私の履歴書 黒田東彦(7) 英国留学 エコノミスト誌に投稿 ハロッド卿と寮で議論(23年11月7日 日本経済新聞電子版)

 

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大蔵省秘書課の勤務を終え、人事院の在外研究員として1969年6月から2年間、英国に留学した。江田五月東京地裁判事補(後の参院議長)や林康夫通産省事務官(後の中小企業庁長官)ら合計6人の英国留学組がヒースロー空港に入った。

 

 

 

オックスフォード大で学んだヒックス名誉教授の金融論は今も有益となっている

ところが、迎えてくれるはずのブリティッシュ・カウンシルの人がいない。やむなく6人で語学研修を受けるケンブリッジに向かった。ケンブリッジ駅で別れ、下宿先の家に行ったが、誰もいない。困惑していたところ、家の夫人が戻ってきてほっとした。

 

ケンブリッジのベル・スクールという語学学校の授業は午前中だけだった。あとは江田さんや林さんとパブで食事したり、ケム川で舟遊びをしたりして楽しんだ。

そんな時にベル・スクールで読んだ「エコノミスト」誌に、オックスフォード大で67年まで経済学を教えたロイ・ハロッド卿の論考が載っていた。大いに興味を持った。

 

総需要が供給能力を超えて大きい場合、需要を減らせば物価を抑制する傾向を持つ。だが総需要が供給能力を下回る時は、少なくとも先進国では「需要削減は物価を引き上げる方向に働く」という主張である。

当時は「ハロッドの二分法」と呼ばれ、説得力を欠くと批判されていた。

 

だが私は、ハロッド卿の主張にも一理あると考えた。投稿を思い立ち69年8月23日の英エコノミスト誌に英文の私見が載った。

「経済が供給能力のはるか下まで抑圧されるなら、物価抑制傾向が支配的になることも認めなければならない」。前置きした上でこう続けた。

総需要を横軸、物価水準を縦軸として曲線を描けば、全体としては右上がりになる。だが、供給能力の少し下の部分に注目すると、ハロッド卿が主張したような、例外的に右下がりの総供給曲線が見いだされる。「この部分を、私は『ハロッドのねじれ』とよびたい」と論じた。

 

その後、語学研修を終えてオックスフォード大に移った。70年10月24日号のエコノミスト誌に再び投稿した。「少なくとも朝鮮戦争以降の51~67年に、物価上昇率と経済成長率はおおむね負の相関関係にある。このような『ねじれ』は、ハロッド卿の主張のように、規模の経済などから生じている」と記したのだ。

 

この直後のことだ。私の通うウースターカレッジの大学院寮の私の部屋に、突然、ハロッド卿が現れたのである。

ケインズとも親しかった彼は、やせた背の高い英国紳士だった。

部屋に招くと帽子を取って椅子に腰を下ろし、私の2度目の投稿について語りだしたのだ。内容はほとんど覚えていない。だが、東洋から来た一留学生とも議論する知的な誠実さに感動した。

オックスフォード大ではジョン・ヒックス名誉教授の金融論に関するゼミが極めて面白かった。20名ほどの大学院生や講師が週に1回集まり、ゲストスピーカーの話を聞いて議論し、ヒックス氏が結論を述べる。

 

英中央銀行、イングランド銀行理事の金融政策に関する説明を受けた日。議論のあと、ヒックス氏が「イングランド銀が公定歩合をわずか0.5%引き上げただけで、景気過熱が止まり、物価上昇に抑制的に働く。そこには『必要があればいくらでも金利を上げる』という中央銀行の決意が示されているからだろう」と語った。

 

金融政策でのコミットメント(約束)の重要性を述べた指摘は、半世紀後にはからずも日銀総裁となった私にとって、これほど有益なものになるとは思いもしなかった。

(前日本銀行総裁)