MBSさんのちちんぷいぷい木曜日のコーナー、楠雄二朗(くっすん)と河田直也アナが、歩いて歴史ポイントを訪れ、現地の人と触れ合うコーナー『昔の人は偉かった』の第14章『百人一首』編の第92・93(94)首のまとめ。

虎視眈々とぷいぷい金曜日出演をもくろむくっすん。その日はいつやってくるのだろうか?

93・94首目は人間誰しも共感できる至極の歌です。


第九十二首 2016年12月01日(木)放送 (77日目)
此のたびは 幣もとりあへず 手向山  紅葉の錦 神のまにまに』 24
by菅家 (かんけ)

 

旅の内容:●奈良市 歌に詠まれた紅葉の名所へ一風変わった姿の秘仏!?大正から昭和に活躍した小説家の旧居へ

 

 

スタートは奈良市・菩提山町 正暦寺。ゴールは奈良市・雑司町 手向山八幡宮。約13.5キロの道のり。

 

午前7:00、奈良市・菩提山町、正暦寺へ向かう坂を紅葉を眺めつつ上りながらオープニング。「おはようございます。」と、くっすんの挨拶は普通。ロケ日の天気予報は、曇りのち雨。『錦の里』と称される紅葉のアーチをくぐり、朝からきつい石段を登ると、正暦寺本堂に到着。お寺の拝観時間は午前9:00からだが、特別に拝観させていただく。

 

992年に創建された正暦寺で、特別公開中の秘仏(年3季御開帳)である御本尊を、ご住職の案内で拝観する。国の重要文化財に指定されている本尊・薬師如来倚像は、白鳳時代(645~710)の作とされ、像高38cm。四角い台座に腰をかけている姿が特徴で、数々の仏像を拝観してきた河田アナ・くっすんでさえ、お目にかかったことがない。お釈迦様の説法する姿を表しており、当時の日本では椅子等に座る文化がなかったので、馴染まず、ほとんどこのタイプの仏像は作られなかったという。

「また、小ぶりだから持ち運びも便利そう。」とくっすんの率直な意見に、「持ち運ばないでしょう、ご本尊なんですから・・・。」と河田アナが返す。すると、ご住職の口から「持ち運びが便利だったので、(戦火を免れて)助かったんです。」と語られ、くっすんはしてやったりとガッツポーズをとる。

 

午前8:20、空模様を心配しつつ、正暦寺から山道を下る。

スタートから2.5キロ、朝早くから車のガレージを利用して、果物・お米・野菜・おかき等を販売しているお店に立ち寄る。果物は市場で仕入れているが、お米や野菜は作っているものもあるとのこと。機械を使わず手で押し切りして作る、自家製おかきを試食させてもらう。「カリッとした瞬間、クラクラっときますね。」とのくっすんのコメントに、河田アナは病院へ行くことを勧める。

 

お店の隅のスチールラックには、お客さんからいただいたという巨大スズメバチの巣が鎮座している。蜂が巣を出入りすることから、商売繁盛の縁起物として飾られている。

河田アナはせっかくだからと、歯応え満点の自家製おかきを購入する。

 

午前9:20、「くっさんでっしゃろ?」と、ウォーキング中の79歳の女性に出会う。

女性と別れた後、くっすんと河田アナは、「くっさん」と名前を度々間違えられる件について話し合う。河田アナは「ぐっさん (山口智充さん) 」と混じってるんかな?」とコメントし、くっすんは「多分くっすんに、くっすんさんていうのもなんやから、くっさんになってんのかな。」と見解を示す。

 

午前9:50、スタートから5キロ、子授け・安産にご利益のある帯解寺(おびとけでら)に到着。780年ごろに勤操(霊松庵)によって建立されたとされる。

平安時代、子宝に恵まれなかった文徳天皇は神のお告げを受けた。お告げにしたがい、后(藤原明子)が帯解寺を参拝すると、文徳天皇との間に子供(惟仁親王)を授かった。文徳天皇はたいそう喜んで、無事に赤子を出産し腹帯が解けた寺ことで、寺号を帯解寺に改めたという。

 

