価値のあるもの、それをどう捉えるかは文化や思想、宗教、個人の思考により多様だ。しかし、価値があると思うものを守るため希望を抱くことには誰もが一致し「大切なことだ」と言うだろう。
厳格には希望も人間の現実的な理解に基づくものであるべきだ。今世紀は有害な希望があり、手に余る現実を無視する楽観主義が安易に生まれる。 これは希望とは言えない。
完全に悲観的にならないのは人間の基本的な特徴とも言えるが、鈍感だけでは希望すら薄っぺらなものになり、人類の未来すら描くことができなくなる。
人間の子供は生まれてから少なくとも6~7年位経たないと自立できない。つまり人生の1/10を他に依存している。他の哺乳類には無い特徴である。 我々はそれを知っている。人類は一人残らずこの恩恵に浴していることを。しかし、この恩恵に浴すという人類のシステムそのものが揺らいでいる。 宗教や思想、或いはこれらとは程遠い原理主義により人間本来のsystemが奪われつつあるのだ。
人間は覚醒しないまま、人類を閉じるのか。
政治的意図(political intention)という斧を勢いよく振り下ろし力任せに英知を搾取し、patriot、communist,これらは国家、文化、人種、民族の違いばかりを強調する。
共生livving togetherを許さないもの達が不可視の世界のどこかに息を殺し潜んでいる。 歴史的認識の差perception gap of history misunderstanding。やがて情愛のない性格affectionless characterを生み大きな争いへと人類を促す。
それは不毛以外の何物でも無い。
人類の可視。そして不可視という闇の世界。我々が目にする多くの可視は不可視によって創られ真実は覆い隠される。そして人間はmarionetteのまま命を閉じる。
それでいいのだろうか。
文化の異なる人種、民族が地球上で共存し、反面言語は居住地域と密接に関係し違和感を齎す。我々は何らかの文化に属し固定された居住区に永住を望む。しかし、人類は今未曾有の移住が始まりつつある。
国内外を問わず、その原因は突発的な自然災害の他は人間が引き起こした故意的災難によるものだ。 移住は「ものと文化」を失う。移住した者達の多くは新たな文化を求めようとはしない。もし移住した人間が新たな文化を求めようとするなら、それは自らを破壊することに繋がるからだ。
移住する民族の文化や言語を寛容に受け入れてきた不確かな歴史の中で、もし国家が壁を高く積み上げ移住を阻止しようとするなら、人類そのものの未来を失うだろう。 都市の武装は現在進行形だが、本当の壁は透明である。越えれば即座に理解できる壁。この恐ろしい未来のscenarioを誰もが心の内に理解しているにちがいない。
「未來」とは「誰一人語ってはならない言葉」になるのか。 基本的な世界観の欠如した政治権力、或いは偏った思想に基づいた不可視の闇に、我々人類の富を破壊、或いは搾取され続けるのか。
現実的な問題を、人類は文明の力で乗り超えてきたという誤った理解がある。そのおごり高ぶりを捨てることから真摯に未来を描くことができるように思うのは、反逆と不信の両脚で摩擦の上に立つ人間の偏った見方かもしれないが、一人の人間として未来を憂う戯言と思って頂ければ。
徒然に
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「戦争」の本当の名を「狂気」と呼ぶなら
現代は「狂気」こそ「人間」と呼ぶのか。
人類が「共起」し真の未来を描くことが
できるのはいつだろう。
そのきっかけは、何だろう。。。
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