明日はB型就労支援の見学なので、本来は明日が精神科の診察日なのですが、今日薬を貰いに行った。そして、デイケアも1日居た。
代診の先生にこんな仕事が本当はしたい!
と告げると
先生の息子ちゃんはインターナショナルスクールへ行ってて、でも心臓が悪いそう。
そして、インターナショナルスクールの放課後のデイサービスを使ってるという。
まさにそれに応募したのですが、車の運転はできないからと話すと、
『うちの子は電車での通学で学童保育を受けさせているから、子供好きならその手の仕事沢山ありますよ!』と教えてくれた。
たまたまなのに良い情報を聞いた。
車でなくても電車でも学童保育の送り迎えをやっているという。
先生ありがたい。
ポストイットにネーミングまで書いてくれて、嬉しそうに話してくれた。
『お子さん好きなのですか?』
もう大好きなんです。特にインターなら楽しいしと話した。
是非やって欲しいと言われてどこに何が転がっているかわかる無いものだ。
ありがとう先生。
そして、デイケアにいたら、
大阪○○大学を卒業して、初めて勤めたところが合わずに辞めて障害者雇用で会社を渡り歩いてる若者が、自分の今度インターンシップのIBMに行くのにプレゼンの資料を作っていた。
そこにスタッフが添削していたが、
精神科医がたまたま来て、その精神科医は弁護士を目指していたが無理で、行政書士をとって医学部に入るまで仕事をしていたという。
その先生が、彼のインターンシップの書類を添削し始めた。
そこで自分の過去をふと思い出してしまった。つぶしのきかない医大中退。
確かにそのインターンシップの彼は最近仲良くしてるのだが、発達障害がバリバリののが、近くにいるとわかる。
自分の思いを文章化するのが、言葉にするのがとても下手くそなのだ。
彼なりの特徴だ。
そのふたりのやり取りをそばで聞いていて、『どこでもいいから大学ぐらい行かせてもらいたかった』と振り返ってしまった。
杏林、東海大、聖マリの医学部は特待生で入ったが、親には良かったね!おめでとう!嬉しいね!とはいかなかった。
発表を見て帰ってきて喜んでいたら、
親父に殴られた。のを思い出した。
『受かって当たり前、受かっても行かさない、最低東邦か昭和だ!』と特待生なのに行かせて貰えなかった。
東邦にも昭和にも受かったから良かったが、あれ落ちていたら家を追い出されていた。それでも親父は不満だった。
そして、兄貴なんて5流の工業大学をやっと卒業したのに、その兄貴から
『お前は大学も出ていない!高卒だ!』
とバカにされていた。
医者崩れめ!と会う度に言われていた。
両親はそれほどまでに兄貴が可愛かったのだろうか?今となってはよく分からない。
そこが摩訶不思議なことろ。
最後まで両親もその周りも兄を頼っていたが結局金持って逃げた。
人間ではない!!!
いったい何の家族だったのか?未だに不明だ。もう、解き明かせないが。。。
そんなことを思い出したら少し凹んだ。
インターンシップを受ける彼のように生き生きと生きていたかもしれないと。。。
そんな親父もお袋も結局は僕の世話になって死んでいった。
兄も姉も大学はおろか、面倒も見なかったのに。と悔しかった。
まー、それでも家に帰ってきて立ち直ってこうしてブログで吐き出している。
これで良いのだ。
そう思って、秋篠宮の育ての親の愛育会の元お茶大の教授に電話して気が済んだ。
それにしても普通に慶応とか行っていたらどうなっていただろう?
慶應と言わずとも六大学に。
歩けることに感謝して生きていくしかない。