2人はご住職に案内してもらい、弘法大師が彫ったとされるご本尊・地蔵菩薩半跏像(国の重要文化財)を拝観する。お腹に巻いている腹帯がチャームポイントで、腹帯地蔵の愛称で親しまれている。

江戸時代には、江姫(二代将軍・徳川秀忠の正室)が地蔵様に子授け祈願し、竹千代(三代将軍・徳川家光)を授かった。さらに家光の側室・お楽の方も祈願し、四代将軍・家綱を授かったという。

昭和34年、当時の皇太子妃・美智子さまがご懐妊の際、腹帯を献納された。その後、皇太子妃・雅子さま、秋篠宮妃・紀子さまがご懐妊の際にも、腹帯を献納されたとのこと。

 

午前11:20、スタートから7キロ、くっすんが足繁く通っている丸亀製麺(奈良店)にて昼食。河田アナは『カレーうどん(温玉のせ)』にオプションの天ぷら(えび・かしわ)を、くっすんはいつも注文しているという『釜あげうどん』に天ぷら(野菜)を食べる。くっすんのお行儀の悪いかき揚げのかじりつきに、「ホントに汚らしい食べ方するね。」と河田アナがあきれる。

 

スタートから9キロ、2016年11月5日(土)に奈良県主催で開催された『おでかけ健康フェスタ』でくっすんをお見かけしたという、ご夫婦に出会う。くっすんはその講演会?で、河田アナを話しのネタにつかい、300席満席でしたと得意げに語る(実際は200席)。むかえらで歩いて「すごく健康になった。」と講演会で言っていたくっすんに、普段は微塵もそんなことは言っていないと、疑惑の目を向ける河田アナ。「しんどいとか、調子悪いとか、付け根がとかずっと言ってる・・・。」とばらす河田アナに、奈良県から仕事のオファーが来なくなるとあせるくっすん。くっすんのとにかく歩いたら健康になるという話しに感化されて、ご夫婦も毎日1万歩以上歩いているとのこと。

 

スタートから11.5キロ、仲睦まじい女3世代・7か月の赤ちゃんとお母さんとおばあちゃんに出会う。自分の子供より孫の方が可愛く感じるという世間一般的な考え方について、河田アナがおばあちゃんに聞いてみると、そういうときもあるけれど「でもやっぱり1番(可愛いのは)は娘かな・・・。」と愛ある言葉をいただく。ステキな親子愛に感動する2人であった・・・。

 

午後2:10、スタートから12キロ、志賀直哉旧居に到着。志賀直哉(1883~1971)は大正から昭和に活躍した小説家で、66歳で文化勲章を受章した。代表作の『暗夜行路』を書き終えた場所が、この豪邸である。

 

館長に案内していただき、志賀直哉自身が設計したという、20もの部屋がある旧居の中を見てまわる。年間来館者は2万人ほどで、今でも多くの志賀直哉のファンたちが、聖地としてこの家を訪れる。

当時、直哉の小説は売れに売れ、敷地430坪もある豪邸を建てうるだけの資金があったとのこと。友人の紹介で、家族8人でこの地に移り住んだ直哉は、昭和4年から13年までこの豪邸で過ごした。その後空き家となり、解体の話しもあったが、奈良学園が保存のために買い取り、復元修理して現在一般公開されている。

 

直哉の書斎を拝見すると、庭園を望む立派な窓が作ってあり、立派な机が置いてある。書斎にて意味深にくっすんが、「僕すごい発見したことあるんです。」と切り出す。「(志賀)直哉さんのお家に、(河田)直也がやってきた。ダブルなおや・・・。」というくっすんの大発見に、河田アナは返す言葉が見つからなかった。

 

午後3:20、ゴールを目指し歩くこと1キロ、東大寺の参道へ入る。鹿を見つつ東大寺南大門をくぐり、東大寺への参道から東に進む。

 

鳥居をくぐって、紅葉を眺めつつ200メートルほどゆるやかに坂を上り、

午後3:50、スタートから13.5キロ、ゴールの手向山八幡宮に到着。749年に東大寺の守護神として、鏡池周辺に創建された。その後1250年に、北条時頼によって現在の場所へ移された。

境内には、学問の神様・菅原道真が詠んだ百人一首の歌碑がある。歌碑の前には腰掛石があり、その石に座って詠んだという歌がこちら・・・

 

