2016年3月8日(火)、NHKさんのEテレのテレビ番組『趣味どき!~お城へ行こう!~』で、第6の陣『白亜の〈美しき近世城郭〉姫路城』が放送された。その放送内容のまとめ。
城博士(奈良大学学長)の千田嘉博さんが城ビギナー(タレント)の夏江紘実さんを、姫路城現地で解説しながら案内する。
姫路城の歴史説明・・・①姫路城は黒田官兵孝高・羽柴秀吉の出世城として有名。
②徳川家康は豊臣家を警戒し、池田輝政に姫路城を造営させ、大阪包囲網をつくった。
つまり、豊臣恩顧の西国大名が大阪に向かってくるのを、姫路城で阻止する目的。
輝政と家康・・・本能寺の変で主君・織田信長が亡くなった後、池田輝政は秀吉に仕えた。1594年に輝政は秀吉の仲介で家康の次女・督姫と結婚する。秀吉政権時代の政略結婚だったが、家康と輝政の関係は強くなった。
1600年の関ケ原の戦いで東軍についた輝政は、豊臣家を監視する役割のため姫路城主になる。輝政の8年の改修の末、姫路城は徳川政権の西の拠点となった。
姫路城の軍事機能紹介
■菱の門
姫路城の正門。土塀には鉄砲で攻撃する狭間(さま)がある。菱の門へ入る道は、門の前で直角に近い角度で曲げられている。これを桝形といい、高い防衛力を持つ。姫路城と同じ国宝五城の一つ・彦根城にも見られる。
■ぬの門
木造の門だが、防火力を高めるために全面を鉄板で覆っている。また敵の頭上へ石を落とす『石落とし』が門の出っ張りにある。
ぬの門の前に立ったとき、後方にそびえるのが高石垣
扇の勾配は呼ばれ、高いところほど急な角度にしている。石の積み方は算木積み(さんぎず
づみ)。この石垣の上には昔は櫓(やぐら)があり、門と石垣2面の3方向から囲むように攻撃できた。
天守までの道
■ろの門
ろの門正面には狭間がついた塀があり、左から周り込まなければならない。
周り込んだ先は幅の狭い細長い坂が続く(将軍坂)。
天守が近くにあるように見えるが、道はまだまだ遠い。
はの門を抜けると、
迫力ある天守の眺め。道を進んでいくとヘアピンカーブで180°ターンして、城から遠ざかる。続いて・・・
■にの門
1階部分は鉄板で覆われている。また天井が低く、槍が使えない。2階の櫓から鉄砲で攻撃し、塀の上にある狭間からも攻撃できる。非常時には埋める。
頭をぶつけそうなにの門を抜けて、
天守入口は、まだ先。正面に小さく見えるのはほの門。この後、水の一門~水の六門まで門が続く。
■腹切丸 (現在非公開)
帯の櫓にある階段を通って、中の様子を紹介。そこは姫路城東側の高い石垣の上に作られた平場で、城の東の守りの陣地になっていた。城内側の1階にある武者台が、検死台のように見えることから腹切丸と呼ばれる。実際に切腹が行われていたという記録は残ってない。
大天守を望む本丸へ
かつて本丸(備前丸)には、ぐるりと多門櫓が建っていた。昔の絵図によると、長局と記されており、女性たちが暮らしていた。城下町の方を見下ろす景色の良い場所にあったので、池田輝政は女性思いだったのではないか、と千田氏は語る。
ここで姫路城の基本情報(テストに出るよ)・・・白漆喰惣塗籠造(しろしっくいそうぬりごめづくり)、漆喰で防火対策。連立天守、1つの大天守と3つの小天守を渡櫓でつなぐ。カッコよい。
いよいよ天守の中へ
■石落とし
ふたを開けて、下へ石を投げたり、油・熱湯をかけたりして攻撃。
出格子の下にも石落としが設置。
外側の下から見た石落とし。
■火縄掛け
梁に見られる突起物には鉄砲に使う火縄などをかける。
■渡櫓から大天守へ入る仕切り扉
白漆喰が塗られる分厚い扉。裏側にも鉄板の扉があり、厳重な2重構造。
■武具掛け
たくさんの鉄砲や槍を掛けられる。姫路城天守は戦に備えて、武器庫の役割をしていた。
最後はやっぱり大天守最上階に登って、城下を眺める
「豊臣家を巡る戦いは避けられず、姫路城で戦わなければならないかもしれない。」という池田輝政の悲壮な覚悟を強く感じられると、千田氏の総括。
あと普段は入れない腹切丸ですが、2016年3月12日(土)に腹切丸の石垣修理の現地説明会があり、参加を申し込んで抽選に当たった人だけ、腹切丸を見学できるらしい(すでに申し込みは締め切られてます)。腹切丸の一般公開はいったいいつになるやら・・・。




















