 6)そのまま「海上基地」となり、ヘリが行き来し、各地に物資を空輸した。 

 

(7)「山がちの半島の先端という救助が困難な場所へ向かった」

社会部記者も、珠洲市内の臨時ヘリポートから、おおすみに向かうヘリ「CH47」に同乗し、物資輸送を取材した。

離陸から約50分後、荒れる日本海の波をかき分け、艦体を上下に揺らして進む姿が見えた。CH47が着艦すると、おおすみの乗員ら約20人が、手際よく水や食料が入った段ボール箱を操縦席のすぐ後ろまで積み込んだ。

 

写真 輪島市の沿岸部で活動する「LCAC」。重機を搭載し、砂浜に揚陸する(1月4日、読売ヘリから)

 

 CH47での飛行中、天候は猫の目のように変わったという。往路は雨が降った後、虹が見えた。復路はガスの中を進んだ。

厳しい気象条件の中で空輸された物資は、被災者のニーズを聞き取る自衛隊の「ご用聞き隊」による調整を経て、住民らに届けられた。

防衛省幹部は「今回の地震は、山がちの半島の先端という最悪の場所で起きた。陸海空の力を結集して臨んでいる」と語った。

 

地震だけではない自衛隊の災害派遣

 

(8)「災害派遣で様々な教訓」

言うまでもなく自衛隊の任務は外国からの侵略を排除することで、災害派遣では自治体をサポートする立場だ。しかし、自然災害が起きるたびに力を高めてきた。今回も様々な教訓が得られるだろう。

例えば、

 多数の原子力発電所を抱え、北朝鮮に面しているにもかかわらず、北陸3県を守る陸自の普通科連隊は金沢駐屯地に配備された一つしかない。

 南西地方の防衛力を強化する中で、北陸の部隊を増強することは現実的ではないかもしれない。

 ならば一層、自治体との連携強化が必要になると思う。

 

今回は2020年から配備された輸送機「オスプレイ」14機を投入する選択肢は最初から排除された。米軍所属機が事故を起こし、飛行を見合わせている事情はある。

それでも国民の目線に立てば、装備を最大限に活用できないことは割り切れない思いが残る。

 

(9)「ただし、ここに書き留めておきたいこと」

元日から始まった災害派遣は能登地震だけではない。

群馬県高山村で鳥インフルエンザが発生し、県知事からの要請を受けた陸自の約260人が1~3日、ニワトリ約12万羽の殺処分にあたった。

震災の陰で、こうした活動も整斉と行われているのだ。

 

(10)「輸送艦の名は各地の半島に由来」

ところで、おおすみには、「しもきた」「くにさき」という姉妹艦がいる。

そう、輸送艦の名は各地の半島に由来しているのだ。

以前は「のと」という艦もいたが、すでに退役している。

おおすみの後継として、再び「のと」という名を与えられた輸送艦が登場し、復興した能登半島の港を親善のため訪れるかもしれない。密かにそんなことを思う。