此のたびは 幣もとりあへず 手向山  紅葉の錦 神のまにまに』 by菅家

訳:今回の旅は急なことで 神様に奉げる幣も 用意できませんでした その代わりに手向山の紅葉を奉げるので 神よお心のままに お受け取りください

 

898年10月頃、菅原道真が宇多上皇の御幸にお供して、奈良の吉野へ向かう道中、この場所であまりにもキレイな紅葉を見て詠んだ歌。

 

歌碑の前で、宮司さんにお話しをうかがう。

当時の身分の高い者は旅に出かけるときに、(ぬさ)を錦の袋に入れて携帯していた。幣は旅の無事を祈って神さまに奉げるもので、紙・麻・木綿などを用いる。歌の中の幣は、おそらく切幣で、四角く細かく切ってある。

 

受験シーズンには、多くの受験生が学問の神様のご利益にあやかろうと、腰掛石にやってくるとのこと。くっすんも、頭が良くなりますようにと腰掛けてみたら・・・お尻が濡れた。ところが、くっすんが座った腰掛石は、明治になってから観光でやってくる人のためにと、座りやすい新しく据えた大きな石で、道真が座った本物の腰掛石は、その脇にあるゴツゴツとした座りにくい石であることが判明した(後で本物の腰掛石に座った)。真のご利益を得るなら、ご注意あれ・・・。

 

■簡易チャート

スタート: 奈良市・菩提山町 正暦寺 帯解寺 (5km) → 大覚寺 (5km) → 昼食: 丸亀製麺(奈良店)  → 志賀直哉旧居 (12km) →  ゴール: 手向山八幡宮 (13.5km)

 

 


第九十三首 2016年12月08日(木)放送 (78日目)
ながらへば また此の頃や しのばれむ  憂しと見し世ぞ 今は恋しき』 84
by藤原清輔朝臣 (ふじわらのきよすけあそん)

 

第九十四首

忘れじの行末までは 手向山 難ければ 今日を限りの 命ともがな』 54
by儀同三司母 (ぎどうさんしのはは)

 

旅の内容:●京都・伏見桃山城から哲学の道へ”お麩”の意外な使い道!?仏様が横を向く理由は!?

 

 

スタートは京都市・伏見区 伏見桃山城。ゴールは京都市・左京区 手向山八幡宮。約16キロの道のり。

 

午前7:30、奈良京都市・伏見区の伏見桃山城前からオープニング。くっすんは、後方の石垣の間の道から、「や~」と大声をあげながら刀を持ったていで走ってきて、おはようございますとあいさつする。お城の前なので、侍気分になった・・・。

 

本来の伏見城は、戦国時代に豊臣秀吉が隠居するために築城した。それを基にして造られたのが伏見桃山城である。昭和39年から平成15年まで営業していた遊園地・伏見桃山城キャッスルランドのシンボルとして建てられ、遊園地が閉園した後も京都市民の要望で天守だけ残される運びとなった。

 

午前7:45、通学途中の小学生たちにあいさつする。その中にタンクトップ・半ズボン姿の常夏スタイルの少年を見つけ、あいさつする。一年中その格好で、風邪をひくこともあるそう・・・。

 

スタートから3キロ、鳥居をくぐって境内の長~い直線の参道を歩いて、藤森(ふじのもり)神社に到着。203年に神功皇后によって創建された。平安時代に、軍馬を並べ戦勝祈願したところ、敵が恐れをなして戦わずして勝利したという故事にならい、毎年5月5日に戦場での乗馬の腕を披露する、駈馬神事が行われる。

 

馬と勝運に縁のある神社ということで、有名なジョッキー(武豊さん・ミルコ=デムーロさん)や競馬ファンが祈願に訪れる。また写真っぽい、騎乗したジョッキーの絵馬も奉納されている。競馬ファンに人気のひだりうまストラップには、鏡文字の馬の漢字が書かれており、馬の字を反対にすることで”舞う”という意味を成し、福を招くという。

 

午前9:50、鴨川を越える際、「クワー、クワー。」と、くっすんがカモの鳴きまねをする。

 

