姫路城が平成の大修理を終え、2015年3月27日(金)にグランドオープンしてから、あと2か月ほどで1周年。まだまだテレビでも世界遺産姫路城の特集番組がちらほら見られ、嬉しい限り。
先日2週にわたって放送されたテレビ金曜プレミアム・スペシャルドラマ『大奥』でも、江戸城として姫路城の風景が使われてました。まだ、録画してチラッと見ただけですが・・・。なんでも、俳優さん方がこられて、姫路城で撮影を行ったとか。『大奥』の映画やテレビの撮影ロケ地として、姫路城は鉄板ですから。
ちなみに日本で現存天守の中で最も高いのは姫路城で高さ31.5メートル+石垣14.8メートル。対する江戸城の天守は、石垣も含めて64メートルもの高さがあったという。失われた江戸城のスケールのデカさには姫路城は勝てませんが、美しさでは姫路城は日の本一!
さて本題に入ります。2016年2月1日(月)に放送されたテレビ番組『ぶっちゃけ寺&Qさま!!合体3時間スペシャル』の前半1時間の『ぶっちゃけ寺』部分がまるごと世界遺産・姫路城ミステリー特集でした。これでまた観光客増えるど~、ありがたや~。
内容については、既に他の方が懇切丁寧に文字に起こしておられるので省略します。気になったことだけかいておきます。
●『姫路城2015年度の入場者数が222万人以上』と紹介・・・過去の日本のお城入場者数を新記録を更新したことで、222万というキリ番ののぼりが作られた。その前の記録は、熊本城の持っていた221万9517人(2008年度)。最終的に入場者数がどこまで伸びるか、結果が楽しみである。圧倒的ではないか!
▲姫路城の変遷を紹介・・・姫路城の歴史『1333年に赤松貞範が初めて姫路に城を築いたとされる』と紹介。より正確に言うならば、1333年に赤松則村(円心)が、姫山に縄張をして、1346年に則村の次男・赤松貞範が姫山に城を築いたのが姫路城の起源とされる(諸説あり)。
■姫路城主の変遷を紹介 赤松氏~・・・~黒田官兵衛~羽柴秀吉~池田輝政~
黒田官兵衛のくだりではNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』のメインテーマの音楽が流れる。
黒田官兵衛時代の姫路城・羽柴秀吉時代の姫路城の紹介では、姫路城西の丸櫓群に展示されている模型が使われた。
『軍師官兵衛』のために作られた官兵衛時代の姫路城を再現した模型
秀吉時代の黒い姫路城の模型
●姫路城の狭間(さま)の紹介
姫路城の鉄壁の守りを支える城壁などに設けた穴を狭間といい、ここから鉄砲・弓で攻撃する。外側の穴は小さいので攻撃されにくい。
狭間の形が○△□(正方形もしくは長方形)なのは何故か?詳しいことは現在分かってないという。たしかに熊本城の狭間の形はだいたい四角形である。
千葉公慈住職は『○は水、□は大地、△は火とこの世を構成する3元素で、神仏のご加護にあやかったものでは?』と仮説を提唱する。
わたしも、○△□にすることによって実際の機能面ではマイナスになるだけなので、呪術的な意味を付加したのではないかと思います。まあ、深く考えなくてもおしゃれですし、より城を美しく見せるためか、築城に関係した誰かの遊び心かもしれません。また、このような想像をめぐらせる余地が、歴史の面白いところです。
▲姫路城の鬼門封じを紹介・・・姫路城の北東にあたる場所(一般非公開)の鬼瓦に桃が彫られている。陰陽道で鬼門にあたる北東を桃太郎(十二支で北東の反対に位置する家来たちは戌・酉・申)で封じているという。
補足すると、姫路城はもっと大々的に風水を取り入れている。姫路城の昔の縄張り図を見ると、内・中・外と3重になっている曲輪の全ての北東の角だけ丸まっている。これは『角欠き』といって、まさに悪いものの侵入を防ぐ鬼門封じである。
■姫路城を眺める絶景ポイントを2つ紹介・・・城見台公園のしゃちほこ越しにみる姫路城。わりと姫路城から近いので、観光客もやってくる。しゃちほこの間にきれいに姫路城が収まる・・・って後からしゃちほこを作ったんだから当然でしょう。また城見台公園は、姫路よさこい祭りの舞台会場の一つになる。
城見台公園で撮った姫路城の写真
続いて、わが庭(自称)増位山のポケットパークから丸い輪っか越しにみる姫路城。「丸の中に姫路城が収まっているのが験がいい。」って、後から輪っかを作ったから当然でしょう。まさか全国区のテレビ番組でココが紹介されるとは思わなかった。ただし、姫路城からかなり離れているので、観光客は全然こない・・・。なお両絶景ポイントも、世界遺産姫路城十景に数えられる。
姫路城ははるか遠く・・・
●『との一門』を紹介・・・普段一般人に公開されていない姫路城東側にある『との門』は、場内で白漆喰が塗られていない素木造りの黒い門ある。秀吉時代に建てられた門である可能性が高いという。
補足すると『との門』は同じく姫路にあった置塩城から移設されたといわれる。秀吉が1580年に置塩城を廃城にして、そこから持ってきてリサイクルした。置塩城の名残りが姫路城に・・・公開が待たれる。
▲最後に番組内でも取り上げられた天守最上階からの眺めと、天守最上階の守り神『刑部神社』の写真
をどうぞ(何回も載せてるけど・・・)。
先日2週にわたって放送されたテレビ金曜プレミアム・スペシャルドラマ『大奥』でも、江戸城として姫路城の風景が使われてました。まだ、録画してチラッと見ただけですが・・・。なんでも、俳優さん方がこられて、姫路城で撮影を行ったとか。『大奥』の映画やテレビの撮影ロケ地として、姫路城は鉄板ですから。
ちなみに日本で現存天守の中で最も高いのは姫路城で高さ31.5メートル+石垣14.8メートル。対する江戸城の天守は、石垣も含めて64メートルもの高さがあったという。失われた江戸城のスケールのデカさには姫路城は勝てませんが、美しさでは姫路城は日の本一!
