今日デイケアにてインフォメーションがあった。

併設の病院と合わせて

『私たちは、どんな地図が描けるだろう』

というテーマの1人10分から15分の登壇しての話し会を来年1月末にやるという。

僕は興味を示した。

そして、担当のPSWがやってきて説明をしてくれた。

やってくれる人、登壇してくれる人がいなくて困ってたんですよ!と。

そのPSWとは僕がデイケアに通い出してから2年ほど経ってから勤めだした男性。

一人でいるところをちらっと見ると


浅田彰の『構造と力 ―記号論を超えて』

なんてのを読んでいたりする。

ファッションには鋭く、ヘアスタイルにも敏感でその方は病棟の方にいるのだが、
たまにデイケアにやってくる。

そして、彼独特のプログラムを組み立てて主催したりする。デイケアでは異色の人。


なので、面白いと思ったのだ。

むしろ、僕はなぜ?このようなことをやらないのか?を予てから思っていた。

その人それぞれの病気に至るまでの人生観とその後の人生観やらを少人数の中で良いから話したりとか。。。

まー、デイケアの人はやらないね。



『支援との出会いの物語』を集めてそこに流れる心の動きや選択のプロセスをひとつの地図としてまとめるプロジェクト』

だという。

大賛成だった。

エピソードをいくつか書いてみてそのストーリーを6話話して欲しいので、この紙に○○さんのこの病院に関わってからの入院やデイケアや病気との向き合い方や人間関係なんでも盛り込んで書いて欲しいと言われた。

この病院に最初に関わったのは
2011年東日本大震災の年の秋だったと思う。東日本大震災の時はデイサービスに勤めており、その支店が仙台にあったので志願して悪路をハイエースで行ったのだ。

そしてあくまでも仕事をしてるうちは精神科にはかかっては行けないというバイアスがかかっていたのだ。

2011年として、あ!主治医にカルテを見て教えてもらえばいいだけだ(笑)

で、話を戻すとエピソードは腐るほどある。有り余ってる。当時はウツウツ君というブログで人気だったなー。懐かしい。

担当のKさんが、○○さんならエピソード事欠かないねと笑う。


6枚では足りないだろうから、10枚コビーして渡しますね!

あくまでも内容が飛ばないようにエピソード事に話したい。

・初診と入院の時期
・デイケアに毎日通い出す時期
もう目がイッちゃっている時期があった

・1年丸々デイケアに朝九時から夜の8時までいることで社会復帰出来ると頑張っていた時期

・うつ病にプラスしてアスペルガーも確定診断された時

・デイケアの女の同世代の人と知り合い
少しばかり同棲していた時期

・仕事をバイトルで見つけて働き出した時期

・スマホを初めて手にした時期
ガラケーだったのを思い切って変えてみた。友人のすすめだった。貴方には武器になると言われて。

・ブログで知り合った女性とお付き合いし出す時期

・愛に満ちた、支えてくれる人がいた時期

・父が亡くなり一人で葬式をした時期

・母親が亡くなりもう僕はこれ以上のことはできないと思い母親の病院に姉貴にお願いしますと切り離した時期

・8年付き合った遠距離の彼女との別れの時期

・自己肯定化をあげたくてシニアモデルのオーディションを受けてみた時期
足が痛いのに横浜まで受けに行った

結果的に2700人中受かった



・歩けなくなり要介護認定をとり、手術してくれる医師が見つかり、思い切って実行してみた時期

激痛は激鬱を生み出す。その激痛が取れて激鬱は無くなった。

・手術から半年たちリハビリも頑張り
杖だけで歩けるようにまでになる時期

やる気が出てきて働きたくなって一般のアルバイトで働き出した


B型就労支援やA型就労支援には行こうと思ったことはない。