スタートから5キロ、線路を越え、JR京都駅の北側に出ると、

シアトルから日本へやってきた母娘に出会う。その昔、お母さんの母はシアトルで英語を教えていて、生徒に多くいた日本人たちから「日本においで。」と誘われたので、7年間ほど札幌や鹿児島に住んでいたとのこと。

娘さんはヴィーガン(動物由来の食べ物を採らない菜食主義者)で、そんな彼女にぴったりな精進料理をお寺に食べにいく予定だそう。

 

スタートから8キロ、東洞院六条交番前に到着。東洞院通六条通の交わる南東辺りに屋敷を構えていた歌人・藤原清輔が詠んだ歌がこちら・・・

 

ながらへば また此の頃や しのばれむ  憂しと見し世ぞ 今は恋しき』 by藤原清輔朝臣

訳:今がどんなにつらい時代であっても 我慢して生きながらえていたら なつかしく思い出されるだろう つらいと思っていた世の中も 今となっては恋しく思い出されるから

 

歌の解説を、むかえら6度目の出演となる、関西大学の田中登教授にお願いする。

この歌は『どんな苦しみも、時が癒してくれる』という、誰にでも身に覚えがあり共感がもてる真理を投げかけてくる。例えば、くっすんが暑いときに、「もう歩けん or しんどい etc.」と言ってても、何か月か経ったら楽しい思い出としてよみがえってくるだろうと・・・。

さらに具体的に言えば、以前くっすんが甲府のワイナリーでワインタンクに入ってみたものの、脱出出来ずに恐怖を味わったことを、田中教授は引き合いに出す(田中教授はワイナリーのエピソードがお気に入りの様子)。河田アナは、「このまま(くっすんをワインタンクに)置いて帰ろうかと思ったですけど・・・。」と言い、田中教授が即座に「置いて帰りゃあよかった。」と応じる。くっすんは、「僕のために書いたような歌ですね。」と言い、かぶせて「そんなことはない。」と田中教授が応じる。河田アナも「そんなことないですねぇ。当り前じゃない、平安時代ですよコレ。ねえ、先生。」と追従する。

 

平安時代の貴族・清輔は、実の父と不仲であったり、また思うように出世できずにいた自身の人生を嘆き、この歌を詠んだという。

 

残り少ない百人一首の旅に、「ぜひ、がんばってください。」と、有り難い田中教授のエールをいただく。

 

午後0:00、スタートから11キロ、食事処を探して歩いていると、京麩のお店・半兵衛麩を発見する。お店の前で、くっすんの「長いキッスの 途中で・・・ハイっ。」という突然のフリに、「FU(麩) FU(麩)。」と合いの手を入れる河田アナ(BGM:ロマンティックが止まらない)。

 

お店の中で麩について、玉置半兵衛会長からお話をうかがう。

 

原材料は小麦粉。小麦粉をひたすら練って練って練って練り、作った生地に水をかけて洗う。普通なら全部小麦粉が流れていってしまうが、練りに練ったおかげで、ねばりの成分・グルテンが残る。グルテンに小麦粉を加え、鉄板で焼くと焼き麩が完成する。

お麩の製作工程で、流れ出た白い小麦粉の汁は、表具師がふすまや掛け軸を修理するときに、糊として使う。小麦粉だけで作られた糊は、適度な粘着性で、文化財を傷めずに修理できる。

 

麩のお話しを聞いた2人は麩が食べたくなり、お麩のフルコースを食べる。河田アナ・くっすんともに『むし養い』を食べる。河田アナは『なま麩田楽』を食べ、もっちり食感に満足する。くっすんは、出汁の浸み込んだふわっふわの麩を食べて、「雲の上に乗っているような、感覚です。」とコメントする。

味がほとんどないお麩は、独特の食感を生かしつつ様々な食材とタッグを組んで、変幻自在な顔をみせる。なので河田アナは、どんな味がするのか「なんか食べてて楽しい。」とまで思った。

 

午後2:50、スタートから13キロ、レンタルショップ『さんきゅう・レンタル』に立ち寄る。パーフェクトピッチングの的・腕相撲の台・ポップコーン製造機械など、イベントのときだけ必要な大型な貸し出し品が揃っている。店頭に置いてある大型の金色招き猫を見た河田アナは、「これ、何に使うんですか。」と聞くと、お店の飾り物だった。