さて本題に入ります。2016年2月1日(月)に放送されたテレビ番組『ぶっちゃけ寺&Qさま!!合体3時間スペシャル』の前半1時間の『ぶっちゃけ寺』部分がまるごと世界遺産・姫路城ミステリー特集でした。これでまた観光客増えるど~、ありがたや~。
内容については、既に他の方が懇切丁寧に文字に起こしておられるので省略します。気になったことだけかいておきます。
●『姫路城2015年度の入場者数が222万人以上』と紹介・・・過去の日本のお城入場者数を新記録を更新したことで、222万というキリ番ののぼりが作られた。その前の記録は、熊本城の持っていた221万9517人(2008年度)。最終的に入場者数がどこまで伸びるか、結果が楽しみである。圧倒的ではないか!
▲姫路城の変遷を紹介・・・姫路城の歴史『1333年に赤松貞範が初めて姫路に城を築いたとされる』と紹介。より正確に言うならば、1333年に赤松則村(円心)が、姫山に縄張をして、1346年に則村の次男・赤松貞範が姫山に城を築いたのが姫路城の起源とされる(諸説あり)。
■姫路城主の変遷を紹介 赤松氏~・・・~黒田官兵衛~羽柴秀吉~池田輝政~
黒田官兵衛のくだりではNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』のメインテーマの音楽が流れる。
黒田官兵衛時代の姫路城・羽柴秀吉時代の姫路城の紹介では、姫路城西の丸櫓群に展示されている模型が使われた。
『軍師官兵衛』のために作られた官兵衛時代の姫路城を再現した模型
秀吉時代の黒い姫路城の模型
●姫路城の狭間(さま)の紹介
姫路城の鉄壁の守りを支える城壁などに設けた穴を狭間といい、ここから鉄砲・弓で攻撃する。外側の穴は小さいので攻撃されにくい。
狭間の形が○△□(正方形もしくは長方形)なのは何故か?詳しいことは現在分かってないという。たしかに熊本城の狭間の形はだいたい四角形である。
千葉公慈住職は『○は水、□は大地、△は火とこの世を構成する3元素で、神仏のご加護にあやかったものでは?』と仮説を提唱する。
わたしも、○△□にすることによって実際の機能面ではマイナスになるだけなので、呪術的な意味を付加したのではないかと思います。まあ、深く考えなくてもおしゃれですし、より城を美しく見せるためか、築城に関係した誰かの遊び心かもしれません。また、このような想像をめぐらせる余地が、歴史の面白いところです。
▲姫路城の鬼門封じを紹介・・・姫路城の北東にあたる場所(一般非公開)の鬼瓦に桃が彫られている。陰陽道で鬼門にあたる北東を桃太郎(十二支で北東の反対に位置する家来たちは戌・酉・申)で封じているという。
補足すると、姫路城はもっと大々的に風水を取り入れている。姫路城の昔の縄張り図を見ると、内・中・外と3重になっている曲輪の全ての北東の角だけ丸まっている。これは『角欠き』といって、まさに悪いものの侵入を防ぐ鬼門封じである。
■姫路城を眺める絶景ポイントを2つ紹介・・・城見台公園のしゃちほこ越しにみる姫路城。わりと姫路城から近いので、観光客もやってくる。しゃちほこの間にきれいに姫路城が収まる・・・って後からしゃちほこを作ったんだから当然でしょう。また城見台公園は、姫路よさこい祭りの舞台会場の一つになる。
城見台公園で撮った姫路城の写真
続いて、わが庭(自称)増位山のポケットパークから丸い輪っか越しにみる姫路城。「丸の中に姫路城が収まっているのが験がいい。」って、後から輪っかを作ったから当然でしょう。まさか全国区のテレビ番組でココが紹介されるとは思わなかった。ただし、姫路城からかなり離れているので、観光客は全然こない・・・。なお両絶景ポイントも、世界遺産姫路城十景に数えられる。
姫路城ははるか遠く・・・
●『との一門』を紹介・・・普段一般人に公開されていない姫路城東側にある『との門』は、場内で白漆喰が塗られていない素木造りの黒い門ある。秀吉時代に建てられた門である可能性が高いという。
補足すると『との門』は同じく姫路にあった置塩城から移設されたといわれる。秀吉が1580年に置塩城を廃城にして、そこから持ってきてリサイクルした。置塩城の名残りが姫路城に・・・公開が待たれる。
▲最後に番組内でも取り上げられた天守最上階からの眺めと、天守最上階の守り神『刑部神社』の写真
をどうぞ(何回も載せてるけど・・・)。