(14日)上野通子首相補佐官が辞表提出 「連帯責任として身を引くのは当然」(23年12月14日 産経新聞オンライン無料版)

 

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写真 岸田首相へ辞表を提出し、記者団の質問に答える上野通子首相補佐官=14日午前、首相官邸(春名中撮影)

 

(1)上野通子首相補佐官は14日、自身が所属する自民党安倍派(清和政策研究会)のパーティー券をめぐる裏金疑惑を受け、辞表を提出した。

 

(2)記者団の取材に応じた上野氏は「安倍派の一員として、連帯責任ということもあるので、私が身を引くということも当然であると実感している」と説明した。

 

(3)自身の政治資金に関しては「安倍派の一人として、今は何も話せない状態だと思う」と語った。

 

■上野通子 ウィキペディア

来歴

写真 2023年、内閣総理大臣補佐官就任時に岸田文雄と

 

栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮市立昭和小学校、宇都宮大学教育学部附属中学校、栃木県立宇都宮女子高等学校、共立女子大学文芸学部卒業[4]

1981年4月、親族が経営する文星芸術大学附属高等学校(旧・宇都宮学園高等学校)に勤務。

1985年4月より、宇都宮文星女子高等学校に国語教師として勤務した[5]

1997年に渡英し3年間日本語講師を務めた後、2000年に帰国、文星国際交流センター長に就任した[6]

2003年4月13日、栃木県議会議員選挙に無所属で出馬し当選[7]。県議会児童・高齢者虐待問題対策特別委員長、農林環境委員長など歴任した[6]。2007年4月8日の県議選には自由民主党公認で出馬し2選[8]

自民党栃木県連初の公募を経て[9]、2010年7月11日の第22回参議院議員通常選挙に自民党公認候補として栃木県選挙区から立候補。民主党現職の簗瀬進を僅差で制して初当選した(上野:324,790票、簗瀬:319,898票)[10]

2013年9月30日、第2次安倍内閣で文部科学大臣政務官に就任(2014年9月、退任)[9]

2016年7月10日の第24回参議院議員通常選挙で野党統一候補の田野辺隆男を約17万票の差をつけ破り再選 (上野:484,300票、田野辺:314,401票)[11]

2017年11月9日、清和政策研究会(細田派)に入会[12]

2022年7月10日の第26回参議院議員通常選挙にて414,456票を獲得し、2位以下に大差をつけて三選を果たす[13]

2023年9月13日、第2次岸田第2次改造内閣が発足。9月15日付で内閣総理大臣補佐官(女性活躍及び高齢者・消費者対策担当)に就任[14]