年末あたりは、お寺の法要につかうテント・床几の毛氈・テーブル・椅子などの貸し出しに、需要が高まる。

 

せっかくなので、お店にあったルーレット式の射的を体験する。的のルーレット版には、0~9の数字が書かれたエリアがあり、くっすんが0を当てたら、ぷいぷい金曜日出演権を獲得できるというルール。本気で出演したいくっすんと、本気で出演を嫌がる河田アナ、2人の思いが交錯するなか・・・放たれた矢(吸盤式)は6に命中する。絶叫するくっすんをよそに、「残念でした~。」と嬉しがる河田アナであった・・・。

 

午後3:50、鴨川を渡り、西へ向かって平安神宮を眺めつつ歩き、

スタートから15キロ、大勢の参拝客でにぎわう永観堂禅林寺に到着。853年に創建され、平安時代に高僧・永観律師(1033~1111)が念仏修行の日々を送ったことから”永観堂”の愛称で親しまれてきた。

 

2人は阿弥陀堂に安置されている御本尊・阿弥陀如来像(みかえり阿弥陀)を拝観する。珍しいことに阿弥陀さまは、左の方向を顔を向けている。右の方から阿弥陀さまを見ると、顔の表情が良くわかる。

 

永観律師とみかえり阿弥陀

永観律師がお厨子の周りを念仏を唱えながらぐるぐる回っていると、阿弥陀さまが厨子から出てきて永観律師の前を歩いた。そして、左に見返って「永観、遅し(待っていたぞ)。」と言った。

 

ありがたい仏様に手を合わせた2人は、ご住職の案内で境内の紅葉を見てまわる。例年より1週間ほど紅葉の見頃の時期が早かったため、すこし残念。しかし、幼少より高いところから景色を眺めることが好きで、ドローンの操縦者となったご住職が、ドローンで撮った今年の見頃の紅葉を、ノートパソコンで見せてくれた。

 

午後5:30、スタートから15.5キロ、日暮れどきに哲学の道を進む。哲学の道は、若王子神社から銀閣寺を結ぶ、約2キロの道である。京都大学教授であった哲学者・西田幾多郎を筆頭に、多くの哲学者が散策し思索を巡らせたことから、この名前が付いた。

 

出発から歩くこと約10時間、辺りはすっかり真っ暗・・・

スタートから16キロ、ゴールの櫻橋に到着。昭和12年に造られ、橋の名前のとおり、哲学の道は春に約500本の桜が咲き誇る。平安時代、哲学の道周辺の地名を”桜本”と呼んだ。桜本にお墓があった女流歌人・高階貴子儀同三司母)が詠んだ歌がこちら・・・

 

忘れじの行末までは 手向山 難ければ 今日を限りの 命ともがな』 by儀同三司母

訳:「いつまでも君を忘れない」 という言葉どおりに遠い将来まで あなたの愛情がかわらないのは難しい いっそ幸せの絶頂にいる今 命が尽きてしまえばよいのに

 

プレイボーイの貴族・藤原道隆の「君を忘れない。」という歌に対して、返事として詠んだ歌。

 

解説は御馴染み、同志社女子大学の吉海直人教授にお願いする。

くっすんはこの歌を、ストレートに最高のラブソングと解釈するが、実は裏の意味が隠されている。平安貴族あるあるで、プレイボーイの男が「忘れじ。」とのたまうと、得てして女性のことを忘れてしまうのだ。この危機を鋭敏に察知した貴子は、道隆の「忘れじ。」の言葉を真に受けず、逆に忘れられてしまうなら絶頂の今死ぬと釘を刺した。

貴子の優れた歌の才能が、道隆の正妻になる決め手となったといっても過言ではない。

 

 

■簡易チャート

スタート: 京都市・伏見区 伏見桃山城 藤森神社 (3km) → 東洞院六条交番前 (8km) → 取材&昼食: 半兵衛麩  → さんきゅう・レンタル (13km) →  永観堂禅林寺 (15km) → ゴール: 櫻橋哲学の道内) (16km)