春秋(23年11月28日 日本経済新聞電子版)

 

記事

 

(1)「恬淡(てんたん)」は日本人好みの態度の一つだろう。

心がやすらかで無欲なこと。あっさりしていて物事に執着しないさま。広辞苑の説明も恬淡としている。お金、名誉、権力――。取りつかれたら身を誤る魔物が跋扈(ばっこ)する俗世間を、くぐり抜けてこそ達する境地といえようか。

 

(2)▼和辻哲郎は「風土」のなかで、日本人の国民性を激情と恬淡の二重性格とした。

台風のような突発的な感情が明治維新をよび、大雪を忍ぶ諦念が淡泊に命を捨てる突撃を生む。その象徴が桜だという。慌ただしく華やかに咲きそろうが、執拗に咲き続けることなく、恬淡と散る。そんな姿を美徳とする政治家は少なくない。

 

(3)▼岸田首相もその1人なのだろうか。

内閣支持率が下がり続けるなか、この日も淡々と国会答弁に臨んでいた。来年の夏ごろに物価高が落ち着けば支持率も戻ると踏んでいるのかもしれないが、近年、権力に執着する首相に慣れた世論は、恬淡とした首相に戸惑う。来年9月の総裁選で、お役御免を願う向きが半数を超えた。

 

(4)▼思えば、岸田さんの宏池会には「権力の行使は抑制的に」をよしとした先達の顔が浮かぶ。ただ、和辻に言わせれば、日本人の恬淡さは、突発的な高揚と背中合わせの「戦闘的な恬淡」である。恬淡だった先達も、最後に衆参同日選や自民党下野といった動乱を呼んだ。岸田さんの恬淡さに背筋が凍る場面はあるやなしや。