私は自分のことを繊細で傷つきやすい性格だと思ってきたんだけど、
どうやらそれだけじゃなかったのかもな…と最近思い当たることがありました。
私はいわゆる宗教3世と呼ばれる家庭に生まれ、
一歳上の兄を亡くしたこともあり、
今思うと母親の私への干渉はキツいものだった。
毎日のお勤めを欠かさないのはもちろん、
集まりにも積極的に参加する。
クリスマスパーティーや初詣、
宗教的なイベントには参加したことがない。
そうやって模範的な態度をとっていないと怒られるのはもちろん、
無視されるというのはいつものことだった。
そうされるのが辛いからまた頑張ってやるんだけど、
母親やその周りの人から聞く話はずっと私の心に響かなくて、
いつしか私は
「この良さが分からない自分はどこかおかしいに違いない。
私は欠陥人間なんだ。」
と強く思うようになった。
そう思った私が何をしたかというと、
命の核のようなものがあったとして、本当は誰にも、私自身にさえも譲れないものなのに、
それを相手に差し出していた。
私を空っぽにしますから、あなたの言う通りにしますから、
どうか私の存在を愛して下さい。
そんな気持ちだった。
そうやって、私はどこかおかしい人間なんだと思ってたから、いつも正しさは外にあって、
でもどれだけどれだけやってもやっても、
世界のどこかにあるはずだと思っていた愛は、見つけられなくて。
心を明け渡した先にあるのは、
他人を土足で入らせることをゆるした、
自分への悲しみと怒りだった。
だから、小さい頃から自分の存在を問うてきたよ。
悩んできたよ。
ずっとずっと消えてなくなってしまいたいと思っていたよ。
ちょっと湿っぽい話になってしまったけど、
自分の心を明け渡すことで愛を求めてきたからこそ、
自分だけの感覚を大事にする「体感覚メソッド」
を実践した時、心が震えました。
私はこれで良かったんだと、探してたものがちゃんとあったんだと、
震える心がちゃんと教えてくれた。
その積み重ねで、これから私は私の世界を再構築していくんだと、今は思っています。